第七章 ディオスクロイ

第92話 混乱のさなかで

「避難を急いでください……!」


 巨大な肉の塊がうごめく中、カーヤが神民を逃がしながら叫んでいた。神官数名が神民の避難誘導をしている中、カーヤは肉の塊を向く。


(なんなのこれは……)


 突如神国の中心に現れた異常な大きさの魔物——まともに戦える相手ではない。


 騎士団は民衆の盾にはならず、優先的に要人たちを逃がし、そのまま雲隠れしてしまった。戦えるのは、自分を含め一部の神官のみ。が、さすがの大きさに尻込みしている。もちろんカーヤもまた、神民を逃がすことに尽力しつつ、なにか、風向きが変わるのを待っていた。


(けれど、これ以上は——)


 援軍を待っている時間はない。

 すでに多くの建物が倒壊し、民が傷つき、命を落としている。


 命を賭すには愚かすぎる選択かもしれないが、この身は拾われた命、たとえ死したとしても、神民が逃げる時間稼ぎくらいにはなるだろうと覚悟した。


 視力のないカーヤだが、耳や鼻、肌に伝わる感覚は、正確に肉の塊とその周辺の状況をとらえていた。


 先ほどから肉の塊は、四方八方に向けて閃光の魔法を放っている。猛り狂ってただ破壊の限りを尽くし、近づく者を触手で捉えて肉の塊の中に引きずり込んでいた。


(人を食らって大きくなっている? どうしてあの場に留まったままなの……もしかして——)


 非常識な魔物の中に、なにかカーヤはある規則性を見出した。


 一箇所に留まって遠距離攻撃を繰り返しているが、留まっているのではなく留まざるを得ない理由がなにかあるのではないか。触手はあっても足はない。巨大な肉の塊に対し、あの触手では細すぎて身体を持ち上げるには、文字通り荷が重い。


 もしやあの閃光の魔法の遠距離攻撃しかできないのではないか——いや、おそらくそうだ。あの肉の塊はその場から動けないでいる。近づかなければ攻撃はあれしかない。


 しかし、どうやって近づく?


 下手に近づけば、あの鞭のようにしなる触手によって飲み込まれる。その触手がなんとかなれば、一気に近づくことができるが——そのときカーヤは自分の近づいている者の気配に気づいた。


「誰?」

「私だ、カーヤ」

「そのお声は……大教皇様⁉」


 カーヤは思わず膝をついた。神国の国王とも呼べる代表者である。


「なぜこちらに……いえ、逃げられたのでは⁉」

「いいや、ここは私が治めている国だ。逃げるわけにはゆかぬ」


 大教皇はしわがれた声で言った。


「しかし、供の者もつけずに……危険です! 今すぐお逃げください!」

「ふむ……忠告はありがたく受け取るが、やらねばならぬことがあってな」

「やらねばならぬこと?」


 大教皇は頷くと、肉の塊を見上げた。


「アレは我が子たちの成れの果ての姿だ」

「っ……⁉ それはどういう意味でしょうか⁉」

「ディオスクロイ……十二宮は知っておるか?」

「……? いえ、存じ上げませんが……それがなんだと言うのです?」

「いや、そうか……」


 大教皇はカーヤの肩にそっと手を置いた。


「あの、大教皇さ——」

「ならばよい」


 その瞬間、カーヤは「え?」となった。ザシュっと音がしたあとに、激しい痛みが腹からした。熱い、痛い、なにか熱いものがそこから流れ出ている。


「かっ……はっ……——」


 カーヤは前のめりに倒れ、地面に伏した。

 そのとき、腹を刃で貫かれたのだとようやく理解した。


「な……ぜ……」


 頭巾が外れ、そこから覗かせた白く濁った目でカーヤは大教皇を見上げた。


「なぁに、簡単なこと。真実は不幸、虚実は幸福……目撃者は一人残らず屠らなければならぬ。一人残らずな——」


 そこでカーヤの意識が途絶えた。

 真っ暗闇に落ち着くと、音も臭いも、肌の感覚さえも消えた。

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