第三章「外ノ世界 通称「女神が微笑む場所」にて」

七月七日(外) 「収斂進化史」

亜暦三三六年 七月七日(外)

 『預けるものが無い人生は退屈だ』

──以前、奴はそう言っていたが、今となっては俺も同じ様に思っている。

ここ数日という短い期間で俺の心は随分と亜徒に近付いてしまったらしい。

俺の心はすっかり空洞であった。

「ただ、彼に会いたい。彼は俺を認めてくれた。俺は彼に友情を感じている」

極人として組織に尽くしてきた心を癒す様に、そう口にしてみるが、鏡に映る哀れな姿が俺を否定する。

血管を透かす美しい肌。艶やかに潤んだ瞳に、スラリと伸びた黒髪。そして、女である事を僅かに主張する胸の膨らみ。

自分の考える物が決して友情などではない、と嘲笑っている様に思えた。

「俺は……男だよ、畜生」

そう呟くと、扉をコンコンと叩く音が聞こえてきた。音の主はヤンだろう。

俺は「今、行きます」と言って、クローゼットから選んだ青い着物を羽織ると扉を開けた。ヤンは此方を覗き込む様にして俺の顔を見ると安堵した様子で「おいでませ、マグロちゃん」と俺を部屋の外へと招き入れた。

俺は内心、煮え繰り返っていた。

昔から俺を“ちゃん”なんて呼ぶ奴は馬鹿にしてくる奴しか居なかったからだ。

“ちゃん”とは「女みたいな顔だから」、「女みたいな身体だから」と言って俺を馬鹿にしてくる奴が使う常套句であった。

そう言われる度に、俺は行き場のない怒りと切なさに包まれて「いっそ女に生まれていたら良かった」と思ったが、今それは現実になってしまった。

(本当に俺はこんな事を望んだのか)

どうしてこんな姿に澱みたいと思ったのか。

俺はその問いを旅人を見送ったあの日からずっと考えていたが、奴の姿を思い出すばかりで、これと言った収穫は無かった。

そうこうしている内に、研修室まで来てしまった。

ヤンは俺を椅子に座らせると、奥から本、資料、勉強道具を連れて目の前に現れた。手には虫のつがいが入った虫籠を持っている。

「今日も極人機関の為に勉強をしよう、マグロちゃん」

ヤンはそう言うと虫籠を机に置き、二匹の虫の交尾を注意深く見る様に促した。俺はそれに「はい」と力無く答え、醜悪な交尾の様子を眺めていた。

「これが精子の出口で……ここを通る事で卵子の元まで行くんだよ……」ヤンは機械的に話している。俺は何も言わず、その行為を記憶する。

多種多様の生物、時には人間の交尾の様子を見る。そんな日々を俺はあの日からずっと義務付けられていた。


***

 旅人とフタワを見送った後、俺は女の姿に澱んだ事を極人機関に報告した。

役員は報告に来た俺の姿に酷く驚いた様だったが、すぐに俺の利用価値に気付いたと言って、極人機関の深部へと俺を引き入れてくれた。

「極人たるマグロよ、でかしたぞ」

全ての極人の長たるネモト様は俺の姿を見ると、開口一番そう俺を称えた。当時の俺はその意味が分からなかった。

『極人は肉機械を司る者であり、決して肉機械の様に澱んではならぬ』と亜徒の葬列に書いてあったからだ。

俺は疑問に思ってネモト様に「お、じゃない……私は何か良い事をしたのでしょうか?」と聞くと、彼は一冊の分厚い本を差し出してきた。

俺はそれを受け取って適当なページを捲ってみたが……書いてある意味は分からなかった。

「それは伽羅盤が外の世界で取ってきた歴史書だ。これによれば外の人類は進化の末に諸機能を失い、緩やかな終末を迎えたらしい」

ネモト様はそう言って俺に本を手渡した後に、「私は外を研究する事に躍起になっていた。偉大な先人から学ぶ事もあるだろうからね」と続けた。

「学ぶ事……ですか」

俺がそう返すと、ネモト様はこくりと頷いてから話を始めた。

「ああ。外の人類は我々には到底、作れない素晴らしき文明を築いていた。だが、滅びてしまった。厳密に言えば、まだ滅びてはいないが、滅びていると見ても良いだろう。現に、我々の侵略を止める事も認識する事も出来ていない。いわば、永遠に夢を生きる事にしたのだよ」

ネモト様はそれから、淡々と歴史書譲りの外の世界を語り出した。


***

 ネモト様が言うには、生物は絶えず成長する為の進化を続ける物らしい。俺達が澱む様になったのもその進化の一環だ。

だが、俺達の進化の意図は進化自体を食い止める事が目的だと言う。

これ以上、成長しない様に。

対して、外の世界の人類は盲目的に進化を繰り返したそうだ。技術を進化させ、娯楽を進化させ、挙句に自分自身さえも。

最終的に外の人類は三度の戦争を経験した末に、闘争を忘れるべく夢を見る事に特化した土人形の様な姿にまで退化していった。

遺されたのは記録と、大地に根差したまま永遠に夢を見る生物の紛い物だけだ。

「そして、緩やかな崩壊から逃れた一部人類は有機的な外壁と人類の生産装置を作った。それが亜球だ。だが彼等は文明技術の殆どを封印した。お陰で、三三六年経った今でも亜球は分からない事ばかり。肉機械のシステムだってその時に造られた物だ。「罪」という概念を産まれたばかりの我々に植え付ける為に必要だったのだろう。まぁ、全て彼等の思い通りとはいかなかったが……」

