第03話 挑む

 部屋には来客用の受付などはなく、机が六つ向かい合わせで並んでいた。どの机にも、段ボールや、なにかの資料が積まれ、パソコンを操作するスペースだけが確保してある。壁には、映画、ドラマ、広告などが張ってあり、色あせており、ところどころ破けている。

 事務所の整理整頓まで手が行き届いていない気配がある。

「おほ、ふたりとも高校生ねえ、うん、はいはいはい」

 ふたりの目の前に座った中年男性がエントリーシートを手にしながらいう。四十代なかばほどで、一見、紺色のジャケットできめて洒落て見えるが、そのジャケットも、間近で見ると、かなり、草臥れたものだった。そして、いま、事務所にはその男しかいなかった。

 男の名前はカメマツというらしい。

 部屋の角に、傾いたパーティションで仕切られたスペースがあり、そこに対面式の小さなテーブルが設置されていた。

 人当りはよさそうに見えるカメマツだったがしかし、その視線は品定めの視線であり、ただし、どこか面倒そうな様子も含まれていた。

「はい―――」と、京一が答える。

 鋭く、相手の内臓の奥へ、鋭利に突き刺すような返事を。

「おっ、っと、い、いい声だねえ」とたん、カメマツは怯んだ。実際は声だけではなく、京一の鳳凰のような眼に気おされたのもある。「あ………あーあ、まいいや、いい、うん、よしよし………でー、そっちの七見くんは、うん、子役からやってるんだね、へあー、七歳から? いまが、きみ十七だから、その歳でキャリア十年か、やるねえ」

「はい」

 七見はやわらかに返事をする。

「で、こっちの『響 京一』くんっての? なるほど、や、く、しゃ、は………ああ、一か月前からねえ、ふん、ああ、まだエキストラを、ちょろちょとっとね」

「はい、いわば、いまさっきそこの路上で生まれたばかりみたいなものです」

「いや、その発言の意味は俺にはまったくわからないけどね、それでも自信だけが伝えってくるというか………いや、きみの場合は、なんか自信というか、妖気みたいなのが伝わって来るというかー、あ、うん、いや、褒めてないよ、警戒しているよ、で、ええっーと」中年男性は頭をかきながらエントリーシートをコーヒーテーブルへ置いた。「ま、ドカンとバラしちゃうと、ふたりとも合格、なんだけどね」

 七見は「あの、オーディションは」と言った。

「ああー、はは、オーディションってもさあ、まあ、これ予算の無い映画なんで」と、中年男性はあけすけにいった。「なんだろうな、まあ、いちおう、オーディションで多くの役者さんたちの中からキャストを選んだどわー、って、ハクみたいなのが欲しいだけなので。あ、たてまえね、うわべね。そういうの、、宣伝文句の少しでも足しになる気がして。あのね、きみたち無名の高校生を使うのも、宣伝のうちなんだよ、ね、ぶちゃけね、はは。まままー、うん、まあまあま、というわけでさ、だから、ふたりとも合格、合格。あ、そうだ、きみたち身体丈夫だよね、走れるよね? 事前に事務所から伝わってたと思うけど、ギャラはマジでないからね、きほん、交通費と食事ね。つか、交通費もじゃっかんー、あやしいけどね、もちろん、泊りがけでロケする予算ないし、撮影は日帰りね。まあ、その日のうちに帰れるかはあやしいとしてー。なんせ、とくに君たちは、未成年だし、かりね、ちょっとでもお給料だしちゃうと、労働基準法的なあれになるから、まあ、ボランティア的な扱いってことで誤魔化して、だ」

 ふたりは高校生だった。

 すなわち、役者として、報酬を与えるかたちで参加すれば、法に従い、深夜労働は不可能になる。

 しかし、あくまで労働ではなく、善意で参加したことになり、未成年ながら深夜までの撮影をしたとしても、それは労働ではないので、法外となる。

 ああ、詭弁だ。

 と、七見は思った。いや、最初からわかっていたことではある。

 そして、詭弁に過ぎたいため、厳密には、けっきょく法に触れるであろう。それは、相手もわかっているし、七見にもわかっていた。

 だが、映画作成に役者として参加できるチャンスだった。監督は、かつて大作映画を撮影しつつも、近年は小規模な作品を限られた範囲で公開している監督だった。しかし、業界では、名のしれた大ベテラン。

