六月二十二日(腸) 「黒くじゃく」
【…痛い。痛い。痛い。足が腐って曲がって耐えられない。痛い。痛い。痛い。喉が渇いて息苦しい。止まってた心臓も疼いて仕方がない。今度は止まらない。ただ、痛みを絶えず生み出し続けている───】
***
あれからどれだけの時間が経っただろうか?
気が付くと、 肉と骨で出来たその女が鳴らしていた錆びた歯車の様な音が止んでいた。
身体の変化が終わったのだろうか…いや、重要な事はそこじゃない。重要なのは彼女のままかどうかだ。
出来れば嫌われていたくない。私に何も出来なかった事は仕方ない事だと分かって、以前のように愛玩動物のままでいて欲しい。
もし、フタワでなくなっていたとしたら、その時は。
私がぼんやりとそんな感傷に浸っていると、フタワは立ち上がりながらポツリと呟いた。
「冷たい…暗い…けど、それが心地良い…」
その目にもう痛みに染まった狂気の色はなかった。そして、優しい笑みを私に向けた。
「旅人。こんばんは…ずっと見てた。…大丈夫、私は私。ずっと変わらないよ」
手足は治りきらず、剥き出しの機械や赤黒い肉のパーツが鈍く室内灯の光を反射している。
その顔には薄くアザが残っているものの、醜悪さのカケラもない美しい少女の顔そのものに見えた。
何より、彼女の身の内に潜むあの得体の知れない気味の悪い、命に似た何かがより一層強まっているのが分かる。
「フタワ…すまない。それと、何か思い出したか?」
「うん。少しだけ」
彼女はそう言ってはにかんだ。
「何を聞きたい?」
フタワはそう言うと、車輪の名残りが目立つ左脚に力を込めて立ち上がる。
フタワは倒れそうになりながらも姿勢を保ち、少しずつ近づいてくる。
そして私の横まで来ると壁を背にして座り込んだ。
どうやら座って話す事にしたらしい。彼女は私の隣に座った。
「じゃあ…君は何故、肉機械に?出来れば、罪の内容も教えてくれ」
「…あんまり覚えてない、少しだけ…良い?」
彼女はそう前置きを置いてから煙草を消すよう促し、一呼吸して、話始めた。
***
「私は元々、ある人と一緒に居たの。私はその人をお兄ちゃんと言ってたけど、多分まったくの他人」
「ああ、私達は何処から生まれてくるからね。生まれも家族も存在しない」
我々はある日、突然生まれてくる。当然、家族もいなければ、故郷も無い。
ただ、生まれると同時に脳に何かを埋め込まれたみたいに街の真ん中、「第一区画」へ向かっていく。
そしてそこで我々は、「何が出来るか」を測る極人機関の簡単なテストを受けて、血液を抜かれる。
それに誰も疑問を持たない。その結果が全てだ。マグロだって同じだったろう。
ユキネやフタワ達にもそう言った場所はあるのかも知れないが、私には分からない。
なんせ、私は生まれてからずっと罪滅泉以外で普通の女を見なかった。彼女らは何処から来るのだろう。
「まず、最初に赤黒い壁と空が見えたの。怖かったけど、とても温かった…」
「壁と言うのは亜球を囲む壁か?」
「分かんない。けど、多分違う。壁は“生きてた”」
「…そうか。生きてた、か…私とは違うんだな。私は街の何処かで生まれた。とても寒かったよ…」
フタワは子供のようなあどけない表情で仕切りに此方を見ながら、軽い身振りを交えながら続ける。
気が付けば、さっきまで私と言い争っていたマグロも隣に座って話に耳を傾けていた。
それを見て、ふとユキネの方を伺ったが、彼女は期待していた表情とは違って、口惜しそうにしている。
まぁ、無理もない。彼女からすれば肉機械であって、私の行動理念でもあるフタワは気に入らないのだろう。
「お兄ちゃんは私が初めて会った人なの。生まれて直ぐに赤い道を歩いてたら、お兄ちゃんがどうして此処に、って聞いてきて…分かんないって言ったら、手を取ってお家に連れてってくれたの!」
「お兄ちゃんはどうしてお家に連れてったの?女は…フタワ君のような人は、極人が管理しなくてはいけないのに」
黙って聞いてるだけだったマグロがとうとう口を開く。合わせる訳ではないが、私も気になるとフタワに言う。
「お兄ちゃんは極人に知られて、私を連れてかれるのを恐れてたみたい。だから、誰も行きつかない地下牢の中に私を押し込んだの」
「何年ぐらいの間だったんだい?…それと、俺も旅人君と同じぐらい信用してくれて良いよ」
