七月二十六日(胸) 「知の檻」

亜暦三三六年 七月二十六日(胸)


外ノ世界。旅人と出会ってから十日目。

 初日に旅人が言っていた、暇じゃないの意味が最近ようやく分かるようになってきた。今、彼は何をしているのかと言うと……以前、フタワが言っていた「赤黒い道」が何なのかを調るための情報集めだ。

 俺や旅人は元々、此方側の世界に居た。だが、何らかの要因(これは恐らく、極人機関絡み)によって、連れてこられた。だから、俺達が見聞きしていた文化や歴史……何なら、今が亜暦三三六年だというのも嘘の可能性がある。

(……外ノ世界の崩壊、そしてそれに続く亜球への移動……それがほんの僅かな間隔で起きた可能性だってある……)

 要するに、俺達の希望は未だ捨てた物じゃない。もしかしたら、まだ機能している施設や肉機械じゃない、本物の機械があるかもしれない。……そうだ。きっと、赤黒い道とは外にある生命生成装置なのだ。そして、フタワはそこから亜球へと辿り着いてしまったのだ。もし、それを解明出来れば、俺達から自由な発想を奪った極人機関に仕返しが、いや……それより、人類の崩壊を防げるはずだ。なのに……。

「……へぇ。脳神経に直接、映像をねぇ。……成る程、脳に電気刺激を与え?その反射を眼球に投影する訳か……そして、その電気信号を増幅し、電力に。んで、余ったエネルギーは“本体”の表面加工に回す。完全に機能が終わる頃には、あの土捏ね人形が出来上がるって訳か。……そうやって夢を見続けるってどんな気分なんだろうな?……なぁ、マグロ?」

「……さあな」

 この旅人という男は、全く事態の解決や、本題の赤黒い道を探そうとはしない。それどころか、自身の知識欲を満たすのに忙しい、とでも言いたげだ。勿論、俺もそれを良しとするわけもなく、今日に至るまでずっと旅人に抗議している。しかし、彼の耳には届かない様で……俺が今日も文句の一つでも溢してやろうかと悩んでいると、彼は思いついた様に手を叩いた。

「この前に書いていたヤツによればだがな?この文明にもな、死を弔う文化が無いらしいんだよ。その代わりがコレなのかもな……うちは肉機械、此処は土捏ね人形……人ってあまり、進歩しないのだろうね?」

「……ッ!進歩が無いのはお前だ、旅人!!いつまで、こんな時計塔と廃屋を往復する日々を繰り返すんだ!!……亜球に戻るのであれば、人類消滅を解決する方法を探せ!!そうでないなら、フタワの為に赤黒い道を探せ!!」

 俺は旅人に向かって叫んだ。しかし、彼はキョトンとした顔で俺を見た後、あろうことか笑い始めた。そもそもの話、俺はコイツの事を買い被り過ぎていたらしい。妙に大人ぶっていて、他人と違う所に惹かれて着いてきてしまったが、間違いだった。俺は……フタワに着いて行った旅人と同じ間違いをした。何か自分には無い何かを与えてくれると思い込んでしまった。与えて貰おうとするばかりで、その本質を見ようともしなかった……コイツはただ、フタワに惚れ込んだだけで……ツツミの様に自由や愛を願う気持ちなど無かったし、ネモトの様に機械のパーツとして生き続けようともしなかった。早い話……コイツは俺と同じで身勝手だったんだ。何となく、刺激が欲しかっただけなんだ。

 俺がそう考えていると旅人は一しきり笑ってから言った。

「どうして、私がそんな事、しなくちゃいけないんだ?……私にそんな義理はない。逆に私はね、君が心配だよ」

「俺が……心配?」

「ああ、そうだとも。君はちょいと夢を見ている。私は此処に来てまだ二週間に達するかどうかだが、既に我々が袋小路に居ると結論付けるには、充分な成果を得た。人類の救済?外の文明の技術?……そんな物はあるものか。赤黒い道も全て幻想だ……外には無い。外にあるのは知識だけだ。知識は何よりも代え難い力となる。私の欲を満たしてくれる……君も享受したらどうだ」

