七月十日(喉) 「別れの予感」
亜暦三三六年 七月十日(喉)
今日も私は相も変わらずに薬を作っている。ただ無心で作っている。此処に私より頭が切れる者が居ないからだ。
ツツミの奴も心底私を認めたらしく、親しげな風を装って世間話をよく持ち掛けてくる様になった。
「旅人、今日もフウリがな……それで、なんだかんだ言ってもやっぱり……」
私は適当に相槌を返しながら薬品を混ぜる。この喋りたがりの馬鹿はそれが自分にしか興味のない話だと気付く気配もないらしい。
(またフウリか。確か、ツツミは妻だとかって言ってたよな)
フウリ…院内の張り紙にもその名前は書いてあったが、美人らしい。ツツミが嬉しそうに言っていたのをふと思い出す。
「あの子が居るから、私はこうやって辺境で働いていられるんだよ。…そういう意味じゃ君と同じだね」
「同じ?」
調合していた手を止めて振り向くと、ツツミは嬉しそうな表情を浮かべて私を見ている。
「ああ、同じだよ。君は興味だとか、可能性だとか理屈めいた事を言っているが、結局はフタワが好きになっただけなんだろう?」
「…それだけなものか。私は何か“刺激”を求めていた…求めていたんだ…」
「それで、外に興味を。…はは、やはり一緒じゃないか。私もそうだ。罪滅泉でフウリと出会って…一緒になる覚悟をした」
“一緒に”か…。それなら益々、一緒な訳が無い。ツツミの方が誠実だろう。ユキネを捨てた私は罪深い。
「女と暮らす為の道のりは酷く厳しかったが、その価値はあったと思う。もう極人にはなれないし、家にも戻れないが…」
ツツミは神妙な面持ちで私に話す。そう言えば、「女を盗んだ者は肉機械にされる」なんて話を昔、誰かに聞いた事があったな。
私はそんな彼から目を逸らして再び薬品を混ぜ始めようとしたが、少ししてそれを止めた。
「それで、私はこう思った。極人の考えは公平で安全だが、その実、我々から奪うばかりで何も与えてはいないんじゃないかって…」
私は黙って話を聞いている。しかし、頭の中では「耳を貸さずに仕事に戻れ」という逃避的な言葉が例に漏れず響いていた。
「極人機関は我々から活力だとか、向上心だとかを奪って家畜にしてるんだよ。“人間性”を取り戻す必要がある。…君なら分かるだろう?」
ふと机の上を見ると、出来上がった薬品瓶用のラベルに“機械遷移薬”と書かれていた。
「よく考えろ。我々は機械でもシステムでも無い。個の生き物だ。分かるだろう?」
分かる。分かるさ。私には分かる。亜球はゆりかごなんだ。私達の為に作られた、息苦しさが前に立ったゆりかごなんだ。
「そうだな。…でも、それでも良いじゃないか。私とフタワには関係の無いことだ」
ツツミは目を丸くして驚いていたが、私はそれを気に留めず彼の肩を叩いて部屋を出ようとした。すると彼が後ろから声を掛けてくる。
「確かに、君にとって極人機関はもう関係無いかも知れないが、私にとっては違う!…私は今ようやく、自由になったのだ。フウリと会って……此処の患者達と会って……私は愛や友情という自然な繋がりを手にした。その繋がりが人間の素晴らしさなのだ!……もっと、多くの人間にその事実を分かって欲しい……私は切にそう思う!私は決して、醜い権力への欲求は無い!至って純粋な真理の使者だ!」
ツツミはそう叫ぶと、私の肩を強く掴んだ。……馬鹿げている。自分が得た幸福が幸福の真理だとでも言うのか。
「……貴方が他人の心配までしてやるような優しい人間だって言うのは分かりましたよ。でも、私は違うんだ。…極人がまやかしなく正しいとも思ってる。だって、そうだろ?…考えなくても、不自由なく暮らせるんだ。これより自由な世界があるなんて知らなかったら、最高の楽園だろうよ!」
「楽園だと!?お前にはあそこの人間が幸せな様に見えるのか!?」
「ああ、そうだ。殺されるのと比べたら、幾らかマシだろう。極人は一応、命は守ってくれる……アンタらみたいな危険な連中からな。……アンタはどうせ、私に作らせていた遷移薬を使って、肉機械を造って……そいつを伴ったクーデターでも起こす気なんだろう!!」
私はツツミの手を振り払うと、そのまま部屋を出た。そして一人になって頭を掻きむしると自嘲する様に笑った。
(アンタや私が変に気が付いただけなんだ…畜生、夢の中に戻れるものなら……)
***
窓の外を見ると、病衣を身に纏った世迷病棟の患者達が元気に働いているのが見えた。
その中には、私が作っていた薬を飲んでいた奴も何人か見受けられる。皆んな陰りのない笑みを浮かべていた。
その姿を見て私は思う。彼等もツツミの言っていた“人間性を取り戻す為の戦い”に参加するのだろうか?
