第15話

 授業が終わると、小町のクラスメイトたちは、転校初日の小町へ、懇親のために放課後、駅前のファーストフードの店か、ファミリーレストランで、お茶でも飲もうと誘った。

 しかし、小町は柔らかな微笑みを向けつつ、「ありがとうございます。今日は先約がありますので、明日なら、ぜひに」と告げて、手鞄を持って、教室を出る。

 今日は断られた。だが、声をかけたクラスメイトたちは、みな、笑顔だった。

 もはや、彼女のファンになった生徒たち数人が教室を出る小町へ手をふる。それ以外にも、じっと黙って見送る生徒もいた。

 小町は微笑みまではゆかないが、柔和さのある素の表情を保ったまま廊下を歩く。手鞄の裏で隠しもったスマートフォンを操作する、画面も見ずにメッセージを送る。

 転校初日であり、別のかたち、色合いの小町制服は、校内ではどうしても目立った。そのうえ顔立ちにも可憐さがある。彼女が横を通ると多くの生徒は、まず彼女の異質な制服、それから顔を見て、行き違って見えなくなるまで、そのまま彼女の顔を凝視した。

 そして自然と、小町が歩くと、人が道を譲る。道を開ける方も、それは無意識のうちだった。そっと避けてしまう。

 生徒たちがその目に宿すには、わかりやすい羨望ではなかった。さながら、見逃せない、なんからの祝福を含んだ現象を目の当たりにするような、少なくとも、昨日までのこの校舎には存在しなかった、存在感のもの、登場に、たちうちできずにいる。

 そして、小町が生徒玄関まで行く頃には、男女無差別で、彼女のあわい追跡者が生成されていた。みな、引き寄せられるように、しかし、おなじ生徒玄関へ向かうという名目で、小町を追っている。

 七見は生徒玄関にいた。

その棚に飾られた、同校の優勝トロフィーや、賞状を自然体で立って眺めている。優勝、および、準優勝あるいは、優秀な成績をおさめた生徒の集合写真、単体写真は、どれも色あせている。

 小町が声をかけるまえに、七見は顔を向けた。

「七見くん」

 そこへ小町が名を呼ぶ。

「お待たせしましたか、ごめんなさい」

「いえ、ぼくがとんでもなく早めにここに来ていたんです」七見はそうって、口を横一文字にし、また開く。「どうしても、予定の時間より早めに動くクセがあって」

「いいことですね」

 ぽん、と小町は褒めた。

 それから、水面へ浮かびあがるように、微笑む。

 七見は真正面から見た。その顔は、すごい勢いだが、まったく痛みのない攻撃を与えられたようなに、虚をつかれたような表情になっていた。

 だが、すぐに我に返って、小町の後ろを見る。すると、彼女を追っていた数人の生徒たちが、顔をそらし、反対方向へ向かう。

 新規のストーカーが生成されているのか。と、思い、七見は、難しい気持ちになった。

 しかし、表情にはださなかった。

「七見くん」

 ふたたび呼ばれて、顔を向け直す。七見は「小町さん」と、名を呼んだ。

 名を呼んだことに、大きな意味はない。向こうにリズムに合わせただけだった。

「どうしましょうか」小町が、ふわ、っと紙風船でも、あげるように、小さな課題を浮かべた。「わたし、引っ越したばかりで、この新しい町をよく知らなくて、どこかゆっくりお話しできるお店を知っていますか」

 問われて、数回ほど瞬きをした後、七見は「その案件なんですが」と、いった。

「あんけん?」

「小町さんは、どこにお住まいですか」

「わたしですか、駅前のマンションです」

 駅前のマンション。

 といえば、最近、完成した高層マンションが、七見の頭に浮かんだ。

「なら、駅まで一緒に歩きましょう。時間にして十分くらいですから」

「はい」

「十分あれば、たいていの話はできます」そう言い切った後で「いえ、根拠なくいいました」と、告白した。

「ご一緒に、お茶を飲むのは嫌ですか」

 小町は微笑んだまま、問いかけた。

「なんといういいうか」七見は落ち着いていた。「いまのところ、小町さんと照れずに向かい合える自分を想像できずにいます。にもかかわず、一緒にお茶なんて飲んでたら、最後には死ぬかもしれません。だから、いまは向かい合わず、横並びで歩いて帰りながら話せればと、それなら、合法的に正面から向かい合って話さずに。まあ、逃げですね」

 おだやかな口調で七見がそう告げると、小町は、くす、っと笑った。「それは、どういう意味になるんでしょうね」七見に問うではなく、どこか遠くの何かに訊ねるようにいった。「果てにはどうなるのでしょうね」

 さらに遠く、遠くへ問いかけるように言う。

 そこへ、ふたりの間を小さな人影が通り過ぎた、水巻だった。彼女は無関心な猫のような足取りで、ふたりに一瞥しないまま、しかし「オポッサム」といった。

 とたん、七見も「オポッサム」と返す。

 そして、水巻は振り返らず、あとは片手をあげてみせつつ、そのまま光にあふれた生徒玄関を通過してゆく。

 小町はしばらく黙っていたが、やがて「おぽっさむ」といった。

 すると、七見は「あ」と声を出し、彼女へ告げた。「仲間になってしまいました、いま」

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