 旅人はそう言って、部屋の隅に置いてあった木製の箱からチョコレートを一個取り出して口にした。

「外に有るのは、こういった趣向品の類だけだ。……う〜ん、後でフタワにもやらんとな……」

「ふ、ふざけるな……だったら、フタワは何処から来たんだ?俺達は何処から来たんだ?……赤黒い道だって、そうだ……自由に生きる術を教えたのはお前なんだぞ……教えてくれよ……俺は、どうしたらいい……?」

 俺がそう言うと、彼は「そんなに外が気になるかい?」と言って、わざとらしく小首を傾げた。

「良いよ……教えてあげよう。フタワはね、きっと亜球の上層に位置する……極人機関の人体生成施設から来たんだと思う。赤黒い道とはもう使われていない旧式の人体生成施設なんだよ……そこで産まれる人間は、必要の無い物を持って産まれるから……だから、封鎖された」

「必要の無い物……?何だ、それ。フタワは澱むし、普通の人間に見えるじゃないか」

「でも、人間を産み出せる。──増やせるんだ」

「増やせる……?ど、どうして極人機関はそれを要らないって言うんだ?……俺は、その力を必要とされたのに」

旅人は「ふむ」とだけ呟いて、長椅子からフタワが眠る舞台の方へ座り直した。

「当初の人間……外ノ世界の人間から随分経ったからね。当初の方針を忘れたのかもな……亜球へ移り住んだばかりの人間は、「増える」ことが個々の役割を奪い、人を自由の檻へ追いやったと考えた……らしい。少なくとも、歴史書にはそう書いてある。だから、人口を調整出来るように全て生成するようにし、役割の無い人間が産まれない様に、肉機械という受け皿を与えた。……それでも、人は寄る辺が無ければ生きられないから……」

「極人機関を作った……倫理を決定付ける物を……」俺がそう言うと、彼は頷いた。

「つまり、私の求めていた物は全て。あの亜球を作る為に捧げられたのさ……認めたくは無いが、私が漠然と信じていた自由は全てあそこに在って……私が信じたかった刺激に満ちたフタワの見た世界も……あそこに在るのだ」と、旅人はそう締め括った。

 俺は彼の話を黙って聞いていたが……ある点に引っかかりを覚えた。

「なぁ……じゃあ、どうしてフタワは赤黒い道へ行きたいと言い出さないんだ?……亜球に戻れば、在るんだろ。君の推測では」

「……ん?それはな……」彼はそう言ってから寝転がると、フタワの顔を見た。彼女は薄ら笑いを浮かべたまま表情を固めていた。

「私が何も言ってないからだよ。……言っても、今の肉機械スレスレの彼女では理解できないだろうしね。もう、私は良いんだ。疲れた。……私は此処で、色んな物を学んでいたい。充分、満ち足りているからね。……もう、漠然と仕事をする日々は辞めだ。女が恋しくなれば、フタワを愛すよ」

 俺は旅人の言葉を聞いて、冷たくなった舞台への石階段を駆け上がる。そして、フタワを抱き起こして言った。

「なぁ、フタワ……旅人の側にいちゃ駄目だ……今は何も分からなくて良いよ……でもな……アイツはお前をモノにしたいだけなんだよ……」

 しかし、彼女は何も答えない。その眼には何も映らないし、何なら俺の姿すら見えていないのかもしれない。ただ、薄ら笑いを浮かべているだけ。

「辞めてやれ。彼女は寝てるんだ……また、元気に駆け回っているのも見てみたいが、そうすれば面倒になる……だから、今の様にギリギリ意識を保ってる程度で良いんだ。私はそれで幸せだ……フタワが居ればいい……彼女は自由に取り憑かれてる……誰かが止めてやらねばならなかったんだよ」

