七月十五日(肛) 「外ノ世界」
亜暦三三六年 七月十五日(肛)
旗が付いた少女から教えられた道を私はフタワの手を取りながら歩いていた。
周りを見渡せば、至る所に黒々と変色した肉塊が落ちている。壁にこびり付いた油だったのかもしれないが、私には関係がない。
目一杯詰め込んだそれの中には幾つもの臓器が詰まっている。そのどれもこれもが腐ってはいないし、まだ生きている様にも見えた。
「フタワ。肉機械が沢山転がっている……踏んじゃ駄目だよ」
私はそんな肉塊を踏まない様にしながらフタワの手を引いていた。彼女は相変わらず言葉一つ発さず、ただ私の後をついて来るだけだった。
しかし、彼女の足取りは軽かったので、きっと楽しんでいるのだろうと思う事にした。その方がずっと気分が良い。
暫く歩いていると、薄暗いトンネルが見えてきた。第四区画に来る際に通ったトンネルよりずっと古いように見える。
以前、ハザマと抜け穴について語った時に描いた想像よりもずっと薄汚い。やっぱり、こう遠くだと修理が行き届いていないのだろう。
「もしくは、機械の壁を直せるだけの技術が無いのかな」
「そうなのかな……肉機械を詰めれば直せると思う、これぐらいなら」
「ふむ……じゃあ、そこまでする価値も無いんだろうね」
私がそう言うと、フタワは納得した様に頷いてみせる。そして、黙々と可愛らしい足跡を私の後に遺していく。
そんな調子でトンネルを潜ると、大きな縦穴がぽっかりと斜めに口を開けているのが見えた。
階段状になっているそれは、高さもかなりあるようで外の様子がまったく見えない。ただ、真っ暗闇を覗かせるだけだ。
その穴の側に立つと風に乗って微かな機械音が響いてくるのが分かった。私はその音に聞き覚えがあった。
それは以前、この亜球で産まれる前に聴いた音だ。重くて、荘厳な響き……きっと、鐘か何かだろう。私はそれを思い出して思わず笑みが溢れた。
狂乱の念に身を任せ、涙を流したいのを堪えながら私はその穴の縁に立つ。すると、それまでずっと黙っていたフタワが口を開いた。
「涼しいね。空気が気持ちいい」
彼女は不思議そうな顔で私を見上げていた。まるで“どうして笑っているの?”とでも言いたげな眼差しだった。
私はそっと微笑むと彼女の頭を撫でてやった。彼女はくすぐったそうに目を細めると嬉しそうに微笑んだ。
「ごめんね、自分が何処から来たのか……やっと分かったんだよ。亜球はやっぱり私達の故郷じゃない。……そうだ。きっと、私達は此処から極人機関に連れて来られたんだ。洗脳なりして私達を……きっと労働力か、極人仲間を増やす為にだな……」
「旅人、行こ?」
「ああ……ごめん」
それから私達は手を繋いで縦穴を登っていく事にした。ゆっくり、一歩ずつ踏みしめて、お互いのペースに合わせて登る。
それは思っていた以上に骨が折れる作業だったが、突き上げる衝動のせいか大した苦にはならなかった。
登り切ると、そこには暗闇に包まれた抑揚のない空があった。足元の鉄板めいた地面の上には薄く灰が積もっていた。
どうやら、この空も途方も無く高いだけで開けてはいないようだ。第三区画と変わらず、永遠に暗いままなのだろう。
そう思うと、私は何だか少し憂鬱な気持ちになった。何だか、もう投げやりな気分だ。
何をやっても変わらない気がしてくる。きっと、この外の街を歩いていると何処かで壁に当たるのだろう。
そして、そこで私は街の住民と巡り会ってまた通り道を聞くのだ。此処に来た時と同じ様に。それが私の人生の様にも思える。
考えている内に、私は自分に与えられた“旅人”という名前がそうさせているのだと感じるようになっていった。
私は自らの名前に与えられた使命に忠実だから、こういう事を繰り返すのだ。だからきっとこの人生は空虚な答え探しを続ける羽目になる。
空を眺めながら考えていると、私の前に小さな人影……フタワが見えた。彼女は私と同じ様に降り積もる灰を被っていた。
そう同じように……この辺りは工場の廃棄場か何からしくとにかく頭に灰が落ちてくるのだ。
その影は私に気付くと、嬉しそうに駆け寄って来る。指先に触れる彼女は固く、ゴムの様な感触だった。
“水を掛けてあげないと”私はそう思って病棟から取っていたポリタンクを開こうとするが、彼女の手がそれを払い除けた。
「水は、大事にしよ」
そう言って彼女は私の手を取ると、そのまま何処かへ引っ張って行くのだった。
***
廃棄場から道なりに下へ、下へと降りていると、コンクリート造りの住宅街を発見した。
ゴミ一つ落ちていない、それどころか人が生活している様な痕跡すら見つからない。この綺麗な街並みには人っ子一人いない。
その割には電飾の付いた看板が幾つもある所を見ると、どうも“そういう事”なのだろう。
「昔……それも随分前に放棄されたのかな。この街は」
死体すら残さず、此処の住民は消えた。この感じだとその他の街も同じ様な状態だろう。きっと、亜球の外は我々だけだ。
フタワの真似をする訳ではないが、私は段々と原野同然の故郷に対して感傷的な気分が湧いてきていた。
私はそんな街の中をフタワと手を繋いで歩き続けている。彼女は相変わらず何も喋らないが、灰が積もった電光掲示板に何度も目移りしていた。
そんな調子で歩いていると、またあの重い“鐘”の音が聞こえてきた。第四区画で聴いた時よりも鮮明で、不安を感じさせる音だ。
まるで呼吸しているみたいに震えていた。私は堪らず、鐘の鳴る方へと駆け出す。
