第85話 備えねばならぬ

 夕飯はエクトルとミリーナ、そしてイグレシアスの三人でとることになった。ミリーナが用意した食事は、村でとっていたときと同じシンプルなスープと、魚をフライパンで焼いたもの、それとパン、ぶどう酒だった。


 食事をとりながら、イグレシアスはエクトルとミリーナに帰依について説明をした。


「つまり、帰依とは、自らの魂と引き換えに、その相手から能力を借りるという代償行為だ。たとえば膂力、再生力、魔力と呼ばれるものを得られる。聖女であるミリーナに帰依すれば、ミリーナからその力の一端を受けとることになるな」

「イグレシアス様、聖女の能力とは?」

「ふむ……」


 イグレシアスは、ベッドで食事をとっているエクトルを見た。


「今のところわかるのは、エクトルの再生力の速さは、お前と関係しているということか」

「つまり、傷や毒などの回復速度が上がる、と?」

「ああ、おそらくな」


 聞いていたエクトルも「たしかに」と口を開く。


「村を出て港町にいったあたりから、傷や毒の回復が速い気がしていたんだ。でも、おかしい。俺とミリーナはなにも契約の儀式のようなことはしていないんだ」


 エクトルは難しい顔をしたが、イグレシアスはふっと笑った。


「なぁに、そう難しい話ではない。力を持つもの、持たぬ者で、互いに必要とし合ったときに絆が生まれる。お前さんはミリーナを必要とした」


 俺が? とエクトルは思ったが、自分が生きるための理由としてミリーナを欲したことはたしかだった。ある意味で、それは魂をミリーナに差し出す行為と変わらない。


「そしてミリーナもエクトルを必要とした。互いに、そういう求めがあったからこそ、エクトルの言うような契約……ここでは仮契約としておこうか。そういうものが発生したのだろうな?」


 エクトルとミリーナは互いの目を見合って、なんだか恥ずかしくなり目を逸らした。


「イグレシアス様の仰っていることは理解できたわ。でも、私はなにも力を与えているような感覚はないの」

「そういうものかもしれない」

「そんな、いい加減な……」

「私にだってわからないことはある。誰かに帰依されたこともないしな?」


 イグレシアスはそう言うと、グラスのぶどう酒をグッと飲み干した。


「……が、さっきも言ったが仮契約だ」

「どういう意味ですか?」

「エクトルの言う通り、帰依するためには正式な手続きが必要だということだ。もっとも、ミリーナ、お前さん自身が自分を聖女だと受け入れる必要がある」

「……受け入れるには、どうしたらいいんですか?」

「詳しくはエクトルの持っている『聖女の手記』に方法が書かれているだろう。あとは、私が知る限りでは、聖女になるための方法がこの神国にあるという話だ」


 エクトルはまた難しい顔をした。


「イグレシアス、その件について気になっていることがある」

「なんだ?」

「神国は精霊の声、精霊に関してのことを口にするのはご法度らしい」

「その通りだ。六柱の神々を崇めているからな。それ以外の何者かを受け入れたら邪教となるのは必至」

「どうしてだ?」

「……利権だよ」


 くだらないというような顔で、イグレシアスは酒瓶からグラスにぶどう酒を注ぐ。


「六柱も神々がいる。それぞれの代表者がいて、それぞれを信仰する民がいて、これ以上なにかを増やす余裕もない。そして魔王が出るとなれば、聖女の存在は絶対的になる。それまで信仰していた民らが、聖女の虜になったらどうなる?」

「……信徒がいなくなり、六柱の神々の信仰心が揺らぐと?」

「ああ。そう単純な話でもないが、すくなくともお布施は減るに決まっているし、なるべくなら信仰を自分たちの元に置いておきたいものだ」

「まるで神を使っているような口ぶりだな?」

「それで間違っちゃいないさ。なにせ、人はいずれ死ぬからな。神くらいしか残しておくものがないと思えば、それも止む負えなしなのだよ」


 イグレシアスの理屈はひどく偏っているように聞こえるが、それならば精霊うんぬんに関しての説明に納得もいく。


(……殺された代表者三人は、利権をもとに私腹を肥やしていた?)


 あまりそう考えたくはないが、あの双子に殺されるに値する理由がそれならば、今度は双子にとってなにが得かとエクトルは考えてみた。けれど、いまだに理由は深い沼の底に沈んでいるようで、なかなか浮き上がってこない。


「わからないことが多すぎる……」

「そうだ。考えても仕方がないから動くしかない」

「だが、ご覧の通り、俺はまだ動けない。このあと神国でなにがあっても、俺はこのベッドに括りつけられているように見ておくしかないのさ」

「この国のことは捨て置け。それよりも大義がある」


 イグレシアスはそう言うと、今度はミリーナのほうを見た。


「聖女を育てる。来る日に備えてな」

「魔王か……」

「ああ。光の軍勢を備えねばならぬ。あの双子やイザークといった、輪廻から外れた者たちが現れ始めたのもなにかの予兆だ。……備えねばならぬ」


 イグレシアスが二度いうと、食卓はさらに重苦しい空気に包まれた。

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