第3話 昼休み

 翌日の昼休み。俺は図書室へ向かっていた。


 図書当番が回ってくるのはせいぜい月に一回くらいのペースなので図書当番があるわけではない。また俺は図書室の常連というわけでもない。……ではなぜ柄にもなく昼休みに図書室へ向かっているのか。正確に言えば、なぜ図書準備室へ向かっているのか。


 それはつまり、そこに藤井がいるかもしれないからだった。


 というのも、いつも昼休みを教室で過ごしている藤井が今日は教室にいなかったのだ。


 昨日、藤井とふたりでこっそり図書準備室に潜入した時、藤井は廊下側の鍵を意図的に開けたままにして、こっそり図書準備室に忍び込みたいという旨の発言をしていた。あの時はただの冗談にしか聞こえなかったが、もしかしたら藤井は本気で図書準備室に忍び込むことを目論んでいたのかもしれない。とにかく俺は気が気ではなかった。


 そうこうしているうちに、図書準備室の扉の前に到着する。


 今は昼休みなので隣の図書室は開いている。万が一にでも図書準備室に入るところを誰かに見られたらまずいので、俺は周りに誰もいないことを慎重に確認してから鍵がかけられてないであろう図書準備室の扉に手を掛け、そっと横に引いた。


 扉を引いて中を覗くと、やはりそこには藤井の姿があった。


 さっさと扉を閉めると、藤井は安堵したように肩をなでおろした。


 「びっくりしたぁ……」

 「まさかほんとに図書準備室に来てたとはな」

 「そう言う川瀬もこうして来てるわけだけど?」

 「まったくだ」


 とりあえず俺は藤井から少し離れたところにあった椅子に腰掛けた。藤井は机に弁当を広げて昼食をとっているようだった。


 「図書準備室で食べる昼ごはんはうまいか?」

 「この背徳感は何物にも変え難い最高のスパイスだよ」

 「なーに言ってんだか」


 藤井は卵焼きを口に放り込み、幸せそうな顔でそれを咀嚼している。


 「川瀬も卵焼き食べる?」

 「いやいいよ。爆速で食べてきたし」

 「図書準備室に来るために?」

 「まあそうだな」

 「アホくさ」

 「うるせーよ」


 たしかにアホくさいことこの上ない。まさか俺が図書準備室に行くためにあんなに早く昼食を済ませていたなんて一緒に食べていた奴らは思っていもいないだろう。


 「てか、急に入って来られてめっちゃびっくりしたんだけど。先生だったらどうしようかと思ったよ」

 「だったら鍵閉めとけばよかったのに」

 「そしたら川瀬入って来れないじゃん」

 「ああ……なるほど」


 言われてみればたしかにそうだ。しかし俺がやって来た今、もう廊下側の鍵を開けておく必要はない。万が一にでも誰かに入って来られたら一貫の終わりだ。


 「もう鍵は閉めていいよな?」

 「あ、うん」

 「リスクは最小限に抑えた方がいい」

 「そうだね」


 俺はおもむろに立ち上がって扉の鍵を閉めに行った。いざ鍵を閉めると、本格的に背徳感に襲われる。


 「……背徳感やばいな」

 「……うん」

 「…………」

 「…………」


 沈黙が流れる。


 思い返せば、今まで藤井とは図書委員同士の業務連絡的な会話くらいしかしたことがなかった。こうして図書委員と関係のないところで藤井と居合わせるのはこれが初めてのことかもしれない。さっそく会話が途切れてしまうのも仕方なかった。


 藤井はまだ少し残っている弁当に手をつけている。

 手持ち無沙汰な俺は何か話題を探すことに精一杯だった。


 「……そ、そういえば。藤井ってなにか部活とか入ってるのか?」


 結局こういう当たり障りのない話題しか思いつかなかった。


 俺の問いかけに藤井は食べる手を止める。


 「いちおう茶道部に入ってるよ。でも活動少ないからほとんど帰宅部みたいな感じかな。……川瀬は?」

 「俺も同じような感じだよ。いちおう英語研究部に入ってるけど、ほとんど帰宅部」


 この学校は一年生のうちは全員どこかの部活動に所属しなければならなかったので、俺は仕方なく英語研究部に入部したまでだった。


 「うちの学校、勉強大変だからね」


 藤井が言った。


 「俺は結構ギリギリで受かった身だから、人より頑張らないといけない」

 「学生の本分は勉強だしね」

 「そうだな。だから文武両道できる人はほんとにすごいと思う」


 実際、世の中には文武両道を難なくこなすスーパーマンもいるようで、たしか前回の中間テストでクラス1位だった奴はバスケ部でバリバリやってる奴だった。


 「なんか悲しくなるよね、文武両道の人にテストで負けたりすると。私こう見えて結構負けず嫌いなとこあるから」

 「俺は上には上がいるって割り切ってるけどな。この前のテストとか国語めっちゃ自信あったのに満点の奴がいてもう諦めたよ。上には上がいるんだなって」

 「あー、ふーん……」


 なぜか藤井はニヤついていた。


 「さては国語満点って、藤井?」


 俺が尋ねると、藤井はニヤつきながら小さくコクリと頷いた。


 「まあなんとなくそうだろうと思ってたよ」

 「え、なんで?」

 「だって藤井、国語のテスト返された時めっちゃ嬉しそうだったもん」


 俺は藤井の斜め後ろの席なのでその様子をありありと伺うことができていた。藤井は俺に言われて顔を赤くしている。


 「まさか顔に出てたとは……」

 「実際すごいんだからいいだろ」

 「てかなんでそんなこと覚えてんの。なんか恥ずかしいからさっさと忘れて欲しいんだけど」

 「じゃあ忘れるよ」

 「うそくさ」


 藤井は頬を膨らませて怒っていた。俺は怒られているはずなのに、藤井のいつもと違う表情を見れて新鮮な気持ちだった。


 「なんか意外。川瀬って他人のこととかまったく興味ないのかと思ってたけど、案外他人のこと観察してるんだね」


 いきなりそんなことを言われ、俺は反論したくなる。


 「いやいや、たまたま嬉しそうな藤井が目に入っただけで観察とかしてないから」

 「でも少なくともその時の私の顔は覚えてるんでしょ?」

 「ま、まあ」

 「へー……」


 藤井は体を引いて疑うような目で俺のことを見てきた。


 「……なんだよ」

 「別にっ。川瀬はいつも何を考えてるんだろうなーって」

 「俺が何を考えてたってどうでもいいだろ」

 「うーん……、謎解きみたいな?」

 「は……?」

 「だって川瀬って謎だもん。掴みどころがないっていうかさ」

 「……はあ」


 謎というレッテルを貼られるのは初めてのことだった。はっきり言って違和感しかない。


 「……謎は謎のままなのかな」


 藤井は引いていた体を元に戻してそんなことを呟いた。


 「ま、少しくらい謎があった方が味が出るってもんだろ」

 「なにそれ」


 藤井はおかしそうに笑っていた。そんな藤井を見ていると、こっちまで顔が綻んできてしまう。


 「でも……」


 藤井はふと呟くと、しばらく間を置いた後、うつむき気味で続ける。


 「……謎のままは、ちょっと嫌かも」


 そう言う藤井の顔は少しだけ赤らんでいた。

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