六月二十二日(腸) 「人間牧場はそれから」
「…辞めてくれよ。旅人君…俺、結構君の事、気に入ってたんだよ」
空を飛べるか試すように羽根をばたつかせる私にマグロが声をもらす。
声の調子は平坦で、引き留めようとしてると言うよりは「俺の事を覚えておいてくれ」とでも言っているようだった。
「俺さぁ…こんなナリしてるから友達なんて出来たこと無かったんだよ。皆んな俺を見たらまず、女だ!女だ!…とか言ってさ。男だって分かったらすぐにポイだよ。…名前、褒めてくれた件もそうだけど、俺に優しくしてくれたから…俺、結構お前の事…好きなんだよ」
そう言ったマグロの言葉は心なしか少し震えてる様な気がした。
昔、誰かが…確か技師が言っていた言葉なのだが…どうも「人は受け入れられる為に生きている」らしい。
極人機関で受け入れられる為に働き、仕事仲間に受け入れられる為に話し合い、女に受け入れられる為に罪滅泉へ行く。
人の人生は他の人が居ないと成立しない。
ならば、独りの時間に私はいるのだろうか。
マグロは以前の私と同じで独りの時間を過ごしている。
だから認めてくれた私を離したくないのだろう。
現に、私はユキネに「また、会いましょう」と言われた最初の夜より以前の記憶を思い出せない。
「預ける物のない時間は退屈だ。…だから私が欲しい、か。…哀れな物だな」
「哀れだって良いよ。俺は話し相手が欲しいんだから…まぁ、ちょっとは悪いと思うけどね」
その時のマグロの声はいつにも増して、酷く弱々しい声だと思った。自虐的で、悲痛で、加虐欲を引き立てる様にも聴こえた。
「お前…その身体……」
声に感じた避け難い魅力に、思わず振り向く。私の後ろで立っていたのはマグロに違いなかったが、しかし……。
頭では彼だと確信してはいた。が、その身体は余りにも痛々しく、美しかった。
元々端正だった顔立ちはそのままに、身体のラインは緩やかに変化し、挙句に僅かな胸の膨らみまで見受けられる。
まるで、女の身体…。それも、かなりの代物だ。
「身体…?…きゃっ!?こ、これって…」
気が動転したのか、マグロはペタリと座り込む。その顔は紅潮し、私と目が合うと目を背けて、黙り込む。
「旅人君…俺は一体どうしたのかな…澱んだって事だろうか…?」
「あ、あぁ…そうだろうな。お前が望んだだろう。心の何処かでな」
「心の何処か…そうなのかな…」
「それより、どうして急に澱んだんだろうな?…罪でも意識したのかい?」
「あぁ…それならしたよ。君を逃がしちゃ極人機関への裏切りに当たるって、頭で理解しながら逃がそうとしたからね」
気が動転してる割には、意外に冷静な奴だ。もう少し、泣き喚いたってバチは当たらんだろうに。
「…まぁ逃がしてくれるんなら、本望だよ。…さぁ、フタワ?」
フタワはと言えば興味無さげに首を揺らして足元の石を蹴る様に遊んでいる。
「…行くぞ。マグロの気が変わらん内にな。石ころなんざに夢中になるな」
「コレだって人間だよ。私とおんなじ。おんなじだったから分かるよ」
「…石ころまで肉機械だって言うのか?」
馬鹿馬鹿しい…与太話に付き合う気なんて私には無いぞ。……そう言って、フタワを連れようとする。
「与太話なんかじゃないよ!!石も、草も、食べ物も。…全部、人間だよ!…私達は人の犠牲無しにそれを手に入れられる方法を知ってるのに、楽が出来るからって言って何人も肉機械にしてきたんだよ。……旅人。畑って見た事ある…?牧場って見た事ある…?」
「い、いや…この
首を横に振る私とマグロ、ついでにユキネにフタワは背を向けて歩き出す。
「本当はそれをファームって言うのよ。…此処は差し詰め「人間牧場」だね…」
***
マグロは黙りこくって帰って行く。何処に帰ると言うのだろうか?
姿が変わって、でも、完全な女ではない“彼”の行く道などあろう筈がない。
フタワは此処、「ファーム」を人間牧場と言ったが、その通りだ。
牧場の家畜はきっと、正常な外の世界を知ったとしても考え直して、ふらりと帰って来るのだろう。
例え、自分が籠の外に居るべき存在だと理解しても、無理に自分を切り詰めて檻に戻って行く。
「だが、それは一生の隷属だ。幸せなど訪れない…マグロ。また、会おう。今度は同志として…」
彼は黙りこくったまま進んで行く。何処にも迎えやしないと言うのに。私の元に来る以外に、何処にも。
振り返るとユキネは古ぼけた蓄音機になっていた。私はフタワと共に歩きながら、彼女だった物に目をやる。
以前の彼女と変わらずに無機質な雰囲気を引き連れながらその蓄音機は存在していた。
私は蓄音機に触れず、ただ眺めていると、フタワが先に興味を示したのか、近寄り手を触れる。
その途端……「愛しているのは私だけなのでしょうか〜♪私よりあの二輪……」
ユキネの歌う声が流れる。何とも酷い歌声だ。それだと言うのに何処か切ない。
聞いていると胸に染みるような寂しさを感じさせるような、そんな歌を奏でるのだ。
「フタワ…私のまた会おうと言ってくれたのは、ユキネとマグロ…後は技師ぐらいなんだよ」
フタワは返事もせずに蓄音機のつまみを適当に弄っている。他の曲でも聴きたいのだろうか。
「お前が居なくなったら、私は居なくなるな」
「そーだよ。だから、お兄ちゃんより大切にしてよ?…人は受け入れられる為に生きてんだから」
そう言って彼女は地べたに落ちたユキネの着物に手をつける。
「旅人。コレ着て良い…?ユキネさん怒るかな?」
「怒るだろうが、気にするな。服だって受け入れられる為に生きてる」
「ふぅん。分かってるねぇ…やっぱ」
そうして、私達は第三区画を去り、第四区画を目指す事にした。
彼方の方は危険だと、かねてから極人が太鼓判を押すんだから行かない手は無いだろう。
今の私は自由だ。極人には成らないし、縛られもしない。
もっとも、目指す理由はそんなちっぽけな反抗心だけではない。
以前、私は「伽羅盤」が外の世界に行く際に通るとされている「抜け穴」について聞いた事があった。
何処に抜け穴があるかまでは分からないが、秘匿区域である第四区画にあってもおかしくはないだろう。
「それじゃ行くぞ。…それと、蓄音機は置いてけ」
「えぇ…折角なんだしぃ…いいでしょ、ね?」
「私はもう聞き飽きているんだよ。ユキネの愛の言葉なんてね…」
本当に聞き飽きた。なんせ、私は自由だ。…でも、今の私を人は微笑うだろう。
「フタワに縛られてる」と言ってね!
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