もし、そうならせめて自分の意志でその道を選んで欲しいものだ。決してツツミの言葉に唆されることなく……。
「……所詮は自己満足だな。私だって自分で物を決めた事があったものか……」
私はそう呟いてから、部屋に戻ろうと踵を返す。すると背後から声が掛けられた。
「旅人さん。夫の考えはお気に召しませんか……?」
振り向くと紅い中華ドレスの女が此方の顔を覗き込むようにして伺っているのが見えた。恐らく、彼女がフウリだ。
「部屋の外まで聞こえてましたよ?……ウマが合わないのは自由ですけど、仲良くしましょう、ね?」
私は何か言おうと口を開くが……言葉が喉につっかえて出て来なかった。
フウリはそんな私の様子から何か察したのか、私の手を掴んで引っ張っていく。
「な、何を……?」
「夫とは仲直り出来ないのでしょう?なら、私としましょ…?」
私は狼狽えながら彼女の手から逃れるが、フウリはしつこく私に絡んでくる。彼女の手は澱んでいるのか、やけに力が強くて振り解けない。
「あ、あのお言葉ですけど……私は別にツツミと仲違いした訳じゃないんです。そもそも私は奴の友達じゃない!!」
私の叫びにフウリはキョトンとして首を傾げる。そして、少し考える素振りを見せてから口を開いた。
「そう……でも、私は旅人さんの事色々聞きたいんです」
「う、浮気者なんですね……ツツミの奴が可哀想ですよ」
私が嫌味らしくそう言うと、フウリはケラケラと笑って手をひらひらと振って見せる。
「浮気?いいえ、私は夫一筋ですから。……貴方らしくもないつまらない言葉ですね」
「私は別に面白くない男です。……それより、仕事は終わったので帰らせて貰います」
そう言って立ち去ろうとするが、フウリは背後から私を捕まえて抱き着く。その柔らかな感触に私の心臓は大きく跳ねた。
「お、おい……!?」
「ハザマには優しかったらしいのに……ツツミに遠慮しているの?」
「ハザマ?なんでアイツの名前が……」
困惑する私を見てフウリは更に悪戯な笑みを浮かべる。
「ハザマちゃんとは友達ですからね。色々、教えて貰えるのですよ……貴方の事をね?」
私は唇を噛んで拳を握り締める。ハザマがこうも口の軽い女だとは……いや、そういう感じの女だったな。
「何が目的なんだ?」
「ハザマちゃんは貴方を気に入ってるのです。だから、出来ればずっと此処にいて欲しくて……。ハザマちゃんが言うには貴方、目的が欲しいらしいじゃないですか?なら、私も側にいます。楽しい友達が二人……それ以上などありません!!……そうでしょう?」
「……考えておきます。疲れているのは本当なんです……安心してください。当分は逃げたりしません」
彼女は名残惜しい様な顔で此方を眺めていたが、根負けした様に「分かりました。けど、ツツミと仲良くね?人間、仲良くするのが一番ですよ」
と言って私を解放した。(仲良くしない方が良い奴だって、いますよ)そんな言葉が喉元まで出掛かっていたが、私の足は自然と自室へと向かっていた。
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