パンドラXハンドラ
@ninxnin
序章
第0話
──嫌な予感がした。
少年は名状しがたい何かを感じ、朝から落ち着かない気分を拭えなかった。
東西統一後の
その一人として、少年は肌に纏わりつく何かを振り払うように、身震いする。ソワソワと理由もなく、腕時計を確認した。
時刻は八時五分を過ぎたばかり。腕時計から目を離し少年も
大通りの片側三車線の車道は、通勤の車で渋滞気味だ。車道の右側の歩道はユリノキが一定間隔で植樹され、オレンジ色の斑紋の黄緑色の花で、初夏の到来を彩っていた。
ユリノキの木を横目に人波に流されるように、歩く。昨日の寝不足もあり、目をしょぼしょぼさせながら、やや覚束ない足取りだ。
横断歩道を渡り、行き付けのラーメン屋を過ぎた。いつもの通学路、いつもの習慣、見慣れた光景──有り触れたいつもの日常のはずなのに。
気の迷いを振り払うように、
「──
不意に声を掛けられた。振り返ると、目の前に少女が立っている。
人混みの中でも一際、目を引く少女だった。年齢は十代半ばだろう。年の割には静謐で硬質な印象だ。清潔に整えられたショートボブの黒髪は、前髪を斜めに切り揃えている。綿雪のようなきめ細かい白い肌は、玲瓏と冷徹さが同居するどこか雪女を想起させる風貌をしている。
それより目を引くのはその物々しい格好だ。ライダーズジャケット風の白に青の線が入った
どこか剣呑な雰囲気を漂わせる少女だ。伊織は困惑の色を浮かべた。少女は感情の色を消し、無機質な声で告げる。
「災能力取扱・保持等取締法二十二条違反の容疑で同行を求める」
どうやら嫌な予感は当たるものらしい。それもとびっきり最悪な形で──
☆☆☆
一九七〇年代、アメリゴ合州国とソヴェート連邦との東西冷戦下、アメリゴ合州国は、極秘裏に
──
其れは
第二のフィラデルフィア実験こと
《
七十年代から八十年代にかけて
そして麗和十一年の現在。両者は未だ戦いの渦中にあった。むしろ抗争は激化の一途を辿っていた。
旧消防庁などを統合し、自然災害の予防、救急、救助だけでなく、人為災害たる災能力者の取締や災能力犯罪の捜査を管轄とする省庁こそ内務省災防庁だ。
特別司法警察職員いわゆる特察として、警察とは別に人為災害の犯罪捜査や逮捕、差押、送検等を行う職業は、心を読む怪物に
「──申し遅れたが、こちらは人為災害取扱局、
面食らう伊織を見据えながら、柊が姓名と職業を名乗った。切れ長の瞳に微かに険が混じり、思わず伊織はたじろぐ。
「……っあ!」
焦りからか、一瞬、何かを言い掛けて言葉を詰まらせた。
不意に水中に投げ込まれたような息苦しさを覚え、思わず後ずさると、
「──っ!」
壁にぶつかった──そんな感覚に伊織の後退が止まる。反射的に振り返れば、四メートル程、離れた場所に男が立っていた。後ろに壁など勿論ない。
年齢は三十代後半くらいか。はっきりした顔立ちによく似合う髭。筋骨隆々たる体躯は、頬の傷と
巌のような印象の一方で、鳶色の瞳は理知的な光を湛えている。男は柊と同じ白に青の線が入った
正式名は靈装機巧強化戦闘服〈
男だけではない。いつの間にか、同じ格好の
これだけの騒ぎだ。野次馬で人集りが出来るはずなのに、潮が引いたように、人が消えている。
「……」
身に覚えのない容疑に始まり、見えない壁に、消えた野次馬と、湧き出す疑問符に頭が埋め尽くされ、
「返事がないが、従うつもりがあるのか?抵抗するなら容赦はしないが」
沈思黙考する伊織に柊が少し苛立ちを含め、言い募る。威圧を含む言い方に引きずられるように、憮然とした表情で舌から言葉が滑り落ちた。
「……俺は
「私が聞いてるのは同行するのか、どうかだ」
柊のにべもない言い方に、空気が緊張を孕む。割り込むように、男がざっくばらんな口調で口を挟んだ。
ウルフカットにピアス。痩せて長身。目に稚気とヘラヘラとした笑みを湛え、捉えどころがない。軽薄を絵に描いたような男だ。
「おい、おい、
「なんですか?
「現場じゃあ
軽くおどけてみせる男に
柊の柳眉がピクッと跳ねかける。
「私の
」
「ひでぇ!?」
一瞬、傷ついたように、男は渋面を作る。すかさずこれみよがしにため息をついた後、
「って戦隊モノじゃあ色を
滔々と語り出す。さも当然と言いたげな態度に、柊の辟易した表情が、あからさまな半目に変わった。
二人をよそに、伊織は所在なさげに曖昧な笑みを浮かべた、その時だ。
「──御堂伊織、もし時限爆弾が仕掛けられてるのに気づかずに歩いてる人を見たらどう思う?」
見るに見兼ねたのか、巌のような男が口を挟む。何か言いたげな柊を無視して、伊織に水を向けた。噛んで含めるような低く厳かな声だ。
婉曲的な言い回しに、一瞬、伊織は真意を推し測るように、目を眇める。直ぐ様、瞳は理解の色に塗り変えられた。
「今の君は正にそんな状態だ。勿論、分かるつもりだ。君は、何も犯罪など犯していない、少なくとも君の意志では。そう、ただ
そこで一旦言葉を置いた後、
「我々は君を保護しなければならない」
厳かに告げた。伊織は男の醸し出す雰囲気に呑まれたように、唾をゴクリと飲み込んだ後、
「……分かりました。同行します」
渋々ながらも、返事を返した。それを潮に、張り詰めた空気が緩む。
ここぞとばかりに、
「いやぁさすがっす、
殿を務めるように、残った巌のような男へチャラ風の男が声を掛けた。さも感銘を受けたという風だ。
気がつけば周りはいつもの日常風景を取り戻していた。車の騒音。学生達の取り留めのない会話。様々な喧騒が渾然一体となって、忙しい朝を彩る。
男はそんな日常風景を名残惜しむように、見つめた。煩わしげに、薄ら笑いを浮かべるチャラ男を一瞥する。
「
「ひーらぎちゃんねえ。まぁ非常勤にしてはよくやってますよ」
「しかし、上は何考えてんすかねぇ。まだ学生っしょ?彼女」
「学生って言ってもただの学生ではないが……それよりそろそろ行くぞ」
話をぴしゃりと打ち切ると、二台目の特科車輌に運転席へ乗り込んだ。チャラい風の男も肩を竦めた後、特科車輌の助手席に乗り込む。
やがて二台の特科車輌は喧騒へ紛れ、見えなくなった。
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