七月一日(肛) 「亜徒の葬列」
亜暦三三六年 七月一日(肛)
今日で私は「世迷病棟」に来てから丁度一週間が経つ。
ここでの生活には多少慣れたが、正直進歩は感じていない。
ただ、毎日与えられた作業だけを仲間とこなし、暇があればフタワに気に入られる為に抜け穴探しに臨むだけ。
偶に、ハザマや他の患者と会話を交わす事が何よりの刺激だ。
一応、悪い生活じゃないとは心から思えてはいる。
言うなれば、私の生活は第三区画にいた頃に“戻り始めている”と言った所だろう。自暴自棄な逃避から、存在が認められる今までの人生へと。
「旅人。それは何だい?」
ある日、作業終わりの自由時間に同じ作業場の患者に声をかけられた。
患者は私が読んでいた本に興味を示したらしく、痛々しく欠けた細い指を指し示している。
本のタイトルは“亜徒の葬列”と言い、第三区画では知らない人が居ないと言われる程のベストセラーだ。
「亜徒の葬列か…なんだかよく分からないタイトルだね」
患者はこの本に強く興味を持ったようで、内容を説明してほしいとせがむ。
「良いけど、何ら面白みもない生活指南書さ。勿論、亜球で生きていくには欠かせないけどね」
……少し考えた後、私はもう何度も読んだこの本の内容を簡単に説明した。
「亜徒の葬列」は亜球での生き方が書かれた指南書であり、私達の社会の成り立ちから興衰の推測まで書かれている。
この小説を簡潔に説明すると“亜球という狭い世界に生きる若者は極人になる他に生きる術はない”という内容だ。
私達は弱く、それ個人では種を存続させることが出来ない。だから、集団の中で自分の立ち位置を確定させなければならない。
個人と組織、或いは集団という関係性は私達が生きる上で切り離せない要素であり、社会の形もそこに依存していると言っても良い。
肉機械と呼ばれる身体と、極人と呼ばれる精神……その二つが揃ってようやく「集団」の「機能」が働くのだ。
「無論、肉機械は人間が居る限り、幾らでも作れる…だがそれを作る極人が居なくなっては社会が続かない」
「……」
「分かり難い事を言っている様に思うかもしれない。だけど、極人機関はきっとこう言いたいんだ。“社会は生きている”。人間が生き物なんじゃない…それが集まる社会が生き物なんだ。生き物には役割があるだろ?…肉機械にはきっと身体の役割を与えられたんだ。私達は極人として文化を繋ぐ精神の役割が……とにかく、それを分からない奴は“亜徒”だ。極人に言わせりゃ消えても構わない連中なんだ」
「そうか…君は随分と彼等に肩入れするんだな。その考え、私にはちょっと卑屈に思えるよ」
「そうかも知れない。…けど、本当は卑屈な方が良いかも知れない。深く知るのは苦しい。私は一生無知でも良い」
「…どうして君はフタワと居るんだい。君では苦しいだけだろう?」
私は彼の真っ直ぐな視線から逃げるように窓の外を見遣る。
外からはいつもと変わらない重苦しく閉鎖された空が見えたが、なんだかいつもよりマシに見えた。
当然、それを見た所で憂鬱は晴れやしないのだが─。
***
その後、私は技師として働いていた経験を買われて、ツツミから新しい業務を言い渡された。
内容は……ツツミが作っている“薬”の調合だった。彼が言うには病院で使う備品らしいのだが、どうにも怪しい。
当然、私はそれについて質問したのだが……彼は誤魔化すように笑って見せ、薬の入った小さな注射器とマニュアルを手渡してくる。
「なに、君は深く考えなくても良い。考えるのは此方の仕事だ」
そう聞いてしまった以上、私も何も言えなくなってしまう。
……どうもツツミは何か隠しているらしいのだが、ここでまた突っぱねると仕事が回らなくなりそうなので私は仕方なく作業を開始する。
マニュアルに書いてある通りに私は先ずは得体の知れない液体を計りとり、精製する。
そこまでやってふとある事を思い出した。
──そう言えば、一昨日にツツミが患者に何かを与えていた。
……何だったのかは結局聞けず仕舞いだったが、もしかすればこの液体から抽出した薬なのかも知れない。
私は頭の片隅でその事を考えながら、その液体を混ぜて煮溶かし、瓶の上澄みを引き寄せて紙に移す。しかし─
(これ飲んで大丈夫なのか……?)