 旅人は俺と入れ替わるように舞台に立ち上がると、フタワを抱き締めてそう言った。

「フタワ……一緒にいつまでも此処で時計塔の音を聞いていよう……亜球の人間にはこの良さは分からない。我々だけの秘密だ」

 旅人は薄ら笑いを浮かべるフタワの口元を、ぐにぐにと粘土を捏ねるように動かすと……そのまま、彼女の身体を長椅子へと横たわらせた。

 俺はその様をただ黙って見ていた。意外にも、心境は冷ややかな物だった。何方にも、執着しなくなったからかもしれない。

「なぁ、マグロ。君も此処に居れば良いじゃないか。……何なら、君も一緒にフタワを愛そう」

 旅人はそう言うと、俺の前に立った。そして、俺の肩を掴むと……フタワにも似た薄ら笑いを浮かべた。

「……私は君に友情を感じている。少し青臭いが、同じ理想を抱いた事もある。なに、時間は充分にあるんだ。今は、私の言葉など理解出来なくていい……時期に分かる。だから、ゆっくり弛緩していけば良い……フタワは所詮、古びた世界しか知らぬ人間だったんだ……その神秘性に我々は騙されたに過ぎない……古代の遺跡の表面を指で撫でて、想いを馳せていたに過ぎない……でも、愚かに思うことは無い。避けられぬ事だったんだ……皆んな、口にしないだけで、無味乾燥なプレス機めいた生活にずっと違和感を感じていた……フタワはそれに火を付けてくれたんだ。お陰で、我々は知恵を得て……意を唱えて、此処で誰に従うでも無く、自分の事を考えられるようになった。ツツミやハザマの様な妄信じゃない……本当の自分の意志で。……それで、良いじゃないか?亜球の連中は気狂いと言って見下すだろう……でも、それで良いじゃないか?……なぁ、マグロ?」

 俺は旅人の言葉を聞きながら、目を閉じた。そして、想像した……これからの事を。だが、何度考えたって既に自分の居る場所がもう行き止まりであるという事を告げてくるだけで……答は一向に見いだせない。

 俺は旅人の言葉を聞いて、静かに言った。

「なあ……俺、もう分からないよ……」

「ああ、私もだ」旅人は確かめる様に、「私も」と繰り返した。

「だけど、自分の事しか考えれなくなるのって良い事なのか……教えてくれよ。俺には他の誰より、お前が妄信してる様に見える」

 俺がそう言うと、彼は「良い事さ。心からそう思う」とだけ呟く。そして、続けて言った。

「私達の世界では、人はやっぱり亜球という巨大な人体の細胞に過ぎない。細胞が死のうと母体には関係ない。だから、母体が死のうと細胞にとっては関係がない……勿論、細胞には意志はなく、ただ言われた事をやっていれば存在を許される……我々は細胞の集合体。だから、意識は全と個という二つの客体の元で存在する……全の倫理でいるのが辛いのであれば、個の倫理に従えばいい。それだって君の本質なんだから」

 旅人はそう言いながらフタワの身体を起こした。フタワの口から力無く涎が垂れてきていた。

「……だから、フタワと快楽に全てを委ねたまえ。どうせ、我々はそう永くない……他を考えたってしょうがない」

 彼がそう言うと、フタワは「うー」とだけ唸って……また目を閉じた。俺は黙ってそれを見ているしか無かった。


***

 つまり、彼は彼の思う自分らしさを維持する為に歩みを止める事にした。どうやら、俺が目指した奴はもう居ないらしい。所詮、青臭い理想だったようだ……俺はこれから時計塔の告げる刻を聴きながら朽ちてゆくのだろう。果たして、俺の瞳には何が映っているのか。涙も無い。全てはもう終わったのだろう……亜球も、自由も、フタワも。もう行き止まりだ。

 俺が長椅子の上に戻ると、フタワは身体を起こして、薄ら笑いを浮かべながら俺の手を握ったり離したりして遊びだした。その様子が何だか可笑しくて、思わず笑ってしまった。すると、彼女もそれにつられた様に笑った。

「……君が俺達に違和感を植えたんだぞ。笑っていい身分じゃないだろ」

俺がそう言うと、彼女はパッと笑顔を消して俺を伺うと、また薄気味悪い笑顔を浮かべた。

「忍びないな……なぁ、フタワ?俺はもう終わりにしたい……だから……」

 俺はフタワの頭を二、三度撫で付けて、それから耳打ちした。

「赤黒い道へ連れてってやるよ」

フタワはにんまりと笑い掛けると、俺の手をより強く握り込んだ。

薄らと傷が浮かんだその細腕で。

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或ル旅人ノ記録 きめら出力機 @kakuai01

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