第82話 それだけのこと

「ところで、聖女様はどうしてこちらに?」


 イザークは人形を片手でポンポンと宙に上げながらいった。ニヤつきながら、自分の立場が優位であることを示すような態度に、ミリーナは侮蔑の意味を感じとっていた。


「その人形を、この子に返して……」


 刷り込まれた恐怖心で声が震える。

 少女の手前、ミリーナはなんとか震える身体をおさえたが、力んだ身体に相反して、心がじょじょに弱くなっていくのを感じた。


「ああ、こちらですか? この人形は私のものです」

「いいえ、この子のものよ……」

「いいえ、いいえ、違います。落ちているものを私が拾ったのだから、これは私のものです」


 イザークは少女に非があるようにいった。ミリーナは狼狽える。いつもならうまく言い返せていたはずが、どういうわけか、イザークのいっていることが正論のように聞こえてしまった。


「でも、この子のものだから……」

「その子のもの『だった』。——でも、今は違います。それほど大事な人形であれば、片時も離さずにそばに置いておけばよかったのに……ああ、ああ、なんて可哀想な人形。不遇にも持ち主に捨てられた哀れな人形。新たな持ち主であるこの私が、壊れるまで可愛がってあげましょう」


 イザークは赤子を慈しむように人形を抱いて頬ずりをした。

 わざとやっているようだが、ミリーナの目から見たらおぞましさしか伝わってこない。


「平気で人を……」


 ——殺すくせに、といいかけてミリーナは少女が背後にいることを思って口をつぐんだ。


 イザークはニヤッと笑うと、人形を片手に持って、すっと差し出した。


「……いいでしょう、返します。そこのあなた、隠れてないで前に出てきてください」


 少女は恐る恐るミリーナの背から出てくると、イザークの前へ出た。ミリーナは引き留めようと思ったが、イザークに殺意がないことを感じ取って、出方をうかがった。


(いざとなれば……)


 あの力を解放すればいい——そういう心づもりで、ミリーナは静かに、微笑みをたたえているイザークを睨みつけた。


「次、落としたら今度こそ私のものにします。いいですね?」

「っ……」


 少女はなにもいわず、イザークの手から人形を奪うようにしてその場から走り去った。


 ミリーナはその場に残り、イザークをじっと睨みつけるが、イザークの視線は走り去った少女の背を追っていた。


「無礼な子供だ。……やっぱり殺しておけばよかったですね」


 そういいながらも、イザークの顔は満足そうにも見えた。ミリーナは、己の恐怖に負けまいと、怒りをぶつけるような視線をイザークに向け続ける。


「なにが、目的……?」

「目的?」

「しらばっくれないで! あなたがここにいるということは、私を狙ってきたのよね⁉」


 するとイザークは面白くなさそうな顔をした。興味のないおもちゃをあてがわれた子供のような、純粋な反応を示した。


「私が、あなたに執着するとでも? ——フッ……それはいささか自意識過剰というものです。私の目的はあなたではありません」

「っ……⁉ なら、エクトルをっ⁉」

「そうですねぇ……彼には非常に興味がありますが、今回は彼への仕返しで神国(ここ)に来たというわけでもありません」


 そういうと、イザークはニヤッと笑った。


「だったら、あなたの目的はなに……⁉」

「聖女様、あなたに話す理由がないことはおわかりいただけませんか? ターゲットが変わったと先ほどから申しているわけです。理解に苦しみます。なぜあなたはそんなに怒っているのですか?」

「私を殺そうとし、港町に火を放った! そのせいで、神国に逃げてきた人たちがこの町にいるのよっ! アリシアさんはあなたのせいで立てなくなったし、どうして自分が赦される立場にいると思っているの⁉」


 息を荒げながらそういうミリーナに向かって、イザークは小馬鹿にするような笑みを浮かべていた。


「あなたの説明は釈然としません。あのときの私は魔女であるあなたを殺す理由があった、海賊の町を壊滅させる必要があった、その過程でエルフの女に弓を向けられたのでやり返した……それだけのことです」

「それだけって……!」


 ミリーナは、悪びれもせずにいうイザークに、それ以上いい返す言葉が見当たらなかった。この男に、罪の意識だとか、良心の呵責だとか、そういうものを求めてはいけないのだろうと思い、これ以上の話は不毛に思われた。


「ですので、ここであなたと再会したことはまったくの偶然です」

「私が聖女だと……どうしてそのことを知っているの?」

「そのように『あの方』がおっしゃられた」

「『あの方』……?」

「いずれ、状況が変わったのです。今は私があなたとあの男を狙う理由がありません」

「そう……」


 ミリーナは苛立ちを隠すようにして、イザークに背を向けた。


「いいんですか? 暗殺者に背を向けて」

「っ……!」


 ミリーナは腹を立てながら、その場から去っていった。


 一人残されたイザークは、呆気にとられた顔でミリーナが去っていく姿を見届けた。




「ツれない人だ……でも、そこがいい。ああ、殺したい、殺したい……この衝動は、ああ、そうか……私は彼女のことを……ふふっ——」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る