その間、私はフタワの手を握っていた筈なのに気が付けば無くなっていて……後ろを振り向いたら彼女はそこにぺたりと座り込んでいた。
「どうしたんだ」
私は不思議に思いながらそう聞いたが、彼女の横顔を見て何となく理解した。
「フタワ……」
淋しく笑う彼女の顔にはタイヤの様なラインが浮かんでいたのだ。眼も以前の様に薄く光っている。水を、湯を掛けねばそう長くはないのだろう。
私はすっかり重たくなりだした彼女を背負って、鐘の鳴る方へと急いだ。
***
重くなったフタワを背負って、私は誰も居ない街の中を歩き続けている。
彼女と私との世界の間でゆさゆさと揺れる辺りの古びた街並みが金属音を立てながら落下していくのが聞こえる。
降り積もる灰の重さはだんだんと増していって、呼応する様に彼女が重くなっていく……終いには鉛を背負っている様な感覚に陥っていた。
歩けど、歩けど音の方向に近づいているのか分からなくなっていくばかりで……だがそれでも鐘の音はまだ鳴り続けているので気にしない事にした。
一時間ばかりそうやって彼女を揺すりながら歩いていると、私達は時計塔が見える大きな広場に出ていた。どうやら、鐘は時計塔の中にあるらしい。
「誰か居ますか?」
時計塔の中は薄暗くて、チカチカと点滅する照明が退廃的な印象を抱かせた。
私はフタワを床に寝かせると、その隣に座り込んだ。そしてまた鐘の音の鳴る方へ歩き出そうとして立ち上がった時だ。
私の足は何者かによって掴まれていた。驚いて下を見ると、そこには澱んでいるらしい男がいた。
彼は私を見上げ、そして何かを訴える様に閉ざされた眼差しを向けながら口をパクパクと動かしていた。当然、それは言葉にならない。
辺りを見渡してみると私達は彼の様に退化した人間達に囲まれているらしい事が分かった。
私は錆びた金属みたいに強張った彼の手をへし折れそうな力で振り解くとまた時計塔の奥へと歩き出した。
依然として鐘の鳴る音は大きくなり続けている。私が歩き続けていくと、やがて大きな箱のような建物が見えて来た。
その内部には、やはりあの旗の付いた少女達「伽羅盤」の一団が立っている。彼女は私達に気が付くと手を叩いて歓迎した。
「外はいかがです。求めていた世界と相違ないですか」
その音は大きく響いていて、今にも崩れてしまいそうな錯覚さえ感じた。
「いや、違う。……これはどういう事なんだ」
「“コレ”とは“彼ら”の事で間違いはないですね。なら、前の様に教えましょう。彼らはいわば我々の先輩なのです」
少女はそう言って、彼女の隣で横たわる土みたいな人間の腕をもぎ取って見せつける。
「先輩?」
私はその言葉を決まりきった調子で聞き返す。すると、少女は少し微笑んでから腕を床に落とした。
その断面は柔らかそうで、トロリとした光沢を放っていた。
それは到底、人間のモノの様には見えなかった。
「──亜暦三二五年。我々は旧道探査の過程でこの外の世界に辿り着きました。肉機械ではない資源に満ち溢れた外の世界は当時の我々とは比べ物にならない程の技術力を持っていたと聞きます。外の世界は革新でした。我々は自身のルーツを辿れた事で、今の貴方が感じている様な多幸感さえ味わえたでしょう。しかし、調べれば調べる程分からない点があったのです。それは、「何故、滅びたか」です。……つまり、伽羅盤はこの“先輩”達から技術や資源を頂くと同時に、滅びた原因を解明する為に存在しているという訳です。……端的に言うなら、ここは命の行き止まり。貴方にとって必要な物などありはしません。だからと言って、第三区画にまで戻れとは言いませんがね。……戻れもしないでしょうし」
「亜球で何かあったのか?」
「夜迷病棟の亜徒が反乱を起こしたそうです。我々が帰る頃には鎮圧されていそうですが。そうだ。今度、情報収集に来た時に私が続報をお持ちします。ですから、どうかその日まで生きて時計塔でお待ちください」
少女はそこで話を切り上げると、再び手を叩いて隊に指示を出して足早に時計塔を降りていった。
私は大きな溜息をつくと床に寝かせているフタワを抱き上げる。そして彼女を抱えて時計塔で一夜を過ごす事にした。
吹き抜けから見える外は相変わらず灰の降り積もる空が広がっている。私はその景色をぼんやりと眺めながら、フタワに水を飲ませてやった。
彼女は相変わらず無反応だったが……それでも今回は水を飲んでくれた。
「おいしい」
弱々しい声が漏れると、彼女はまた眠ってしまった。私は彼女の寝顔を見ながら、あの鐘の音について考えていた。
「どうしてあの音は無くならないのだろう。もう街は無くなっているのに」
ふと気がつくと、土人形の中の一体が焦点の合わない眼で此方を見つめていた。
私はそれに思わず飛び上がって離れたが、よく見るとそれは人間サイズの人形の様にも見えた。
「脅かすなよ。……ここは私とフタワの場所だぞ」
私は叫ぶと、無我夢中のままに土人形の頭に爪を立てて、拳を何度も打ちつけた。殴り付けるごとに背中の黒翼は大きくなっていく。
土人形がバラバラに壊れる頃には、以前の様に澱みきってしまっていた。
フタワは相変わらず眠ったままだったが、少し顔が緩んでいる様に見えた。
私はそんな彼女の隣に横になり、そのまま目を瞑る事にした。
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