 御年、九十歳だった。

 世界的にも鬼才と呼ばれている監督だった。

 七見の認識では、世界でも名誉ある賞をもらい、興行的にも成功したことのある監督が、巨匠。

 よくわからない作品だが、世界中で見る人が少しずついるような映画をつくる人を、鬼才。

 と、勝手に思いながら、七見は訊ねた。「時代劇なんですよね」

「うん、そうだよ。お金のない時代劇」

「合戦のシーンがあるって聞きました」

「うん、あるよー」カメマツは大きくうなずいた。「お金のかかってない合戦のシーンあるよ、はは」

 なにがおかしいのだろう。七見は、考えて、つい、無反応になってしまう。

 自虐なのか。

 すると、京一は「きっと、この人は、これまで悲しい人生の連続だったのだろう」といった。

 七見は、わあ、きみ、ぼくの心読めるのか。と思い、もしそうなら、最悪だな、と心のなかでコメントした。

 勝手に相手の人生を悲しいものにしてしまっている。しかも、相手は目上で、映画製作のスタッフにもかかわらず、高校生で端役に過ぎない立場で、彼、呼ばわりである。

 京一はさらに「死んだら笑えなんだ、京一くん。いまだけは笑わせてやろう。それがせめてもの、オレたちが出来ることだ」追加でそう言う。

 余計以外のなにのもでもない。余計の最上級。

 と、七見は考えつつ、自身は沈黙を貫く。

 彼に微塵も関わらなければ、こちらは無事で済む可能性は残されている。

「はは、ま、じゃーじゃー」と、幸い、カメマツはきいていないようだった。このオーディションも、しょせん、単純にこなす作業でしかなかったらしい。その作業オーディションが片付き、書類を雑にまとめて席を立としている。

「場所とスケジュールは連絡するから、怪我しないようにして待っててよー、怪我で撮影する可能性が高いから、ね、はは」

「はい」

 京一は迷わずうなずく。

 いま、相手がどこかおかしなことを言った。しかし、おかしな部分など、まったくなかったかの如く、京一は続けた。「たとえ、この眼球のひとつやふたつ、撮影前の日常生活ではじけ飛んだとしても、映画には出ます」

 七見は隣で「その場合、向こうがすごく気を使うことになる」と、いって片付けた。

 そして、それ以上、深追いはしない。

「ああー…………」カメマツは怯み。それでも体裁をつくろった、それだけ出演者に困っている可能性があった。「あ、じゃ、これでー………おひらき、かな、ねえ」いって、今度そこ、引き上げようする。

 しかし、ふと。

「あ、スケジュールはまた、マネージャーさんに伝えとくからね」

 と、カメマツが立ち上がったところへ「そういえば」と、京一が制服の上着のポケットへ手を入れる。

 とたん、カメマツは、まるで拳銃でも取りだされるのかと勘違いしたような動きで警戒した。

 しかし、京一の手にあったのはリレーで使うようなバトンだった。

 しかも、発光している。

「これを、このビルの入り口で拾いました」京一はバトンを片手に話す。「こちらは映画製作会社ですので、もしかして、なにか映画製作に重要なアイテムなのではないかといま思いまして」

「ん?」と、カメマツはいぶかしげな表情を浮かべ、光るバトンを見た。「いや、なんだろ、なにかのグッズでも落としたのかな」

「大事なものかもしれません、お返しします」

「えー、ああー、いいよいいいよ、どうせ、まあ、ゴミだから。うん、あ、そうだ、今日の記念に、きみにあげるあげる」

追い払うように手を振って来る。

「ありがとうございます」京一は頭をさげて続けた。「では、死ぬ時には、墓へ一緒に入れる勢いで大事にします」

 そこへ七見が「相手にやたらと負荷をかけるヘビーな意気込みを添えたね、京一くん」といった。

「七見くん」

 そこで京一は顔を向けてくる。

 鳳凰眼で見据える。

「引き上げよう」

 その発言を受けた七見は立ち上がり、いまいちど、男性の方へ顔を向け「今日は、貴重なお時間をいただき、ありがとうございました」と、あいさつをして、頭をさげた。「撮影、死ぬ気でがんばります!」

 最後は、七見に良い声量を室内へ響かせた。

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