第10話

 町並みに、不釣り合いな光沢を放つ黒いセダンが走ってゆく。

 助手席に座した赤髪の女性。

 ミナミノは、考えていた。写真に写ったあの光るバトンめいたもの。

 あれはいったい、何に使うのだろう。価値はあるのか。

 それを教えられていない。もっとも、依頼側からすれば、雇われた請負人に過ぎないミナミへ教える義理はない。

 ミナミノは振り返らず、バックミラーも見ず、部座席に乗っている老人を意識する。

 背後にいる老人が何者であるかも教えられていない。この、わからない相手を警護しつつ、例のバトンの所在を調査し、手に入れる、それが今回の依頼だった。

 老人の正体はわからない。ただ、どうやら、かなりの権力者らしい。しかし、いったい何の権力者なのかは知らなかった。得体の知れない重要人物の警護でもある。

無論、教えられないまでも、依頼に入る前に、ミナミノなりに依頼人の素性は事前調査した。調査能力は高い方だった。だが、それでもいま後部座席に鎮座する老人の正体は明確にはわからなかった。

 とにかく大物である、という雰囲気がある。事実、このセダン一台の値段にしても、都内に家が購入できるほどの価格だった。ハンドルを握る運転手の運転からでもわかる、かなり訓練されている。かりに、べつの車から追走され、襲撃されたとしても、安定して相手から逃れられる可能性はきわめて高い。

 この車と、この運転手、このふたつを所有、維持できることは、まずある一定の財力がある証明でもあった。やはり、相当な重要人物に違いなく、しかし、まだ、業界内では新人に過ぎないミナミノの立場では、老人の正体を知ることが難しい。

 だが、彼女には自信もあった。経験は浅いが、優秀である自負はある。

 この警護依頼のために、ミナミノはわざわざ名指しされ、欧州から急遽呼び寄せられた。それは依頼元から、実力は認められている証であるか。

 いや、あるいは無名の業界人ゆえか。

 もしかするとこの女は消えても、まったく騒ぎならない。そういう考えのうえの選別かもしれない。

 油断はできなかった。いっぽうで、もし、この依頼を完遂すれば、手に入るのは、濃厚で、大きな功績になるかもしれない。

 まだ、業界内で名も知られず、小さいものが、時間を短縮して、存在感を出すためには、無謀な依頼を成功させるしかない。

 彼女は表面上、氷のように、冷たく、静かな表情を保っているが、その内部は猛っていた。

 得体の知れない人物の警護と、同じく得体の知れない依頼である、あのバトンめいたものの入手。

 質屋から良好な関係の中で提供された情報では、この町の高校に通う、高校生がいま所持しているという。その名も、歳も住所も、もうすべて掴んでいる。

 相手はただの高校生だった。所持しているなら、入手するのは容易かろう。

果たして、あのバトンが如何なる品なのかは、どうでもいいことだった。とにかく、自分のやるべきことは、手に入れること。

 依頼完了図は、すでにミナミノの頭のなかで見えていた。

 ふと、そのとき。

「ほしい」

 後部座席で、老人がつぶやいた。

 それが、ミナミノがはじめて聞いた老人の声だった。

「ほしい」

 次に二回目の声。

「ほしい、ほしい、ほしいほしいほしいほしいほしいほしいほしいほしいほしいほしいほしいほしいほしいほしいほしいほしいほしいほしいほしいほしいほしいほしいほしいほしいほしいほしいほしいほしいほしいほしいほしいほしいほしいほしいほしいほしいほしいほしいほしいほしいほしいほしいほしいほしいほしいほしいほしいほしいほしいほしいほしいほしいほしいほしいほしいほしいほしいほしいほしいほしいほしいほしいほしいほしいほしいほしいほしいほしいほしいほしいほしいほしいほしいほしいほしいほしいほしいほしいほしいほしいほしいほしいほしいほしいほしいほしいほしいほしいほしいほしいほしいほしいほしいほしいほしいほしいほしいほしいほしいほしいほしいほしいほしいほしい――――」

 そして、呪文のように、息継ぎも間もなく、老人がそれを言い続けた。

 相手は依頼人である、その領域である車内で何をつぶやこうが、ミナミノの気持ちなど関係ない。

 いずれにしろ、ミナモノが知る老人のことは少ない。名前も知らない。

 ほとんど唯一わかっているのは、後部座席の依頼人が『海の老人』と呼ばれていることぐらいだった。

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