第2話

 ──嫌な予感がした。


 予感と言うより、正確には予想と言うべきだろう。先程の「うちのクラスってまともな奴が、一人もいないからな」という発言が原因だ。


 本鈴のチャイムを聞きながら、伊織の瞳は不安げに揺れていた。心臓が迫り上がって来そうだ。重苦しい嫌な予想を振り払うように、教室の引き戸の前で、頭を振って、深呼吸する。


 深呼吸を終えると、生徒達が椅子を引く音や号令する声が扉越しに聞えて来た。


「おいっ御堂。入って来い」


 少しすると円堂先生から名前を呼ばれる。一瞬、逡巡するように、伸ばしかけた手を止めた後、


「失礼します」


 ガラガラと引き戸を引き、頭をゆっくりと垂れた。


 顔を上げると、伊織から見て右手には教壇と大黒板が見えた。能力開発特別支援学校のせいか、整然と並ぶ机は思ったより少ない。


 空席を含めた多くの机から視線が飛んで来る。好奇心と期待が綯い交ぜになった視線だ。「なんだ男か」という失望混じりの声を聞き流し、なるべく目を合わせないようにした。


「そんじゃあまぁ、お前らお待ちかねの編入生だ。御堂、こっちに来て軽く自己紹介を頼む」


 円堂は慣れた様子で声を掛けた。直立不動の伊織は、「はい」と返事を返しながら、教壇の近くまで歩く。教室の中央辺りに立った。


 改めて教室をざっと見渡すと、「まともじゃない」という発言のせいか、どいつもこいつも一癖も二癖もありそうな印象を受ける。面白がる奴、値踏みする奴、無関心な奴、きっと睨みつける奴などなど……


(ん?)


 一瞬、どこか見覚えがある奴を見た気がした。だが、確認する余裕もない。周りの視線の圧に促されるまま、


「み、みゅどう」


 思わず噛んでしまう。笑いが細波のように広がり、少し教室の空気が緩んだ。


「っうぅん!御堂伊織です。諸事情あってこちらに編入してきました。これからお世話になります」


 誤魔化すように、咳払いをした後、模範的な挨拶をした。誤魔化したつもりだったが、円堂はツボにはいったのか「噛んだな」と大笑いする。


 円堂の笑いに、伊織の顔が羞恥に染まる。疎らな拍手に混ざって「まどかちゃん笑い過ぎぃ」とか「可哀想だよ」と声が上がった。緊張した空気をより和やかに変える。


 拍手が引潮のように引くまで一頻り笑った後、円堂は悪びれた様子もなく、言葉を継いだ。


「わりい、わりい。つうか、編入生だから困ってることがあったら助けてやれよ」


 円堂が伊織を慮る口調で言い添える。


「よろしくお願いします」


 応じて伊織は再び頭を下げた。


「つうか、席は……うん。空いてるとこでいいか」


 円堂は窓際の席に視線を投げる。目配せを交わし、伊織に席に着くよう促した。

 

「はい」


 短く返事した後、窓側の机と机の間を進む。


 窓際一番後ろの席。その隣が伊織の席だ。すぐ近くまで来ると、窓際一番後ろの席に座る人物と目が合う。


「あっ」


 思わず伊織は声を漏らした。


 きっと睨みつける視線と風貌に覚えがあった。当たり前だ。ついさっき会ったばかりなのだから。


 名前は確か柊望美。伊織を逮捕し、ナンパの冤罪をなすりつけた、いけ好かない女だ。


「……」


「……」


 無言で睨み合いながら、伊織は内心でこう思った。


 やっぱり嫌な予感は当たるのだ。それもとびっきり最悪な形で──

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