第93話 魔弾の槍
カーヤが用意した拠点から、白の都を破壊している巨大なモンスターまでの距離を、エクトルたちはものの数分で走破した。
イグレシアスが肉体強化魔法をかけたこともあるが、それよりもまず怪我が完全に治癒していることにエクトルは驚いていた。聖女ミリーナの力である。軽い疲労感もすぐにとれてなくなるほど、ミリーナから受ける恩恵は大きいのだろう。
(これが聖女の力……俺の聖騎士の力でもあるのか……)
余裕を感じるよりもまず先に恐怖のほうがやってきた。この異常なほどの回復力を受け入れるには、これまでの肉体に受けた経験が邪魔をする。怪我や病はそんなに早く治るものでもない。自分になにが起きているのか、エクトルはまだ戸惑っていた。
「聖女の力だ」
イグレシアスがわかりきったことを言った。
「この世界を、光の民を守るために託された力だ。無駄にするなよ?」
「ああ……」
今一度気を引き締めたエクトルは、ミリーナを見た。
彼女の目は——いや、ミリーナではない。
「銀の疾風か?」
『さよう』
いつの間にかミリーナの人格が銀の疾風へと移り変わっていた。
『まだ慣れぬ【器】ゆえ、足がおぼつかぬわ』
「ミリーナは?」
『ここに——共にいる』
銀の疾風は胸のあたりに手を当てた。
エクトルは安堵のため息をついた。もしミリーナが聖女になることで、この銀の疾風がずっとこのままでいられるとしたら、それはそれで余計な気を揉むことになるだろう。この戦闘が終われば、また元のミリーナに戻るとわかれば問題ない。
この戦闘が終われば——
が、そのときエクトルの目が巨大な魔物の全身をとらえた。
「大きい……!」
「ディオスクロイだ」
イグレシアスは知っている風に言った。
「この世界の創世を司りし十二宮が一柱——つまり神だ」
「この醜悪なバケモノが?」
「さて、本人がそう思うておるかはわからぬぞ?」
イグレシアスがブツブツと呪文を唱えると、六芒星が頭上に現れた。その瞬間、崩れた建物のあいだから何本もの触手がムチのように伸びてきて、襲いかかった。
間一髪、イグレシアスの守護の魔法によってそれらは防がれたが、イグレシアスは厳しそうに顔をしかめた。
「なかなか厳しいな……ずいぶん人を喰らったあとらしい」
「どうすればいい?」
「今は守るので一杯だ。そこの精霊と話せ」
イグレシアスは絶えず魔力を頭上に展開し、何度も襲いかかってくる触手を防ぐ。
エクトルは銀の疾風のほうを見た。
彼女は恍惚な表情で、この惨状の空気を大きく吸い込んだ。
『ああ、血が滾る……戦場へ妾は帰ってきた。ああ、ああ、この懐かしい感じ……長らく求めていたものよ』
こんなときになにを呑気な——エクトルは苛立ちながら叫んだ。
「銀の疾風、どうすればいい?」
『道を拓け、騎士よ。さすれば妾が一太刀浴びせようぞ——』
言い終わると、銀の疾風の手が緑に光り輝いた。風が集まっている。光がやがて収束していくと、それは長い槍へと変わった。
『妾の愛槍ブリューナク。神すらもを一撃で屠る魔弾の槍よ』
「なるほど……それは心強い」
エクトルは、自信過剰だなと思いつつも、ここは銀の疾風に任せるよりほかないと判断した。
『騎士よ、妾がこれを撃ち込むにしても、あの触手が邪魔だ』
「どければいいんだろ? わかった——」
エクトルは剣を構えてまっすぐに走り出した。
たちまち触手がエクトルに襲いかかるが、彼の異常なまでの動体視力は、それらを的確にとらえて剣で斬り刻む。
(イグレシアスの魔法と、ミリーナのおかげか……!)
エクトルは素早く動いて次々に触手を斬った。
だが、その数は一向に減らず、斬れた先から再生して、再びエクトルへと襲いかかる。
「チッ……」
エクトルは触手が束になったのを跳ねて避けると、そこに大きな穴が開いた。一本、二本なら肉体を斬り裂くムチ、束になれば攻城槌の破壊力を持つようだ。
「きりがない……!」
エクトルはイグレシアスのほうを向いたが、そのそばに銀の疾風——いや、ミリーナの姿があった。
(今俺があそこに戻れば、引きつけた触手が一斉にあそこを攻撃する……だがどうする? このままだとジリ貧だ)
そう思いつつも、エクトルは襲いかかる触手を次々に斬って払って、考える。この触手の攻撃が止むようにも思えない。
「直進しかないだろう!」
エクトルは自分に言い聞かせるように言った。
すると——
「お困りなら手を貸して差し上げましょうか?」
聞き覚えのある声がして、エクトルは振り向いた。
「お前はイザーク⁉」
「また会えましたね、エクトル」
ニヤリと笑ったその顔は、港町で自分が頭を斬り落としたはずの男だった。
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