第88話 警鐘

「あっ……!」「く、うっ……!」


 双子が同時に地面に転がる様子を、イザークは屋根の上から愉しそうに眺めていた。


「子供をいたぶるのは趣味ではありませんが、そもそも貴方たちは子供の姿をしているだけでしたね」


 イザークはそういうと屋根から地面へと下りた。


「な、なんで……」

「こんなのおかしいよ……」


 双子が狼狽える理由ももっともだった。格が違うはず、自分たちのほうが上——そう思い込んでいたのに、このイザークと名乗る男はたった一人で、二人を相手にしながらも余裕の顔だ。


 何度踏み込んでも返される。変幻自在で奇妙なあの動きは暗殺者のそれか。


 そこにきて、自分たちは弱くないはず、この男とのあいだに実力差があると思い知らされたくない双子としては、十二宮の誇りのみで戦っていた。


 いや、この程度と思い込んでいた相手に、こてんぱんにしてやられるのが釈然としないのだ。


「私は暗殺者だと言ったでしょう? 夜が得意なのは貴方たちだけではありません。むしろ……夜に殺し慣れているから当然でしょう」


 イザークはウフフフと含んだように笑った。


「にしても……見苦しい」

「「っ……⁉」」

「いったいいつになったら『本体』を見せるのですか? 私、少々飽きてきたところで、そろそろ本気を見せていただかないと困り——」

「「やぁっ!」」


「——無駄です」


 イザークは双子の頭を両腕で掴むと、トマトを潰すように、グッと力を入れて握り潰してしまった。が——そこからモコモコとまた頭の先が生えてくる。


 再生速度は落ちてきたようだが、それでもまだ余力がありそうだ。


 けれどイザークは飽きてきていた。

 双子はワンパターンな攻撃を繰り返しているわけでもないのだが、エクトルと戦ったときのようなヒリつく感覚はすっかり失われていた。


 興味がない。

 早く『本体』にお目にかかりたいものだ——そう思っていると、急に双子が距離をとった。


「おやぁ? 逃げるのですか?」


 イザークは追いかける。

 双子は影から影へ移動し、瞬間移動のように次の場所へと移動するが、イザークはその気配を察知して追尾する。


 イザークは気づいていた。

 この双子は自由に影を移動できない。


 条件は二つ。

 一つは、生き物の影には隠れられないということ。そしてもう一つは、鏡の反射のように、建物同士の影と影が向かい合っていなければならないこと。


 こうした特定の能力の条件は、輪廻を外れた者の制約として、仕方がなく受け入れなければならないのだが、見極めてしまったら簡単な手品のようなものだ。


 ならば——


 イザークは懐から火薬の袋を出し、宙へ投げた。

 すると、太陽のような強烈な光が周囲に広がった。


 ちょうど、双子が影を移動しようとしていた矢先の出来事で、


「ギャアッ!」「アアアッ!」


 双子が影の中から上半身を出したところで、胴体が真っ二つに分かれた。影の中に、身体の半分を置き去りにしてしまったのだろう。


「痛い痛い痛い……!」

「スレイン……痛いよぉ……!」


 子供が泣き叫んでいるが、イザークには関係ない。むしろ嗜虐趣味な彼にとっては、思わず「クヒッ」と笑ってしまうほどに愉しい。


 もとより、人間の子供の姿を借りたバケモノどもだ。

 なんの躊躇いもなくいたぶることができる。


 だが、双子の下半身がモコモコと再生していくと、イザークは「チッ」と舌打ちして、つまらないものを見るような目で双子を見下ろした。


「これでもまだ逃げますか?」


 そのとき——


 双子の中からシューッとなにか黒いものが噴き出た。


 黒い霧——それは禍々しいなにかの魔力を孕んでおり、イザークは「おや?」といって、飛びながら近くの建物の屋根に飛んだ。


 黒い霧が出続ける。密度が濃くなり、あのままそこにいたら、どうなっていたのだろうとイザークは思ったが、すぐに結果が出た。


 黒い霧がかかった建物から、騒ぎに驚いて出てきた住民たちがいた。


 すると彼らは、苦しそうに喉をおさえ、そのまま絶命した。かと思いきや、黒い霧の濃いところから、なにかが鞭のようにしなって出てくると、たった今絶命したばかりの住民、これから絶命する住民の足を掴んで、一気に霧の内側へと飲み込んでしまった。


 イザークはその一部始終を見ていて、ウフフフと含んで笑った。


「なるほど、食事ですか? 本気を出す前の腹ごしらえですねぇ……?」


 うっとりとそういうと、霧の濃い部分から無数の触手が這い出た。そして、近くの建物の中から、次々に人間を引っ張り出しては、なんの遠慮もなく霧の内側へと取り込んでいく。


 見ていたイザークは愉しくて仕方がなかった。


 まさかこんなバケモノだったとは——


 やがて黒い霧の内側から、ブヨブヨとした巨大な肉の塊のようなものが現れた。何百もの触手がうねり、巨大なクラゲにクラーケンの触手を足したようなその姿は、醜悪そのものを象っているようにさえ見える。


 悲鳴が上がる、悲鳴が上がる——


 次々に悲鳴は連鎖し、その区画に巨大な魔物が現れたことを聞きつけた誰かが、いよいよ町全体に響く警笛を鳴らした。


 巨大な魔物は人を食い続け、やがてイザークの立っている建物ほどの高さにまで大きく膨れあがった。


「素晴らしい……!」


 その様子を愉しそうに眺めていたイザークだったが、魔物の変化は留まらなかった。身体に無数の縦の線が現れたと思ったら、そこが急に開き、中から目玉が飛び出した。


 無数の目玉が、ギロリとイザークを見つめる。


 イザークはククク、アハハハと高らかに笑った。




「はじめまして、ディオスクロイ。よい月夜ですねぇ……?」

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