六月二十日(喉) 「罪滅泉のユキネ」

亜暦三三六年 六月二十日(喉)


「大の常備用水を四個頂きたい」

罪滅泉の店主「ヤン」はあいよ、と言って待ち札を寄越した。

「それじゃ、旅人さん。待ってて貰えるかい?」

それに私が頷くと、ヤンは背中を丸めて店の奥へと消えて行った。

さて、水を待っている間にヤンについて…それと罪滅泉についてを記しておこう。

先ず、「罪滅泉」と言うのはこの世界で広く普及している公衆浴場の事だ。

と言っても、公衆浴場の管理だけが此処の全てではない。貴重な水道周りの管理も担当している。

故に、此処を任されている彼には「ヤン」と言う立派な名前があると言う訳だ。

また、罪滅泉には女の身元預かりと言う、もう一つの側面がある。

この世界において女という存在は珍しく、奪い合いの種になる。

だから、ヤンの様に「極人機関」に任されて管理をする様な奴が出るのは必然なのだ。

そんな話をしている内にヤンが戻って来たらしく、私の前に3つのポリタンクが置かれた。

私は中身を確認すると懐に仕舞い込んだ。そんな私を可笑しそうに見て、ヤンが言う。

「…今まで大、二個で間に合っていたのに随分と増やしましたなぁ」

「二輪を手に入れたんでね。一度に沢山買える様になったのさ」

そう返答する私に彼は益々可笑しそうな眼を向ける。

彼の顔面が犬の様に澱んでいるせいもあってか、何だか下等な動物にでも馬鹿にされている様な気がした。

「そりゃ、良かったですなぁ。…と言っても、それで此処に来る回数は減らせんでしょうに」

彼がそう言うのには理由がある。

以前、私達には生まれた時から「罪の意識」なる物があると話していたと思うが、一瞬、それから逃れる手段がある。

それは、温泉に浸かる、或いは、水で浄めるといった物だ。尤も、水は温泉より一時的な物の為、逃れているとは言い難いが。

要は、私達は日々感じる罪から逃げるには定期的に温泉に浸からなくては成らないのだ。

「如何しましたかな?」

ヤンは犬顔を向けてもう一度、問い掛けるが私は譲らなかった。

「そうですか、そうですか…家族でも増えましたかな」

「い、いや…別にそういう訳では」

「……あんまり肉機械には肩入れしない事ですな。彼等にとっては利用される事こそ最大の幸せなのだから」

ヤンは少ない私の言葉を元に確信めいた言葉を発したが、冷静その物だった私を見て手を引いた。

「まぁ…アンタほどの堅物に限ってそれは無いか。…さっ温泉にも浸かって行ったらどうです?」

私は手招きする彼に従って店の奥へと消えて行った。


***

「さぁ、どの湯女になさいますか、旅人さん?」

温泉に浸かっている私の前には名前の書かれた紙を持った四人の女達が私の前で全裸のまま佇んでいた。

「一番左の娘はハチと言います。コイツは右手や口が運良く蛸の様に澱みましてねぇ…吸い付き良く洗ってくれるってんで評判なんですよ」

確かに、このハチという女の右腕は吸盤が目立つ茹で上がった蛸の様だった。口もかなりおちょぼ口だ。

「その隣は古株のシジマで御座います。コイツの身体はまぁ…見ての通りかなり澱んではおりますが、サービス良いですよ、うん」

四人の中で、このシジマという女の外見が一番特徴的だった。

彼女は身体の右側がツルツルとした蜘蛛のように、左側はぬめりのある触手の様になっていたのだ。

別に深くは詮索しないが、この女の、ひいてはこの仕事が生む罪の悩みはさぞかし大変な物なのだろうなという気はした。

「シジマの横は新人のモミジで御座います。新人である事は見ても分かるでしょう。なんせ身体に一片の澱みも無いのですから!!」

そうヤンが豪語するだけあって、うら若きモミジの素肌には一片の澱みもなかったが、それもきっと今だけだろう。

「うぅん…旅人さん。この感じだとまたいつもと同じ娘を頼む感じですかな?」

「え?…あぁ、そうだね。でも説明は聞きたいかな」

「…物好きな事で。…最後の娘はユキネで御座います。コイツは長い髪が特徴でしてね。少し澱んでいるからか、白髪なんか混じっている」

「それじゃ、ユキネをお願いします」

「あい、分かりました」

ヤンはユキネに手引きをすると、そのまま店の奥へと消えて行った。


***

「それにしても、貴方は物好きですね。どうして私をいつも選びますの?他の皆んなは新人を穢したくって必死なのに」

ユキネはそう言いながら、慣れた手付きで「極人製潤滑油ボディーソープ」を泡立てる。

