パンドラXハンドラ

@ninxnin

序章

第0話

 ──嫌な予感がした。


 少年は名状しがたい何かを感じ、朝から落ち着かない気分を拭えなかった。

 

 東西統一後の統一日之本国とういつひのもとこく新東京、通称、統京とうきょう第十三番区エリア・サーティーンは、統京とうきょう西部に位置し、都心から付かず離れずの絶妙な距離にあった。第一番区エリア・ワンへ向かう中央線快速電車の停車駅──菖瀬谷あやせや駅の改札口から次々と人々が吐き出される。押し合いへし合いしながら、それぞれの通勤・通学へ向かった。


 その一人として、少年は肌に纏わりつく何かを振り払うように、身震いする。ソワソワと理由もなく、腕時計を確認した。


 時刻は八時五分を過ぎたばかり。腕時計から目を離し少年も綾並あやなみ学院高等学校へと続く歩道へと足を向ける。


 大通りの片側三車線の車道は、通勤の車で渋滞気味だ。車道の右側の歩道はユリノキが一定間隔で植樹され、オレンジ色の斑紋の黄緑色の花で、初夏の到来を彩っていた。


 ユリノキの木を横目に人波に流されるように、歩く。昨日の寝不足もあり、目をしょぼしょぼさせながら、やや覚束ない足取りだ。


 横断歩道を渡り、行き付けのラーメン屋を過ぎた。いつもの通学路、いつもの習慣、見慣れた光景──有り触れたいつもの日常のはずなのに。


 気の迷いを振り払うように、かぶりをそっと振る。サラサラと髪が揺れた。襟袖が白のラインで縁取られ、濃紺を基調とする上着ブレザーを着ている。臙脂色とベージュのネクタイを着け、チェックのスラックスを履いていた。長い睫毛、涼やかな瞳。顎の線が細く、全体的に中性的な優男という印象だ。


「──綾並あやなみ学院高等学校二年、御堂伊織みどういおりですね」


 不意に声を掛けられた。振り返ると、目の前に少女が立っている。


 人混みの中でも一際、目を引く少女だった。年齢は十代半ばだろう。年の割には静謐で硬質な印象だ。清潔に整えられたショートボブの黒髪は、前髪を斜めに切り揃えている。綿雪のようなきめ細かい白い肌は、玲瓏と冷徹さが同居するどこか雪女を想起させる風貌をしている。


 それより目を引くのはその物々しい格好だ。ライダーズジャケット風の白に青の線が入った戦闘服タクティカルスーツ。女性らしい曲線美を隠すように、外套コートを羽織っている。


 どこか剣呑な雰囲気を漂わせる少女だ。伊織は困惑の色を浮かべた。少女は感情の色を消し、無機質な声で告げる。


「災能力取扱・保持等取締法二十二条違反の容疑で同行を求める」


 どうやら嫌な予感は当たるものらしい。それもとびっきり最悪な形で──




☆☆☆


 一九七〇年代、アメリゴ合州国とソヴェート連邦との東西冷戦下、アメリゴ合州国は、極秘裏に星幽門計画アストラル・ゲート・プロジェクトを進め、苛烈な超能力開発競争の果てに、人間の脳に眠る神秘の扉を開いてしまう。だが、それは決して開けてはならない禁断の匣パンドラだった──


 ──災能力パンドラ


 其れは神々からの贈物パンドラいわゆる授かりものギフトを意味すると同時に、世界にありとあらゆる災厄をもたらす力。


 第二のフィラデルフィア実験こと星幽門臨界事変プロメテウスの災火は世界中に飛び火し、臨界クリティカル(物質が別の世界プレーンフェイズへと存在状態イグジスタンスが変化する境目)に伴う次元間の界相転移空間振動いわゆる《空震スペースクエイカー》が席巻した。相次ぐ《空震スペースクエイカー》の余震で臨界面が曖昧になり、半ば物質化マテリアライズした《焔霧質アストロゾル》が蔓延する。