すっかり、役人の仕事を忘れて聞き入ってるマグロがそう言って水を彼女に手渡すと、おずおずとした指先で手に取る。
「あ、ありがとう…えと、確か私は十三ヵ年目だから…十三ヵ年だよ」
「う、生まれてからずっと牢の中にいたのか!?」
私とマグロが驚いているのを尻目に、フタワは当時の事を思い出しながらポツリポツリと話し始める。
「最初はすごく怖かった。お兄ちゃんはずっと怖い顔して私を閉じ込めて…檻の外から私を覗くの…」
そう言ってそのまま私を見つめてると、また口を動かし始めた。
「でも、でも…段々、私は寂しくなくなってた。たくさん外の人達が会いに来たから」
「会いに来た…?牢の中だったんだろう?」
「うん。私、毎日お兄ちゃんのいない昼の時間にお歌、歌ったの。子守唄…そしたら、聞こえた人が会おうとどんどん地面掘ってたの」
そう言ってフタワは朗々と「さざめきの歌」なる唄を口遊む。その声は硝子細工の様な脆く儚い響きをしていた。
眠りごこち 夜が訪れ
夢の中で さよならする
怖くないよ 朝が来るまで
ラララ ラララ 微かに聞こえる
誰かが誘った さざめきの歌
夜空に浮かぶ お月様
彷徨い疲れた 街の人
皆んなが誘う さざめきの歌
怖くないよ 夢の世界へ
子守唄と言うには余りに寂しく、不相応な唄。その感覚は幼少期という物が無かった私でも感じられた。
私は視線を切り、彼女からマグロに映す。彼もまた同じ様にして私を見ていたのか、目が合ったので問い掛ける事にした。
「あの子はどうして肉機械になったんだろうな」
「…さあね。聞いた通りに解釈するなら、穴を掘った人達に救出されて自由になったが、十三ヵ年も地下に居たから、極人の社会に適応出来ずに罪を犯し、…捕まったって所じゃないか?」
「…君の言う事はもっともなのかも知れんが、私にはそれだけじゃない気がする」
私はそう言って、あの淫靡で蠱惑的な微笑を思い出しながら呟く。
彼女はまるでこの世の物ではない不可避の美しさを持っている。
それは生まれ付きの物かも知れないし、蛹のように暗い檻の中で隔離されたから手に入ったのかも知れない。
女ではあるが、性も恋も知らない。人間ではあるが、「極人」も社会も知らない。
何より、彼女は醜い世界を知らず、「澱みない美しさ」だけを持っている。
彼女がまともに世界を見れるようになったのも、今、私が湯を掛けて清めたこの瞬間が初めてだろう。
「私は悔しい。肉機械となってもこんなに美しい彼女の澱みない完璧な姿を見ることが出来ないなんて…」
それと、同時にこうも思う。完璧な美を持って野に放たれていた彼女を見なくて良かった、と。
それを見ると避けられない争いが起こる。フタワが肉機械にされたのだって恐らくその為だ。
きっと、檻に捕まった彼女を見た外界の人間は「この女を自分のモノにしたい!」と考える他無かっただろう。
いつしかその気持ちは群れとなって、彼女を賭けた絶滅戦争を引き起こす。
きっと、フタワが極人に発見された時には周りは無惨な死体しか無かっただろう。
「マグロ。彼女は何にでもなれるんだよ。美しい物になら何にでも。彼女こそが究極なんだ」
「熟成された美こそが究極、ねぇ…俺にはそんな単純な物に見えないよ…」
「そうか。…まぁ、そうだろうな。君は私と違って疑念なく、極人に仕えて来たんだ。分かりはしないよ」
私は立ち上がってフタワの手を取る。彼女も黙って見上げ、同じように立ち上がった。
「フタワ。何処に行きたい?」
私は彼女に問う。フタワは少し悩んで、「赤黒い壁」と答えた。
「そうか。その為には、もっと高い所から街を見ないとな」
私は眼を閉じて、自分の頭の中にある「ブラック・ボックス」へと意識を集中させる。
中身は当然分からないが、きっと守ってきた「極人」への忠誠や憧れと言った類いだろう。
ずっとそれを追いかけて生きてきたが、今となっては何故、執着していたのか分からない代物ばかりだ。
そこに手を伸ばせば……きっと私は澱むだろう。澱んで、澱んで、澱み抜くだろう。
だが、それで良い。檻の中の鳥に生えた翼になれるのならそれで良い。
気付けば、私の身体には雄々しく、鮮やかな装飾が施された一対の黒い翼が生えていた。
「綺麗、綺麗…」
フタワは私の口や翼に触れては感嘆の声を零す。
「ああ、そうか。…君には負けると思うが…」
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