第16話

 駅前の高層マンションは、かつて書店だった。

 地域に根付いた巨大な店舗を誇る書店だったが、数年間に閉店し、またたく間に建物は取り壊され、そして、猛然と天を突く勢いで、高層マンションが建設を開始、完成した。

 三十階層、全二百二十邸。完成前に、完売を果たす。見識者によれば、立地、価格からして、完成前の完売は驚愕にあたるものだった。

 いずれにしても、それはいま街を見下ろす、塔のように聳えている、建っている。天を突くように。

 そして、街で最も空に近い、三十階の部屋で、彼女たちは座して高いテーブルを囲んでいた。

 広大なリビングルームだった。壁は白い。家具はあるが、どの家具も白く、存在感がなく、まるで生活がない。一見すると、何も無いように見える。色を塗る前の塗り絵のようにも見える。部屋の装飾も、抑えた色合いの品々が多い。どこまでも無生物感があり、部屋の三方は強化アクリル硝子の窓で固められ、街が見下ろせた。

 テーブルに座っている女性は十名。背もたれついているが、誰も背をつけていない。女性たちはみな、直線的な背骨を有しているかのように、背を真っすぐに保ち、微塵の揺らぎもなく、表情もそろえて一定だった。かすかな微笑みにみえるもの、それを顔に浮かべている。

そして、座した十名の女性たちの前へ置かれた透明なカップへ、静かに赤い液体がそそがれる。紅茶だった。

注いでいるのは、その場の誰よりも長い黒髪の女性だった。次終わると、次のカップへ紅茶を注ぐ

二十代といわれても、四十代と説明されても、どちらにも見えた。目はほそく、眸の黒みが大きい。精霊めいた、ふしぎな存在感がある。

紅茶を注がれてゆく十名は、およそ、二十代から、四十代の女性たちだった。かたち、色は統一されていないが、みな、上質な絹の衣服で身を固めている。髪は長く、表面はつややかだった、髪によく手入れがされていることがわかる。化粧もおさえてあり、不自然さはなく、肌質はどの年齢にかぎらず、良好だった。

 みな、口を閉ざしたその口元には微笑みが添えてある。時間がとまったように、表情が変わらない。

 紅茶を注いで歩いていた女性は、最後に十一個目のカップへ紅茶を注ぎ、そして、席につく。

 一目で、そこがこの会合の主催であることがわかる、真ん中の席だった。

 カップに紅茶を注いでいる時は、髪は黒く見えたが、光あるところに座すると、やや赤みがあることがわかる。

 そして、赤みある髪の女性が口を開く。

「ついにバトンが現れました」

そういって、あたらしく微笑んだ。

「我々はあれを手に入れなければありません。わたくしたち命の代えても」

 彼女の発言を受けて、女性たちも、あたらしい微笑みで応じた。

 その微笑みをじっくり見届けた後で、赤髪の女性が断言した。

「もちろん、みなさんも、当然ご存じの通り、あのバトンを手に入れても、意味はありません。手にしてもまったくの無意味です」

 そう告げて、彼女はカップを手にして、微笑みある唇へ添える。

 一口飲み込む。無音だった。

すると、他の十名もカップを手にして口へつけた。無音だった。 

 同時に、十一個のカップから、湯気が天井までのぼり、そして、ほのかな結合をはたして、靄めいたものが、彼女たちを覆う。

 やがて、赤髪の女性がカップを置く。音は微塵もたてない。

 他の十名もカップを置く。誰も音を立てない。

 赤髪の女性は微笑みを保った口を開く。

「手に入れても無意味なのです」重ねてそういった。「ですが、わたしたちの血の出典者たちは、バトンを手にすることを放棄し、時に没落しまいた。これは魔力でしょうか、いいえ、呪いのようなものでしょうか。わたしは信じておりません」

 一度、十名へ視線を向ける。すべての口元に微笑みがあり、やはり、背もたれを使うものは誰もいない。

赤髪の女性は続ける。

「信じてはいませんが、バトンは手に入れましょう。役に立たないものですが、こうして、わたしたちの世代が生きる時間のなかに登場しました。わたしたちの、この空での人生は」そういって、彼女は窓の外を見る。この街で一番、空に近い場所からの眺めが広がっている。「あのバトンを手にすること、その宿命に準じ、行動して、この素晴らしい人生へと向かい、完成されてゆきました。宿命の血を持つわたしたちの成功と、あのバトンとの因果は不明です。ですが、あのバトンを求めることに務めることで、森を失った者たちの末裔でわたしたちが、こうしていま、空で生きられるようになりました。繰り返しますが、もちろん、バトンを追いかけることと、この成功へ導かれることへの紐づける根拠はありません」

赤髪の女性は、微笑みから、笑みへ変えた。目元も半月に曲げる。

「もう、海の老人も動き出したようです」

 今度は、笑みから微笑みへ、縮小させた。

「あの老人は嫌いです」

 明言して、紅茶へ視線を落とす。

 十名は微笑んでいるだけだった。

「バトンのありかはわかりました。あの老人よりさきに、手に入れます」

 まるで、見えない者へ、意志を伝えるようにいう。

「本日、娘をバトンのそばへ向かわせました。さあ、わたしたちは、わたしたちのできることを、準備をしましょう」

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