ネモト様がそう言うと、見た事のない黒い液体をコップに注いだ。

俺がそれを眺めていると「コーヒーだ。外の人はよくこれを呑んでいたよ」と彼は言った。

「話は戻るが……彼等の思い通りにならなかったものは二つある。一つは「罪」に対する「罰」の重さだ。澱めば人外になると言えば確かに忌避すべき事の様に思うが、社会が、信仰が出来れば人外になる恐怖が減るだろう。さすれば、罰どころか便利なモノになるばかりだ。まったく、彼等は何故、自分達が滅んだのかを理解出来なかったのだろうか……抑える力など人類感が共有する集合意識の前には無力だというのに。もう一つは……此処が無限ではないという事だ」

ネモト様はそう言うと、目の前に置かれたコーヒーを見つめて黙り込む。

俺も倣ってはみるが目の前にはただ机があるばかりだ。

「無限ではない……」

「ああ、そうだ。亜球は男も女も生産し続けていた。だが、その生産装置はもう限界なのだ。それに、外の資料によれば人類は生産装置などなくともその個体数を続けていたらしい。もっとも、我々にはそれが出来ないのだ。真似事は出来ても生産は出来ない……」

「何故ですか」

「生産装置で造られる女は澱みを癒す力しかない。子は宿せないのだ……いずれ、亜球全体の仕組みが分かる日は来るだろう。……しかし、その時代まで人類は存在出来ない!我々は二十ヵ年しか生きれないのに!!あぁ、先人達よ……何故、新しき人類に時間を与えてくださらなかったのですか……」ネモト様がそう言うと、涙を地面に落とした。俺は突然の出来事に吃驚してオロオロと辺りを見渡すばかりだ。

「すまない。つい、気が高ぶってしまった」

ネモト様は涙を拭った後にそう言ったが、その涙は止んでいなかった。

しかし、彼は淡々とした表情で「だが、それも昨日までの事だ」

「え?」

俺はその異様さに思わず、素っ頓狂な声を上げてしまう。ツツミはそれに目もくれず、俺の目の前に立ちあがって口を開くとこういった。

「君がいる。君はこの世界で最も自然な女性だ。水を湯に変える力も無く、澱みを癒せもしない。研究が進めば、いずれ人体をその身に宿せるだろう」

「つまり……」俺は聞き返した。ツツミは頷くと、さらに言葉を続ける。

「君はこの世界で最も完成された女性だ」

彼の言葉に俺は何も言い返せず、ただ震える瞳で彼を見つめていた。そんな俺に向かって、彼は冷淡に言った。

「……さぁ、そろそろ世界を救う準備をしよう。私は早く見たいよ。君が新たな世界の女神となる瞬間を、私達が人類を繋ぐ瞬間を。大丈夫……何人か子供が産まれたら、君にだって休める日が来るよ。……ねぇ、マグロちゃん?」

彼はそう言って、俺を抱き寄せた。

俺は彼の胸に抱かれながら、ただ震える事しか出来ない。


***

 そうして、俺は女らしさを学ぶ為に罪滅泉の一室で一人の湯女として過ごしている。と言ってもまだ客は取ったことがないし、俺は特別だから今後も客は取らないだろう。

男であった頃は初心が故に女体に夢中だったのに、今となってはなんとも思えない。寧ろ、仲間の様に思ってしまっている。

最近は意識しなくても「私」と言う様になってきてしまっているし、俺は段々と「ネモトが望む物」になっているらしい。

俺自身、なんだか悪い気はしない。昔は仲間と自分を比べる事が嫌で仕方なかったが……今となってみれば随分と落ち着いてしまっている。

そのせいか、最近は同室の湯女「モミジ」と恋バナをする様になっていた。彼女は根が明るくて、笑いながら俺の話を聞いてくれる。

彼女の澱んだ猫の目が笑みで薄くなるのを見ると、俺も心が安らいでくる。彼女は良く俺を抱擁しては小さな温もりを分け与えてくれた。

俺はそんな彼女の優しさに、彼女の為に何かしたいと思った。だけど、俺に出来ることはない。接客から帰ってきた彼女を見て「ああ、今日もまた随分と澱みが進行したもんだね」と思うことしか出来ないのだ。

──旅人やモミジは好きだ。

だけど、ネモトも極人機関もどうでも良くなってる気がする。

それどころか人類が滅んだって良いのかもしれない。

俺の双肩にかかるしかない様な世界だ。そんな歪んだ世界なんて要らない。

でも、モミジに悪いとも思う。

彼女は世界に俺が必要だから優しくしてくれるのだ。

そうでなければ俺なんかに優しくする意味は無い。

「決める力が欲しい……私は男、男なんだよぉ……」

俺は今日もモミジの無事を、澱みの回復を願って手を組んで祈りを捧げる。

だが、そんな時でも頭の中は、あの時の目を伏した旅人の姿で一杯だ。

どうも、私はそういう女になってしまったらしい。

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