そう思ってしまう程不味そうな見た目をしていた。色は黒絵の具の様なドス黒くドロドロしたモノをしているのだが、匂いが甘ったるい。
……まさか、こんな液体を患者に飲ませたりするのだろうか? だとしたらいよいよこの業務も危ないんじゃないか?なんて思ってしまうのだが……。
(いやいや、私まで考え過ぎてはいけないな)
私は気を取り直して瓶の中に液体を注ぐと作業を終えて、椅子の背もたれに寄りかかる。
と、その瞬間に作業部屋の扉が開き、フタワが入ってきた。彼女はいつも通り、半開きの左目の当たりをぎこちなく摩っている。
彼女はそのままよろよろと此方に近づくと私が手に持っていた瓶を見るなり顔を歪ませる。
「旅人…私、このドロドロどっかで見た事ある」
「そうか。それじゃやっぱり碌でもない物みたいだね」
私が素っ気なくそう言うとフタワは辺りを散策してから、気が済んだ様に私の腕を摑んだ。
やはり彼女の手の感触や冷たさには慣れそうにない。不気味な感覚を覚えるのを見るに、胸が高鳴るだけでは無いのだとは思う。
「旅人…さっき伽羅盤の連中、見た。来た場所を教えてもらおう、ね?」
「そうか。でも、どうせこの前みたいに無視されるだけだよ」
私がそう言って彼女を振り払おうとすると、フタワは私を逆に引き寄せて私を強く抱きしめる。そうして彼女は私の耳元で囁いた。
「ねぇ、お願い?仕事、終わったんでしょ。此処、出たくないの?」
私は──何故かそれ以上彼女に逆らう気が無くなってしまって、どうでも良くなって思わず口を開いてしまう。
「…フタワはどうして此処を出たいんだい?」
そう尋ねると彼女は薄く微笑んで、私を離してから此方を一瞥する。
その瞳は妖しい煌めきを持っていたが、決して嫌悪感を催すものでは無かった。
まるで蠱惑的な果実の様な、人を惹きつける魔性──それとも原初からの“魅了”と言うべきだろうか?
彼女の純粋な眼差しにやられながら、私はそんな風に考える。本当にどうでも良いのだ。
ただ彼女が……フタワが望むなら私はそれを叶えたいだけだ。
「うん、此処。前と同じなんだもん」
「そうか…だったら、仕方ない……仕方ないな…」
私は作業椅子をキイと鳴らして立ち上がると、患者衣の裾を引いてドアを開いた。
***
フタワの言う「伽羅盤」の一団は通りに出て、直ぐに見つかった。
遠目からでも分かる奇妙なオーラを身に纏った彼等は、中心に少女を連れて此方へ歩いてくる。
そして少女の服装や姿は私が見てきた女のソレとは大きく異なっている。彼女の頭には大きな旗が付いていたのだ。
その異様な姿を不審に思って良く見てみれば眼も若干くぼんでいる様な気がするし、身体全体が不健康的に瘦せ細っている。
服装はまるでドレスの様で、また模様や形状も独特……特別にデザインされているのだろう。これは礼服か何かなのか?
私がそんな違和感に浸っているとフタワが私の前を素通りして彼女達に声をかける。
声をかけられた伽羅盤の一団は少し驚いた素振りを見せたが、ドレスの少女は全くの無表情のまま視線を此方に送った。
「ね、おじさん達が来た場所教えて?私達、街の外に行きたいの…ね、お願い?」
団員らしき男達は、フタワの質問を聞くと何やら少し話し合った後に少女へ目線を送った。
フタワが困惑して私に目線を向けてくる。無論、私も同様だ。何が起きたのか分からず黙っているとドレスの少女が口を開いた。
「どうして、出たいの?」
「え?」
少女は無表情のまま、私達に問いかける。感情も抑揚も無い声色を聞いて私は少したじろいでしまう。
そもそも私達はこの街の外に何があるのか知らないのだ。どうして出たいか……そう聞かれても答えられない。
フタワはと言うと困惑した様子で黙ってしまっているので、私が答えるしかなさそうだ。
「単純な興味だよ。この街は彼女にとっては窮屈だ。穴倉生活が長く、罪人呼ばわりで肉機械にされた彼女にとってはね」
「ふむ……」と言いながら少女は視線を逸らす。
その仕草が何を意味するのかは分からなかったが、少なくとも好感の持てるものではないと私は直感した。
そうして暫く黙り込んでいると、もう一度少女が口を開く。
しかし今度は伽羅盤の男に向かってだ。彼女は私の言葉を聞いて思案した後、こう言った。