 《焔霧質アストロゾル》は、精神アストラルに感染しながら、遺伝子レベルで肉体をも変異させ、彼ら星の世代アストロジェネレーションは個人の靈性・精神性の向上及び人間の身体、感覚、存在、認識の拡張により、太古の超人トランスヒューマン靈超類ホモ・デウス)への回帰を目指す超人回帰運動リトランスヒューマニズムや地球環境保護などを掲げた。いわゆる星の時代アストロエイジ運動により、世界は新たな変革パラダイムシフトを余儀なくされていく。


 七十年代から八十年代にかけて星の時代アストロエイジ科学サイエンスは、脳と脳を繋ぐブレイン靈子情報網ネットワーク靈脳空間インナースペース〉の研究を進めた。生命エネルギー〈靈氣オーラ〉が流れる際、思念エネルギー〈念氣サイ〉が発生する靈流念氣作用の法則を始め、靈脳空間インナースペースは、物質の概念イデアや形態形成に関わる源子イデオンで構成されること、臨界クリティカルの際、源子イデオンの振動としてカルマ(徳)エネルギーが発生するなど臨界現象クリティカルを扱う幽子力学ファントムメカニクスが急速に進歩していった。


 靈脳通信インナーコミュニケーションなど情報I能力A革命に端を発し、二〇〇一年には、カルト化した星の時代アストロエイジいわゆる超新星教団スーパーノヴァによる世界同時多発事変スーパーノヴァテロが発生。災能力パンドラを持つ者と持たざる者の差は、貧富から能力そして靈超類ホモ・デウス靈長類ホモ・サピエンスという種の対立に発展していった──


 そして麗和十一年の現在。両者は未だ戦いの渦中にあった。むしろ抗争は激化の一途を辿っていた。


 日之本ひのもとでも災能力パンドラによる人為災害事件が頻発し、国家超常事態宣言が発令された。能力因子の遺伝子情報を識別する為、国民遺伝子識別制度の導入後、超常事態いわゆる人為災害に対応する災防法が施行され、大規模な省庁改革が断行される。


 旧消防庁などを統合し、自然災害の予防、救急、救助だけでなく、人為災害たる災能力者の取締や災能力犯罪の捜査を管轄とする省庁こそ内務省災防庁だ。


 特別司法警察職員いわゆる特察として、警察とは別に人為災害の犯罪捜査や逮捕、差押、送検等を行う職業は、心を読む怪物にならって通称「さとり」と呼ばれる。その正式名称はこうだ。


「──申し遅れたが、こちらは人為災害取扱局、災能力取扱官ハンドラ柊望美ひいらぎのぞみだ」


 面食らう伊織を見据えながら、柊が姓名と職業を名乗った。切れ長の瞳に微かに険が混じり、思わず伊織はたじろぐ。


「……っあ!」


 焦りからか、一瞬、何かを言い掛けて言葉を詰まらせた。


 不意に水中に投げ込まれたような息苦しさを覚え、思わず後ずさると、


「──っ!」


 壁にぶつかった──そんな感覚に伊織の後退が止まる。反射的に振り返れば、四メートル程、離れた場所に男が立っていた。後ろに壁など勿論ない。


 年齢は三十代後半くらいか。はっきりした顔立ちによく似合う髭。筋骨隆々たる体躯は、頬の傷と相俟あいまって、男を歴戦の戦士たらしめていた。


 巌のような印象の一方で、鳶色の瞳は理知的な光を湛えている。男は柊と同じ白に青の線が入った戦闘服タクティカルスーツを着て、白の外套コートを羽織っていた。


 正式名は靈装機巧強化戦闘服〈災防具さいぼうぐ〉。靈氣伝導性の高い帯靈疑似皮膜コンダクション・スキンスーツ下着インナーとして生命力〈靈氣オーラ〉を機械・運動力〈けい〉に変換後、運動補助を行う強化戦闘服タクティカルパワードスーツだ。靈念波(生命の力場〈靈場バイオティックフィールド〉と思念の力場〈念場サイキックフィールド〉が影響し合いながら、空間を伝わる波)を反射・吸収する防靈性に加え、防刃・防弾性、難燃防水性を兼ね備えた白の外套、通称〈覇衣はごろも〉を羽織っている。


