六月二十一日(胸) 「犯行前夜」
亜暦三三六年 六月二十一日(胸)
「…毎日、毎日。同じ事の繰り返しってのは嫌になるねぇ…なぁ、旅人」
珍しく静かな時間が漂っていた修理局の作業場では、技師のそんな一言が反響していた。
彼は、色んな職を旅する私と違って、随分長く此処の職場にいるらしい。
「同じ事ねぇ…技師は一体、どれくらいこの仕事をやってるんだ?」
私の質問に彼は「十七ヵ年程かな」と、どうでも良さそうに答えた。
我々の寿命が二十ヵ年である事を考えれば、十七ヵ年とは随分長いのではないだろうか。
「どうして、そんなに長く働くんだ?そんなにやってるんなら、作業場を辞めてもっと上の役職にでも行けるんじゃないか」
「…それもそうだと思うが、技師の仕事は難しいからな。中々、後続が続かない」
確かに、修理局の仕事は肉機械や女の修理なんかをやってる都合上、どうも作業が難しい。
それは、旅人として色んな職場を経験した私が言うんだから間違いないだろう。
「そうか。それなら仕方ないな」
「あぁ…そうだろう。それに、長く同じ事をやるっていうのは別に悪い事ばかりでも無い」
勿体ぶる彼に私は呆れながら何故か、と聞くとこう帰って来た。
「当たり前の事に気付けるからさ。私は長年、同じ“技師”を会話相手にしてきたが…やっぱり、「お前」と呼ばなくては個人を断定する事が出来なかった。その点、お前は違う。此処で「旅人」はお前だけさ。…もしかしたら、そう言う“新鮮さ”を届けるのが旅人の仕事なのかもな」
彼はしみじみと噛み締めるようにそう言った。対して、私はどう答えたものかと考えていた。
勿論、「旅人」だって何処にでも居る。…が、彼が言いたいのはそういう事では無いのだろう。
それが、余計に私を悩ませた。どうも、私には事実以外を述べる力が無いらしい。
***
暫くすると、一台の四輪が静寂を破るような爆音と共に、作業場の前に現れた。
技師と私が眼を丸くしてそれを見ていたら、中から黒いコートを羽織った少し背の低い男が出てきた。
「俺の“黒丸屋四輪”の調子が悪い。治してくれ」
変な一人称で話すその男が差し出した「黒丸屋四輪」なる物は、それはもう豪華な造りをしていた。
まず第一に肉機械という物は、フタワの様に赤黒い元の人体の形を残している物が多い。
しかし、この四輪は違う。外装として黒く染められた外骨格を着せているから、側から見ると只の箱の様にしか見えない。
「なぁ、技師。黒丸屋って何だ?」
「知らんのか?極人機関が囲ってる造機場の名前だよ。簡単に言うと、ブランドって所だな」
そう技師が説明していると、男は軽く咳払いをした後、早く取り掛かるように我々に促した。
「はいはい…せっかちな事で…旅人。外装を取り外して水を掛けてやってくれ」
私は指示通り前面部の外装を取り外すと、慣れた手付きで現れた本体に水を掛けてやった。
「…ア……アァ…」
「…ウ…ウグゥ…ア…」
二人の人間で出来た“それ”はどうも統合が上手く行っていないようで、ひっくり返った虫の様に無駄な足掻きを繰り返していた。
「人格が一つになる様、工具で適当に調整してくれ」
技師の言う通りに内部を弄ろうとするが、これが中々難しい。
調整に技術が要るからと言うのもあるが、そもそも“それ”の「在り方」自体が滅茶苦茶なせいで、正しい調整方法が技師にだって全く分からないのだ。
「ネ…ネェ…ジンカク…キエル…ノハ…ボクジャ…ナイヨネ…?」
「チ…チガ…オマエ…ダ…ヨ…」
「…ヤ…ヤダ…ソン…ナノ…ヤダヨ…チガウ…ヨネ…?」
私が答えずにいると、肉機械は壊れたラジオの様に同じ質問を何度も繰り返した。
「おい。旅人君…それを静かにする事は出来ないのか?」
依頼者も我慢の限界らしく、後ろでもどかしそうに私の手際を見ていた。
「今やってる。…中々、難しいんだよ…アンタがやるか?」
「いや、辞めとく。こういうのは。手先しか取り柄の無い君達がやるようなものさ」
なんと、腹立たしい奴か。そう思う気持ちは止めようがなかったが、客は客。技師の顔を立てる為にも黙っておこう。
「ッケ!…よくそんな人を見下した言葉が言えたもんだな。モテねぇだろ、お前?」
折角、静止したのに、その技師が突っかかってしまっては仕方がないではないか。
「ムゥ…モテるも何も。女なんてものは罪滅泉にしか居ないだろう」
彼は少し、しどろもどろになりながらそう答えると、居心地悪そうにしながら席に着く。
「…そもそも、モテるってなんだ。…女なんて極人の、もっと言うとオーナーの所有物だろうに」
「…まだ言うのか?よっぽど悔しいんだな」
ぶつぶつと呟き続けていた彼に、私は技師に倣ってらしくない事を言ってみた。
「…おい、旅人君。それはどういう意味だ。言っとくが、俺は極人の人間だぞ。名前だってある…君からしたら天の上にいる様な存在だ」
「そうか。そんな物だと思ってたよ。けど肩書きなんか関係ないさ。俺もアンタも男だろ…まぁ、アンタは女の子かも知れないがね」
彼は私の言葉に更に怒りを募らせる。
と言うのも彼は、ユキネの様にスラリと長い黒髪を持っていて、身体も華奢な物だから、遠目からだとしばしば女性に見えるのだ。
それでも、近づいて見てみれば男である事に変わりはない。が、彼はそれを酷く気にしているらしかった。
「お!お、お前ぇっ!?わた…俺が一番、気にしてる事を…!」
そう言って憤慨する彼の口に人差し指をそっと当てて、私は口を開いた。
「ただ、正直言ってアンタは顔が良いし、モテると思うんだ」
「な…何が言いたいんだよぉ…?」
私の口にした言葉は、彼の意識に刷り込まれていくように馴染んでいく。
「つまり、やり方さえ教えたら引く手数多だと思うんだよ、私は」
「な、なに…それは本当か?…でも、やり方なんて…」
「私は湯女に告白された事もあるんだぞ?だから、やり方を教えられる。…明日一緒に罪滅泉に行こう」
「…え、良いのか?」
彼は感動した様な口振りで返事をするが、私は現実に引き戻す様な言葉を投げ掛ける。
「勿論、タダじゃない。アンタには私がやる「ある行為」を見逃して欲しい」
それを聞いた彼は一度驚いたが、すぐに納得した様に頷いた。
「…まぁ、良いか。罪滅泉で出来る違法な事なんて湯女との性交渉ぐらいだろうしな…」
彼の言葉にただ黙っていると、彼はとうに修理を終えていた四輪へと足を掛けた。
「あ、あと…次会う時は名前で…呼んで欲しい、かな…マグロ…って言うんだけど変?」
不思議な事に、マグロはちょっと赤くなった顔を此方に向けて、甲高い声で捲し立てるようにして声を上げた。
「いや…別に。良い名前だと思う」
マグロの顔に気圧されて、適当な事を言ってしまったが、彼は納得した様な顔で小さく呟く。
「そっか。一応、ありがと……ほら、やっぱり極人機関が決めた名前が変な訳ないじゃないか…」
その内容は殆ど私には聞こえなかったが、きっと好感触だったと思う。
ともかく、明日が決行日だ。
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