第一章

第1話

 ようやく足が地に付いた。生活などが落ち着くという意味ではない。文字通りの意味だ。


 京宮本線けいきゅうほんせん寄越賀よこすか中央駅」から美笠桟橋みかささんばしへ向かい、船に揺られること約十五分。蜃気楼のように、統京とうきょう湾に浮かぶ島が見えて来る。


 只の島ではない。雪の結晶〈✻〉のように、中央の正六角形を中心に、それぞれ六方向に突き出した巨大人工浮島ギガフロート、合計七つの巨大人工浮島群メガフロートだ。


 臨界副都心クリティカルサブセンターにして、統京とうきょう第零番特区エリア・ゼロ絶界の出島アソシエーション・アイランド魔女アルカナ(女性の災能力者ハンドラの俗称)を集め、強制隔離封鎖する日之本ひのもと最大の幽郭都市セプタム・シティと様々な異名で知られる、この海上人工浮島都市エリジウムこそ伊織の目的地だ。


 伊織はどんよりと曇った梅雨空の下、潮風を浴びながら、ふらふらと船を降りた。そして足を地──コンクリートの桟橋──につけたという訳だ。


 船酔い気味というのもあるだろう。足が地につくという気分には程遠い。なにせ、新生活が待っているのだ。これから向かう場所を思えば、むしろ不安しかない。


 伊織はやや青ざめた顔で、周りを見渡した。だだっ広い殺風景な港だ。今にも降り出しそうな梅雨空の下、皆、ぞろぞろと歩いて行く。大きな黒いボストンバッグを背負い直すと、子牛が無理やり売られるように、伊織も続いた。しばらく行くと、バスの停留所が見えて来る。


 バスの停留所で列に並びながら、しばらく手持ち無沙汰になった。


 今まで上着ブレザーだったせいだろう。海軍式の学ランがしっくり来ないようだ。袖と襟そしてファスナーに白のラインが入っている。袖を通したばかりの制服のファスナーを直しながら、何気なく腕の裾から覗く腕環型移動通信機器〈腕環アクセス〉を見つめる。


 人為災害監視保護制度に基づき、災能力者ハンドラの保護観察の為、装着が義務付けられている保護観察機器プロベーション・デバイスだ。光沢のある円形のフォルムで、側面に◯や□等の簡素なボタンがあり、靈念力の観察記録モニタリングによる能力発動の監視の他、《靈脳空間インナースペース》上の靈的な存在状態を現世に重ねてレイヤード可視化する立体影像ホロウグラム通信等、基本的な機能も備えている。勿論、脈拍、血圧などの生命兆候バイタルサインや位置情報を送り、指定区域外に出ていないかも監視している。本来、居るはずの付き添いの保護観察官プロベーション・オフィサーがいないのはそういう訳だ。


 つらつらと詮無きことを考えていると、バスがやって来た。整理券を取りながら、乗り込む。しばらくするとバスが動き出した。


 揺られること三十分程。


「──次は希望きぼうヶ星学園ほしがくえん前。希望きぼうヶ星学園ほしがくえん前。お降りのお客様はお手近の降車ボタンでお知らせください」


 ウトウトと船を漕いでいた所、バスのアナウンスが鳴り響いた。降車ボタンのブザー音がすぐ近くで鳴る。はっと顔を上げると、バスのドアが開くところだった。


 伊織は「降ります、降ります!」と言いながら、予め用意した小銭と整理券を運賃箱に入れる。バスのステップを降りると、目の前には大きな建物群が広がっていた。


 能力開発特別支援学校「希望きぼうヶ星学園ほしがくえん」。


 能力開発訓練による矯正教育、社会復帰支援を掲げ、靈念障害(不要な靈念氣雑音ノイズにより、脳や体が起こす精神的、肉体的な正常機能の低下)を持つ靈的障害者いわゆる靈障者や2E(潜在的に高い災能力パンドラを持ちながら、靈念障害を抱える二重に例外の意味)等保護観察処分の児童・青少年に対する特別支援教育機関だ。


 その敷地は莫大な面積を誇り、統京とうきょうドーム約十〇個分というから驚きの広さだ。靈的障害は低年齢層に発症する為、初等部、中等部、高等部、大学に分かれた校舎はもとより、大学病院、図書館、商業施設と施設の充実ぶりは枚挙に暇が無い。


 全国の能力開発特別支援学校の中でも、徹底した能力主義で有名で、生徒は皆、顕在能力(具体的な課題遂行能力)のみならず、潜在能力、災能力取扱資格検定の知識、実地訓練、生活態度などにより査定され、督点とくてん、通称「ポイント」や督点ポイントに応じた特点ボーナスポイントの支給や校則違反に対しては減点、通称「罰点ばってん」が付けられる。この督点ポイント総合序列ランキングに応じて、生徒会等など運営組織の役職ポストや待遇(学食費用などの免除など)が変わる独自の制度を採っていることで知られる。


 それが希望きぼうヶ星学園ほしがくえん──伊織がこれから新生活を送る場所だ。


「……はぁ」


 その広さに驚きを通り越して溜め息をつく。格式が高そうな門は見るものを威圧し、伊織の漠然とした不安が形を成したようだ。


 想いとは対照的に門の向こう側には、緑がそこかしこにあった。銅像が置かれた噴水では、水飛沫が上がり、梅雨空にも関わらず、どこか牧歌的な風景を象っている。風景に溶け込むように、中世を思わせるレトロな雰囲気の煉瓦造の校舎が佇んでいた。


 気圧されたように、伊織は足を止める。その側を学園生が通り越していった。伊織も深呼吸した後、眦を決し歩き出そうとする。


「ちょっとそこの貴方」


 その瞬間を見計らったように声が掛かった。

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