第12話 ひ校舎

 その車は校舎の外、路上に停車されていた。

「成増さん、その望遠鏡、私物ですか」

 助手席の窓の合間へそれを差し込んで、のぞき込んでいる方の男へ、運転的側の男が問いかけた。

「望遠鏡じゃねえ、双眼鏡だ」

 成増と呼ばれた男が、監視を続けたまま答える。

 年齢は四十ほどか、負けた試合から一週間後のボクサーのような顔つき、顔立ちで、わずかに白髪の混じりはじめた頭髪を、後ろに流して固めており、草臥れたスーツを着ているが、襟は上までしっかりととめ、ネクタイだけが真新しい。

「どっちでもいいですが」問いかけた運転手側の男が言う。

 二十代後半あたりで、昨日、美容院にいって来たようなほど、整った髪をしていた。肌の色つやもよく、なで肩ぎみだが、筋肉はある。さっぱりとした顔つきで、清潔感のある青年だった。

「私物とか使っていいですか。それ」

「黙れ、近藤。気合の入ってない支給品で調査なんぞ出来るか、近藤」

「なんで、俺のなまえ、いま、二回言ったんですか」

「興奮してんだよ」

 成増は答えになっていないものを返す。

「ど興奮しだってんだよ、こっちは。なのになんだよ、お前は。お前はしてねえーのかよ、ど興奮を、わくわく、そわそわ、どーかん、ってなってないのかよ」

「爆発してんすね、なにかが」

運転席の近藤は若干ひいていた。無理にあわせようとする様子もない。かすかな歩み寄りもない。

「うっせえなぁ、おまえもいずれこうなるんだよ」

「まじか、俺もトシとったらそうなるんすか。だとすると、少年の頃に描いていた未来が、ごぼごぼ、音を立てて崩れてきますよ」

ふたりは路上に止めた車の車内にいた。白いセダンだった。

成増側の車窓からは、高校の校舎が見えた。いまは昼食休憩中のため、敷地内のベンチで食事をとる生徒の姿もある。

近藤は嘆息した後で「ええっとー」と、顔をあげた。「十七年でしたっけ」

「十五年だ」

「じゃ、十五年でしたっけ」

「ああ、十五年だ」成増は双眼鏡を自身の両目を押し当てつつ答えた。「十五年目にしてようやくだ」

「この光る棒が、ですか」

 あきれた口調を言いつつ、近藤は携帯端末の画面へ視線を落とす。そこには、光るバトンの画像が表示されている。

「俺はな」成増は興奮を維持して口を開く。「この部署に回されて、十五年待ったんだ、そいつが世界に現れるのをな」

「この棒を、ですよね」

「ああ、そうだ」

「この棒って、いったい何に使うか、わかってないっていうじゃないですか」近藤が成増へ視線を向ける。しかし、彼は双眼鏡で校舎の方を監視し続けているため、白髪まじりに後頭部しか見えない。「つか、うちの部署って、まじ、なんなんですか」

「うるせぇな」とたん、成増は近藤の方へ向いた。そして、犬歯をむき出しにして言い放つ。「お前はアレじゃねえかよ、ええ! うちの部に回されて、たった一週間目だろ! ええ、こっちは十五年だぞ、十五年! 十五年間、情報なしだったんぞ、あの棒の情報のぉ、ええ!」

「その感じの興奮もまた、ぼく嫌いですよ、成増さん」

 近藤は落ち着いてそう述べた。それから続ける。

「だいたい、部署たって、ぼくと成増さんしかいないじゃないですか」

「お前の前に、もう一人いた」成増は口を尖らせ、車の内ドアへ差し込んでいた缶ボトル珈琲の蓋を開けながらいった。「やめたけどな。あまりにも何も起こらない職場だって理由で」

「いや、おれもここにまわされて、三時間で思いましたよ、こんな、謎の光る棒を探すために税金つかっていいのかって」

「俺は十五年間、毎日思っているよ」

「いやまあ、成増さんのそういう身も蓋も、希望もなく、絶望しかないことを断言してくるところは、ある意味尊敬しています、非公式評価ですか」

「ったく。非公式評価、とか、保険かけたしゃべり世代目が。んなことはどうでもいいんだ。とにかく、いま俺らは、あの何に使うかわからない光る棒を探すために用意された部署の所属なんだよ。どのタイミングで、国がこの部署つくったのかはわからんし。少なくとも、俺が部に回されたときには、なんであんなものを探すのか、すでに誰も理由を知らなかったが」

「光る、棒なんですよね」と、近藤はペットボトルのお茶の蓋を開けながら言う。「なにやっても壊れないし、光りも消えないって。たしかに不思議な棒ですけど」

「誰がつくったのか、何に使うのかもわからなん」

 言って、成増は缶ボトルの珈琲を飲む。

「しかし、どうやっても人間にはつくれない代物だ」

「そもそも、その情報もどこから来たんですか。いままでみつかってなかったのに、どうしてそんなことがわかるんですか」

「疑問はわかる。俺だって、箱いっぱいの疑問はあるさ。でも、あの棒探しの部署を公式に国が用意したんだ、給料だって出てるだろ」

「ぼく、官僚試験を受けたんですよ。なのに、なぜか、こんな部署に」

「俺だって小型フォークリストの資格持ってる」

「うわ、会話つーじねー」

「人生は自分でコントロールできないゲームなんだよ」

「はは、ああ、ゲーマーですね」

「笑ってんじゃねえよ」

 淡々と注意し、成増は前を見た。

「あのバトンがこの国的にどういう価値を見出してるかは知らねえ。けどな、俺らは、あれを手に入れるってゲームに集中する義務があるんだ、給料分な。それに当然、あの『海の老人』も、それに『空が森』の連中も動き出しているらしい」

「海の老人、空が森? なんですか、それ」

「お前、ちゃんと資料読んどけよな」

 眉毛の片方をゆがめて、苦言を呈す。

 が、そのときだった。成増はフロントガラスの向こうに、なにかプレッシャーを感じ、視線向ける。

 そこの高校生が立っている。

 鳳凰のような眼をした、蓬髪の少年だった。さっきまで、高校の屋上にいて、双眼鏡で関していた少年が、忽然とそこにたっている。成増と近藤を凝視していた。

 ワープでもしたのか。ふたりはほぼ同時にそう思い、いや、そんなことはあるかはずないし、と、また、ほぼ同時にその考えを打ち消す。

 対して鳳凰眼の少年は動かない。

 しばらく、双方のガラス、一枚越し見合いは続いた。そうしているうちに、少年の頭の上に、すずめが一羽降りて来た。ふくふくとした、すずめが。

すずめは、そのまま少年の頭上へ鎮座した。

 そんなに存在感があるのに、頭にすずめが宿るのか。そして、すずめは落ち着いている。

 まさか、彼は植物に近い。

 成増が勝手にそう考え、驚愕し、深刻になっていると、近藤は茫然とした口調で「さ」と、いい「さがります」と宣言した。

「うん、さがって」と、成増はうなずいた。「さがって、さがってよ」

 近藤はふたたび「さ、さがります」といい、四輪を動かし後退させる。

成増は「さがって」と連呼し合いつつ、車はゆっくりと後退してゆく。

 フロントガラスの向こうで、すずめを頭頂に宿した鳳凰眼の少年が、じっくりと遠ざかってゆく。

 そして、遠ざかり、遠ざかり。

 車はそのまま後ろの電柱に激突し、電柱の根本が折れ、傾いた。

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