 男だけではない。いつの間にか、同じ格好の災能力取扱官ハンドラに囲まれていた。


 これだけの騒ぎだ。野次馬で人集りが出来るはずなのに、潮が引いたように、人が消えている。


「……」 


 身に覚えのない容疑に始まり、見えない壁に、消えた野次馬と、湧き出す疑問符に頭が埋め尽くされ、


「返事がないが、従うつもりがあるのか?抵抗するなら容赦はしないが」


 沈思黙考する伊織に柊が少し苛立ちを含め、言い募る。威圧を含む言い方に引きずられるように、憮然とした表情で舌から言葉が滑り落ちた。


「……俺は無能系ノーマルだ。いきなり一体何なんだ、あんた達」


「私が聞いてるのは同行するのか、どうかだ」


 柊のにべもない言い方に、空気が緊張を孕む。割り込むように、男がざっくばらんな口調で口を挟んだ。


 ウルフカットにピアス。痩せて長身。目に稚気とヘラヘラとした笑みを湛え、捉えどころがない。軽薄を絵に描いたような男だ。


「おい、おい、ブルーさあ」


「なんですか?ブルーって?」


「現場じゃあ暗号名コードネームを使うのがセオリーしょっ?」


 軽くおどけてみせる男に

柊の柳眉がピクッと跳ねかける。


「私の呼称番号コードはハンドラ5です。勝手に変な暗号名コードネームつけないでください。ついでに死んでください


「ひでぇ!?」


 一瞬、傷ついたように、男は渋面を作る。すかさずこれみよがしにため息をついた後、


「って戦隊モノじゃあ色を暗号名コードネームとするのが、普通っしょ?ゴーゴーレンジャーとかさぁ。あっ、やっぱ紅一点のピンクが、よかった?」


 滔々と語り出す。さも当然と言いたげな態度に、柊の辟易した表情が、あからさまな半目に変わった。


 二人をよそに、伊織は所在なさげに曖昧な笑みを浮かべた、その時だ。


「──御堂伊織、もし時限爆弾が仕掛けられてるのに気づかずに歩いてる人を見たらどう思う?」


 見るに見兼ねたのか、巌のような男が口を挟む。何か言いたげな柊を無視して、伊織に水を向けた。噛んで含めるような低く厳かな声だ。


 婉曲的な言い回しに、一瞬、伊織は真意を推し測るように、目を眇める。直ぐ様、瞳は理解の色に塗り変えられた。


「今の君は正にそんな状態だ。勿論、分かるつもりだ。君は、何も犯罪など犯していない、少なくとも君の意志では。そう、ただ災能力パンドラ保持ホールドしているだけだ。君は悪くない。だが、意識的にせよ、無意識にせよ、自分も含め周りに危険を及ぼす可能性がある以上──」


 そこで一旦言葉を置いた後、


「我々は君を保護しなければならない」


 厳かに告げた。伊織は男の醸し出す雰囲気に呑まれたように、唾をゴクリと飲み込んだ後、


「……分かりました。同行します」


 渋々ながらも、返事を返した。それを潮に、張り詰めた空気が緩む。


 ここぞとばかりに、災能力取扱官ハンドラ達が、伊織に近寄り、腕を取った。柊や他の二人と共に、促されるまま、特科車輌へと乗り込む。


「いやぁさすがっす、レッドっすね。処理班のリーダーっす」


 殿を務めるように、残った巌のような男へチャラ風の男が声を掛けた。さも感銘を受けたという風だ。


 気がつけば周りはいつもの日常風景を取り戻していた。車の騒音。学生達の取り留めのない会話。様々な喧騒が渾然一体となって、忙しい朝を彩る。

 

 男はそんな日常風景を名残惜しむように、見つめた。煩わしげに、薄ら笑いを浮かべるチャラ男を一瞥する。


レッドはやめろ。蓮二。俺は災能Pandora力処Ordinance理班 Division班長だ。それより、柊はどうだ?」


「ひーらぎちゃんねえ。まぁ非常勤にしてはよくやってますよ」


「しかし、上は何考えてんすかねぇ。まだ学生っしょ?彼女」

 

「学生って言ってもただの学生ではないが……それよりそろそろ行くぞ」

 

 話をぴしゃりと打ち切ると、二台目の特科車輌に運転席へ乗り込んだ。チャラい風の男も肩を竦めた後、特科車輌の助手席に乗り込む。


 やがて二台の特科車輌は喧騒へ紛れ、見えなくなった。

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