第2話 図書準備室

 図書準備室の中は図書室よりも少し蒸し暑かった。今は6月中旬に差し掛かった頃だし、加えて空調設備もないのだから当然だろう。


 「思ってたよりも広いな」


 それが俺の図書準備室に対する率直な感想だった。

 ”準備室”といったら教室の半分くらいの大きさのものを想像するわけだが、この図書準備室は少なくとも教室くらいの広さがあった。

 壁側には本棚があり、床のあちこちには本や段ボールが積み重なって置かれている。物が多いので多少の窮屈さは感じるものの、二人だけなら十分すぎるスペースがあった。


 一方、藤井はとりあえず部屋の中を隅から隅まで興味深そうに見て回っていた。その姿は、まるで小さい子どもがおもちゃ売り場ではしゃいでいるようにも見えなくはなかった。


 「楽しそうだな」


 俺は入り口の近くで立ち止まったままそう言った。


 「だって初めて来たんだもん。なんかいいね、図書準備室。思ってたより広いし、たくさん本あるし、なにより匂いがいい」

 「匂い?」

 「わからない? 紙の匂いだよ。特にここは古い本が集まってるからかいい匂いがする」

 「たしかに言われてみると古本屋っぽい匂いするな」


 そうは言ったものの、俺は人生で古本屋に入ったことなんて一回か二回しかなかった。しかしなんとなくこの匂いが古本屋のそれであることはわかった。


 「私、古本屋めっちゃ好きなんだよね。特にこういう匂いが」


 藤井はかなりの読書家らしいので古本屋に通っているのも納得できる。人並みくらいにしか本を読まない俺とは少し感性が違うのかもしれない。


 「もしかして藤井は図書準備室に古本屋的な要素を見出していたから図書準備室が気になってたのか?」


 俺が問うと、藤井は丁寧にスカートを抑えてからしゃがみ、床に積み重なって置かれている本を眺めながら答える。


 「うーん……どうだろ。もしかしたらそんな予感はしてたのかもね。じゃなかったらいきなり図書準備室について川瀬に聞いてみたりもしなかっただろうし」

 「俺はてっきり、図書準備室ってこれから図書室に並べられる仕入れたばっかの本とか、新しい教科書とか、そういうのを保管しておく部屋なのかと思ってたけど、どうも違うっぽいな。見た感じここには図書室から引っ張り出された古い本が置かれてるみたいだし」

 「そりゃそうでしょ。なんでわざわざ仕入れたばっかの新しい本を保管しておくの? 新しい本はさっさと図書室に並べないと意味ないよ」

 「それもそうか。……だとしたらここは図書準備室じゃなくて”廃棄図書室”って感じだな」


 俺が言うと、藤井はしゃがんだまま嫌そうな顔を向けてくる。


 「そういうの面倒くさい。図書準備室は図書準備室でいいの。あと、そんな名前付けたらここにいる本たちが可哀想」

 「……すまん」

 「わかればよろしい」


 それから俺たちはしばらく図書準備室にある本や物を物色した。

 藤井は本ばかり見ていたが、俺は本以外にも、そこにあったもう使えそうのないラジオとか、木製の時計とか、大昔の文芸部の機関誌とかを見ていた。


 やがて17時のチャイムが鳴り響く。

 どうやら俺たちはそこそこ長い時間図書準備室に居座っていたらしい。図書室の閉館時間は17時なので、図書委員の俺たちはこの後図書室の戸締りをしなくてはならなかった。


 「そろそろ戻るか」


 俺が言うと、藤井は読んでいた本から目を離す。


 「そうだね。ちょっと長居しすぎちゃった」

 「だな」


 俺はポケットから鍵を取り出し、図書準備室を出ようと扉へ向かう。


 扉に差し掛かったところでふと藤井の様子を確認してみると、なにやら藤井は図書室に繋がる扉とは対極の位置にあるもう一つの扉の前で立ちすくんでいた。その扉は廊下に繋がっているはずだ。


 「なにやってんだ、もう出るぞ」


 俺が声をかけても、藤井はそのまま動かない。


 ……しかししばらくすると、藤井はこちらに不適な笑みを向けてくる。藤井のそんな表情を見るのは初めてのことだった。


 「ねえねえこれってさ、ここの扉の鍵を開けておけばいつでも廊下側から図書準備室に入って来れるってことだよね?」

 「……まあ、そういうことになるな」


 すると直後、藤井はガチャンとその廊下に繋がる扉の鍵を開けた。


 「ちょ、おい、正気か?」


 藤井は俺の声に耳を貸すどころか、依然として不敵な笑みを浮かべたままだった。


 「鍵を閉め忘れることなんて誰にでもあり得るでしょ?」

 「いやぁ……」


 どう考えたって藤井のその行動は良くないことだった。

 ……しかし、ここで馬鹿真面目に叱ったりするのもなんか違う気がした。


 「……まあたしかに、鍵を閉め忘れるくらいのミスなら誰にでもあるか」

 「そうそうっ」


 俺が冗談を言って見過ごすと、ようやく藤井は愉快な足取りでこちらへやって来た。


 すると藤井は俺の前でぎこちなく上目遣いをして口元に指を当てる。


 「これは二人だけの秘密だからねっ」


 そんな藤井を目の前にして、俺は不覚にも目を逸らしてしまう。


 「誰がこんなこと言いふらすか」

 「見過ごした川瀬も同罪だよ同罪」

 「ったく……」

 「明日あたりこっそり図書準備室に来てみちゃおっかなぁ……」

 「……それじゃあまるで秘密基地じゃないか」

 「秘密基地! それいいかも!」


 俺がなんとなく言い放った言葉に、藤井は目を丸くさせて反応した。


 「図書準備室が秘密基地……か。まあ、悪くはないかもな」


 たしかに魅力的な構想ではあった。しかしまさか図書準備室を秘密基地にするなんてあまりにも非現実的なことだったので、俺はそのことについて深く考えずに図書準備室を後にするのだった。

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