第91話 使命を帯びて

 まばゆい光が収束していくと、景色はもとの天井のない家屋へ移り変わった。


「……エクトル?」


 ミリーナの声がして、エクトルは静かに目蓋を開けた。


「今、なにが……」

「力をもらった」

「力? 誰から?」

「説明はあとだ——」


 エクトルが立ち上がると、それまでの身体の怠さや怪我が嘘のように回復していた。


 動ける。

 戦える。

 力が漲っている。


 エクトルはミリーナに帰依したことを自覚しつつ、イグレシアスと目を合わせた。イグレシアスは理解したようにコクンと頷いた。


「ミリーナ」


 エクトルは跪き、ミリーナに深々と頭を垂れた。


「俺は……いや、わたくしはミリーナの騎士になります」


 そのとき、ミリーナははっとしたように目を見開いた。


 自分の姿をした自分ではない何者かが、戦場のような場所で会話をしている映像が目前に流れたのち、全てを悟った。【銀の疾風】——あれは自分の中にいる精霊。ここ最近よくわからない力に目覚めたのは、あれの力を享受したためにほかならないと。


 そうしてエクトルは、私に帰依することに決めた。

 聖女という器でしかない——私、ミリーナに。


 一度は聖女という呪いにかかったのだと思ったミリーナだったが、覚悟を決めたエクトルの様子に胸が張り裂けそうな思いにかられた。


 そこでミリーナはいよいよ自分が何者であるかを受け入れる気になった——




『——それでいいのだ、【器】よ』




 頭の中で声が響いた。

 これは【銀の疾風】の声——今までとは違い、はっきりと精霊の声が聞こえた。

 動揺を隠せなかったが、ミリーナは虚勢を張るように、


「剣をここへ」


 と言った。


 待っていたかのように、イグレシアスが手に持っていたエクトルの剣をミリーナに手渡した。


 この剣はマーゴから受け取ったもの。道具屋の奥にしまわれていた、マーゴが家宝とも呼んでいた大事な剣であることをミリーナは知っていた。


(この日のためだったのね……)


 ミリーナは剣を鞘から抜き、刀身を見つめた。

 そうして、遥か海を隔てた先にいるマーゴに思いをはせた。


「名誉ある聖騎士の称号を授けることになりました——」


 ミリーナから叙勲の言葉が紡がれる。


「あなたは勇気、忠誠心、そして高潔な品性を持っており、聖騎士の称号にふさわしいと認められました。あなたはこの称号を受けることで、聖女と、光の民に仕える責任を負います。誇りを持って聖騎士としての義務を果たしてください」


 義務——命を賭して。


 いかに重たい言葉なのか、ミリーナは紡ぎながら理解する。

 己の死はエクトルの死に直結する。


 その覚悟を示してくれたエクトルに対し、ミリーナの胸中は感謝と懺悔が入り混じった複雑な気持ちで溢れていた。


 死するわけにはいかぬ。

 それが聖女としての義務なのだと、ミリーナははっきりと自覚した。


「これからは——聖騎士として呼ばれることになります」

「光栄に思います。わたくしはこの称号を誇りに思い、聖女や光の民に尽くすことを誓います」

「誓いを受けます。あなたは正式に聖騎士となりました。聖騎士の称号を受けたあなたには、この剣を授けます。これはあなたの勇気と忠誠心を象徴するものです——」


 ミリーナは剣の平らなところでエクトルの両肩を叩いた。

 エクトルはつぶった目蓋にグッと力を込め、両手を差し出す。

 そこにミリーナは静かに剣を置いた。


「ありがとうございます。この剣を大切に持ち、聖騎士としての使命を果たしていきます」


 厳かで、お粗末で、他人行儀な叙勲式が終わった。


 ゆっくりと目を見開いた精悍な顔つきのエクトルの目を、ミリーナは慈しむような目で見つめ返す。

 それからミリーナはこう問うた。


「……エクトル、ねえ、どうして……?」


 ミリーナの優しい声には悲しみの色が混じっていた。

 エクトルは微笑みつつ、ミリーナにこう答える。


「なるようにしかならない……いや、そうしたいと俺が願ったんだ」

「愚かな選択かもしれないわよ?」

「いいさ。君と共にいたい。これからも——」


 エクトルは立ち上がった。


「聖騎士としての義務を……俺自身の使命を果たすよ」

「馬鹿」


 ミリーナはエクトルの胸に飛び込むようにして抱きついた。


「怒っているのかい?」

「……ううん、嬉しいの、とっても……申し訳なくて、でも、嬉しいの……」

「そうか……」


 立会人のイグレシアスは笑みを浮かべていたが、上空を赤い光がいくつも横切るのを見て、うかうかしていられないと思い直した。


「よし。では、行くか——」

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