「さあね。何故か、いつも長い髪に包まれたくなるのさ」

「…そう。まぁ、良いです。それで、旅人さん。何か土産話はありまして?」

そうだな、と思案に耽っていると、彼女の冷ややかな指先が絶えず背中や横腹に触れて、ゾクリと身体が強張る。

「ふふ…何か思い出せました?」

突然、ユキネは囁く様に私の耳元へ言葉を吐いた。

「ああ、思い出した。けど、話して良い事だろうか?」

そんな消極的な言葉を吐く私の口にユキネは優しく、しかし強引な口付けをしてから語り出した。

「私には物を語る様な友人は貴方の他におりません。だから、何を言っても秘密のままです」

彼女の言葉や吐息が耳に当たる度、身体が敏感に反応するのが自分でも分かる。私はそれを隠す為に必死に押し殺した。

耳元でクスクスと笑う声が聴こえる。きっと彼女には私が悦んでいる事はお見通しなのだろうと確信する。

「さぁ、話して?…此処は罪を流す所でしょう?抱えていては離れてくれないわ」

「それもそうだな。…実はフタワと言う二輪を買ったんだ」

身体を愛撫していたユキネの手がピタリと止まった。不審に思って振り返ると、今度はユキネが思案に耽っていた。

「それは…肉機械ではありませんか?」

か細い声を絞り出すように発する彼女に、私は一言、一言を確かめるようにして肯定した。

「あぁ…そう。そうなのね…けど、そうね…問題なんて…」

ユキネは煮え切らない言葉を呟きながら、私に対して何か策を講じている様子だった。

暫しの沈黙の後、ユキネは重い口を開いた。

「貴方がその二輪のせいで澱んでも、私がいるものね」

それから、ユキネは何も言わずに湯を掛け、仕事へと戻った。


***

「旅人さん…」

ユキネは湯から上がり、着替えを済ました後になってようやくまた口を開いた。

「なんだい?言っておくが、私は入湯代しか払っていないぞ。湯女との個人的な関わりは別料金になっている筈だろう」

私の言葉はちゃんと聞こえている様だが、ユキネは少し焦ったそうにするくらいで聞く耳を持とうとしない。

「意地悪を言わないでください。これは私個人の意志です…」

私が逡巡して口を噤むと、彼女はそれを見兼ねた様に喋ってくれた。

「私も気付けば…此処での歴が長くなりました。技師が言うには完全に澱み切るまで、後一ヵ年程だそうです。だから、出来れば最期は自由になりたいのです。…どうか、此処を連れ出して頂けないでしょうか?…貴方に得が無いとは言えませんよね。私達、女なら湯を用意出来ます。暖かい家庭も用意出来ます。…それとも、愛しているのは私だけでしょうか?」

私が渋っているとユキネは溜息混じりにこう言った。

「極人機関は裏切れませんか…?そうですよね…女を罪滅泉から奪うと言う事は、人を殺すより重い事なのですから」

その言葉にも答えれずにいると、ユキネはただ、「次回のご来店をお待ちしております」との一言だけを残した。


***

罪滅泉から帰ると、私は真っ先にフタワの顔に水を掛けてやった。

「…タビ…ビト…?」

私に気が付くと、彼女は徐々に潤いを取り戻していく。多めに掛けてやったから今日は目も遜色無く動いている。

「そうさ。旅人さ」

私の言葉にフタワはくすりと笑うと、今度は楽しそうな声で何処に行ってたの、と聞いてきた。

「温泉に行ってたんだ。そこに行けばちょっとの間、自分の罪から逃れられる。いつか、お前も浸からしてやりたいが、肉機械を人間に戻すのは重罪なんだ。済まない…」

私の言葉を聞いて、フタワは突然不思議な物でも見る様な目を此方に向けた。

それが、あまりに真剣に見えたものだから私は何か可笑しい事を言ったかと思い悩んだが、そうではなかったようだ。

「…ソ…レ…ナニ…?」

フタワの視線の先を見ると、自分の肌が少し黒ずんでいるのが見えた。いや、その表現は正しくないのかも知れない。

何せ、肌だった部分が羽毛の様になっていたのだから。……まさか。そう思いながら、私はユキネの事を思い出していた。

私は彼女に罪を感じているようだ。だが、早く答えを返せなかった事に罪を感じているのだろうか。

そうなら良いが、恐らく違うのだろう。きっと私は彼女が疎ましい。無理難題を言って苦しめる彼女が疎ましいのだ。

「だから…自由になりたいと願ったのか」

だが、羽で得られる自由など此処、亜球に有りはしない。此処には空などなく、あるのは堅く閉ざされた鉄の屋根だけなのだから。

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