「興味ですか、面白い。どれ、教えてあげなさい。ただし、場所だけを」
「分かった。……皆んなもそれで良いな?」
周りに立っていた数人の男達は好意的な態度を見せはしなかったが、これと言って反対もしなかった。
「この道の向こうに舗装されていない別れ道があって、私達はその先の廃トンネルから外界を行き来している」
団長の言葉はまるで機械の様に無機質で、何処か他人事の様な物言いだ。……それだけに嘘臭さは感じられない。
それから、私は彼等からトンネルまでの簡単な地図を貰う代わりに、幾つか医薬品を分けてやった。
交換が終わると彼等はまるで何事も無かったかの様に歩き始めたが、ドレスの少女だけは振り返って此方を見る。
そして、彼女は初めて見せた満面の笑みを浮かべて言った。
それは少女らしく可憐な笑顔であったが、同時に私には底知れない恐ろしさを感じさせるものだった。
「お二人、外の世界に意味ある物はありません。伽羅盤が言うのです。信じてみては?」
その言葉には例えようもない不気味さが含まれていて、まるで耳元で囁かれたかのように鮮明に記憶に焼き付いている。
「意味なんて要らないよ。私達はただ見たいだけだ」
私が虚勢を張って目も合わせずそう言うと、ドレスの少女はまた例の微笑みを此方に向けた。
「なに、直ぐに意味を求めますよ。原野を見ても冷たいだけ。人は争いだとか、優しさだとか、とにかく意味に拘る。格好付けるのはほどほどに」
そうして、少女も伽羅盤の男達の後を追っていく。
残された私達は暫く黙って立ち尽くしていたが、フタワが突然私の方に向き直って微笑んだ。
「原野…それなら一から世界が作れるだろうね。それに、意味なんて自分で決める事さ」
***
「…つまり、私は外の世界への切符を手に入れたんだ。君にもこの感動を分けてやりたいぐらいだよ」
そして現在、私は自室に招いていたハザマとこれまでの一週間についての話をしていた。
彼女は胡座をかいて興味無さげに此方を見遣るが、私の話を聞いてくれるつもりはあるらしい。
私は努めて感情的に、自分がした事やこの街の様子について説明するのだが……如何せん彼女はそういった事に興味がないのか反応が薄い。
しかしそれでも熱心に語りかける私の姿勢を察してくれたのだろう、ハザマは私の話を遮る様にして口を開いた。
「…君って自分が無いのね。いつも言ってる事と考えてる事が真逆じゃない」
それを聞いて、私は思わず渇いた笑いを溢した。何を今更。そもそも君だって昔の相手に純愛ぶっていた割に、こうして私の部屋に居るじゃないか。
そんな相手に自分の意見をどうこう言われる筋合いはない。“お互い様”とでも言うんなら黙ってやっても良いが、一方的に糾弾されるのは不愉快だ。
「ふぅん…自分、ね…そんな物持ってる人間の方が珍しいよ。君みたいに名前でも持ってればそれに当たるのかな?」
私が嫌味を言ってみせると彼女は表情を曇らせる。私はその様子を見て、心中でほくそ笑んだ。良い気味だ。
それを誤魔化す様に私は顔を逸らしてため息をつくと、一つ二つと独り言を続ける。
「亜徒の葬列…確か君は罪滅泉に居たんだよな?だったら読んだ事があるだろ。あそこの教義にはこう書いてある。…“人は生き物に在らず、社会が生き物である”…私はずっとそれに従って植物然と生きてきた。それを思えば、今だって充分自分で考えていると思えるよ」
勢い任せにそう言葉を続けていたが、それを遮るようにハザマは急に立ち上がると私の顎を摑んで自分の顔に向けさせた。
それから顎を指でなぞるように弄びながら私を眺める。その妙な仕草に思わず心拍数が跳ね上がる。
「…違うよ。私が君に言いたいのは、君が目的の無い旅を続けているって事だよ」
その瞳には吸い込まれそうな程深くて暗い闇を湛えていた。私はそこから目が離せなくなる。……いや、離してはいけないような気がしたのだ。
暫くの間そうしていたが彼女は少し間を置いて口を開いた。その口調はいつもと変わらないのだが、何処か冷たさを感じる声色だった。
「最初は…多分、極人機関で…次は前に言っていた昔の知り合いでしょ?そして最後にフタワ。…君って自分で目的を決められないから、それを与えてくれる人をいつも探してるんでしょう?可哀想な人…それなりに優秀だけど、お陰で歯車な自分に違和感なんて持っちゃって……」
