第83話 魂を委ねるか
エクトルとイグレシアス、カーヤが三人でいると、拠点にミリーナが怖い顔をして戻ってきた。
「エクトル!」
「……どうした?」
「イザークが……あの暗殺者がいたのっ!」
「……なに?」
エクトルは眉根を寄せた。
「そんな馬鹿な……港町でたしかに俺はヤツの首をとったはず……!」
「でも、いたわ! 私と話もしたっ!」
「それなのに無事だったのか?」
「ターゲットが変わったとかいって、私やエクトルは違うみたい……!」
エクトルは、さらに顔をしかめた。
するとイグレシアスが「ふむ」といって、椅子から立ち上がると、ゆっくりと口を開いた。
「おそらく、そのイザークとやらは輪廻から外れた者だ」
「輪廻? 外れるとは、どういうこと?」
ミリーナが訊ねた。
するとイグレシアスは、ポッと指先から小さな火の玉を出し「これが魂だと仮定して——」といったあとに、もう一方の手の平に一回り大きな火の玉を出した。
「輪廻とは大きな魂の流れだ。我々の魂は、肉体を失うと一箇所の、大きな塊に戻っていく——」
イグレシアスの指先の小さな火の玉が、ゆらゆらと大きな火の玉に吸収された。
「そこからまた新たな魂に変わって現世に戻ってゆく」
今度は大きな火の玉から小さな火の玉が新しく出てきた。
そこまでの過程を見せると、イグレシアスの手の上の炎が霧散した。
「このような大きな魂の流れの中にいることを輪廻と呼ぶ。……が、そこから外れた者は、魂の行方が定まらずに消滅する」
イグレシアスは「本来ならな」と最後に付け加えた。
「そのイザークは、おそらく私と同じ、何者かに帰依したものだろう」
ミリーナはまた首を捻った。
「帰依というのは、宗教のようなもの……?」
「ああ、それに近いが、神だけが帰依の対象というわけではない。例えば——」
イグレシアスはじっとミリーナの目を見つめた。
するとミリーナの目に、ヘビのような縦に割れた巨大な目が、ぐっと迫ってきた。
「ひっ!」
思わずミリーナは尻もちをついたが、当然そこにはヘビなどいない。イグレシアスがつくりだしたなにかだろうとミリーナは思った。
「私も輪廻から外れた者だ」
「え?」
「帰依したのは、東の森の最奥の山にいる【
「じゃあ、今のは……」
「ああ。私の力の源さ」
イグレシアスはカーヤを見た。
「カーヤが帰依したのは戦神アレス。言わずもがな、神と呼ばれるものだ。宗教というのは、現実にないものを神格化する。人々の信仰は、やがて強大な力となって、そこに帰依する者に力を与える」
「アレス様は存在します」
カーヤがピシャリというと、イグレシアスは思わず苦笑いを浮かべた。
「ああ……その話はまた今度だ。我々魔法使いが信じていないというだけの話だ」
「…………」
「そう怒るな……まあ、なにを信仰するか、帰依するかは自由だ」
イグレシアスはそういうと、もう一度ミリーナを見た。
「であるならば、ミリーナ。信仰と帰依のあいだには違いがある。わかるか?」
「……魂を委ねるか、どうか?」
イグレシアスは小さく頷いた。
「そのとおりだ。私は赤銅竜に、カーヤは戦神アレスに帰依した身。信仰よりも深い絆で結ばれている。よって、彼らからその力の一端を借りることができる」
「だからイグレシアス様の魔法は、ほかの魔法使いの魔法とは違うの?」
「ああ。彼らはマナを、そこらじゅうにいる精霊から奪い取る。そこに代償は必要ないと彼らは思うだろうが、現実はそうではない。この世界をかたちづくっているのは精霊たちだ。彼らの存在がなくなれば、その代償はべつのかたちで支払われる」
ミリーナはピンときた。
「不作や飢饉、流行り病……」
「その通りだ。強大な力を使役した代償は、やがて自身に返ってくる。私の場合は、帰依した赤銅竜にその代価を支払ってもらっている。私が力を行使すればするほど、赤銅竜の負担が大きいというわけだ」
そこにきてミリーナはようやくイグレシアスの最初の言葉の意味が理解できた。
「……逆いえば、赤銅竜様が亡くなったら」
「ああ、私も死ぬ。それが帰依したものが最後に支払わなければならぬ代価だ。代わりにこの力を得た。そして、歳をとらない身体も得た」
「そっか……だから子供の身体のままで……」
「ああ。歳をとることが許されぬ。ただ、便利ではあるよ。子供のフリをして大人に取り入ることもできる……まあ、大好きな酒は控えねばならぬがな?」
イグレシアスは冗談っぽくそういって、エクトルを見た。
「そのイザークとやらも、殺したつもりでいて、実際は死んでいなかったというわけだ。首を刎ねられたくらいでは死なぬほどの力を、何者かから与えられているのだろう」
「イグレシアス、なにが起きている?」
「さあな……。ただ、昨夜の襲撃……あの双子も輪廻から外れた者たち、あるいはそれに近いなにかのようだ。そして、もう一人、イザークという輪廻から外れた者が現れた……」
「……つまり?」
イグレシアスは顔をしかめた。
「——この白の都は、やがて大きな争いに巻き込まれてしまうだろうな……」
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