「わ、分かった様な口を聞かないでくれ!!」
ハザマの指先から伝わる威圧感に圧倒されつつも、私は彼女の言葉を遮ってそう叫んだ。
すると彼女はまたも笑みを浮かべたが……今度のは今までよりもずっと気味の悪いものだった。
背筋が凍りそうな程の恐ろしい笑みを見せつけられた後、ゆっくりと視線を逸らされ解放されると一気に恐怖感が襲ってくる。
改めて突きつけられた言葉によって自身の中の不信感や矛盾を浮き彫りにされてしまった気がしたからだ。
呆然としながら座り込む私に向けてハザマは言った。まるで子供の癇癪を宥めるかのように優しく、穏やかな口調で。
その口調は何処か私を憐れんでいる様でいて……それがどうしようもなく不気味だった。
「外に行きたがるのだってそういう目的が与えられてるからでしょ?…だったらさ。私、君が此処に居たくなる様な“目的”になってあげても良いよ?」
唐突にそんな事を言われて、私は混乱しつつも何とか言葉を返す。しかし私の意に反して口から出たのは何の捻りもない単純な返事だった。
私が黙ってハザマの方を見ると彼女はクスクスと嗤いながら言葉を続ける。まるで悪戯を成功させた子供の様だ。
「君って可愛い…あの人を思い出しちゃう。やっぱり、人生は楽しんだ者勝ちよ?此処の奴らもそう…皆んな自分勝手…何アンタだけ真面目ぶってたのさ?どうせ中身が無くって流されてるだけだったじゃない?“お互い様”だけどね」
目的……中身……彼女の言う通り、私には最初からそんな物は無かったのだろう。
だから、ずっとそれを追い掛けようとしていたし、これからもそうするつもりだ。
しかし、彼女の言う様に全ては戯れなのだろうか…?いや、そんな筈は無い。私は確かにフタワの先に未来を見ていた。
──なに、直ぐに意味を求めますよ。
ドレスの少女の言っていた通りだ。私は何か人生に意味がある筈だと信じて、その意味を今でも求め続けている。
(何がいけない…意味が無ければどうして私が此処に居るのだ。自分には価値があると信じる事の何が悪い…)
私の様子を心配したハザマが肩に手を添えてきた。その感触は柔らかくて、とても暖かいものだった。……不覚にも鼓動が早まるのを感じる。
「なぁ…いつまでも難しい事ばっか考えてたら損するよ?こう言うのは勢いが大事なんだ…どうせ、後を考えても仕方ないし……」
そして彼女はそう言って私の方に顔を近付けてくる。まるで口付けをする直前の様な光景だが、私達の間にはある種の緊張があった。
ハザマの艶やかな髪が顔に触れて思わず目を閉じると、彼女の唇が私の口を塞いだ。
私は混乱して言葉にならない声をあげながら悶えたが、彼女は構わず舌を絡めてくる。
それでも必死に抵抗する私を見て可笑しそうに笑う彼女の表情は……いやらしく歪んでいた。
***
冷たい夜はいつもと変わりなく過ぎていった。少なくとも私にはそう感じた。
ハザマはあれから直ぐ、何も言わずに立ち上がってそのまま部屋を出て行ってしまった。
私は……こんな時に何を言えば良いのか分からないし、そもそも今の自分の精神状態では何も考えられそうになかった。
そうして何もする気が起きずに項垂れていると不意に扉が開き、入れ替わりにフタワが入ってくる。
私は、彼女には今あった事を悟られたくなくていつも通りの平静を装って笑って見せるが……彼女は冷たい目で見返してくるだけだった。
私は何処か不安になって視線を逸らすと、本棚に乱雑に差し込まれた亜徒の葬列が目に入った。
“人は生き物に在らず、社会こそが生き物である”…今の私の現状は、まるで本の中の亜徒が抱える葛藤その物であった。
私はそれを手に取り、数ページを捲りながらハザマの言葉を反芻する。……いつかこれを読んだ時と違って私は亜徒なのだ。
そして本を閉じると力無く横になって目を閉じる。気付けばフタワも布団に潜り込んでいた。
そうして暫く2人並んで眠りに就こうとするが、いつまで経っても眠れないままだった。
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