第81話 最悪との再会

 カーヤがミリーナを追ってやってきたのは、議事堂近くの広間。そこには噴水があり、ミリーナはそこに腰掛けて、沈んだ表情をしていた。


「ミリーナさん」


 カーヤは声をかけてみたが、ミリーナは黙ったまま顔すら上げない。カーヤはそっとミリーナの隣に座ると、広間を見回した。代表者の度重なる死、昨晩の爆発騒ぎもあって、人通りは少ないようだが、駆け回る子供たちの声、小鳥のさえずり、木々のそよめきを聞いて、カーヤは心が安らぐのを感じた。


 しばらくそうやってお互いに黙ったままでいると、ふとカーヤが口を開いた。


「不思議なものですね」

「…………」

「どれだけ世間でよくないことが起きていても、こうしている瞬間は平和だと感じます。その考えは神官として不謹慎かもしれませんね? 世の中には救いを求めている人もいるというのに、こうして何事もなく穏やかに時がすぎていけばよいとさえ思ってしまいます」


 ようやくミリーナも口を開いた。


「回りくどい言い方……」

「気に障りましたか?」

「はっきりといったらいいのに。逃げても問題は解決しないって……」

「あなたはとても賢い人のようですね、ミリーナさん」


 ミリーナは首を横に振った。


「いいえ、この旅の中で、自分がいかに世間知らずか知ったわ。それに、それほど賢くないことも……」


 そういうと、ミリーナは顔を上げた。カーヤも同じように顔を上げる。


「今日の空は青いですか?」

「ええ。雲が少し出ている……そっか、カーヤ様は目が……」

「ええ。わたくしは青という色すら知りません。ですが、見えずとも見えるものはあります」

「今はなにが見えるの?」

「ミリーナさんの不安な気持ちです」

「…………」


 カーヤはそっと穏やかな表情を浮かべた。


「よく、目が見えないのは不安かと訊かれますが、それはわたくし自身の不安を問うているわけではないと、ある日気がついたのです。翻ってみれば、それは問うた者の不安。自分もいつか目が見えなくなるのではないか、そういう不安です。けれど、わたくしは生まれつきこうでしたから、今さら不安などはありません。人を不安にさせてしまうことが、今は私の不安です」


 ミリーナはカーヤの言葉を聞いて、カーヤの身の上を自分の身の上に引き比べてみた。

 生まれつき目が見えない彼女は、それが当たり前のことだと受け入れて過ごしてきた。エクトルとの話しぶりから、紆余曲折ありながらも、こうして神国の神官になった彼女の境遇を鑑みれば、大変困難な道を歩んできたのだと思う。


 一方の自分は、まだ自分の身に起きていることを受け入れられる気持ちになってはいない。




『——ミリーナ、お前は当代の聖女だ』




 そう言われても、現実感はない。


 が、その重みはじわじわとインクが紙に浸透していくように広がっていく。黒いシミだ。それ以上なにも受け入れたくない、なにも書き込んでほしくはないといっているように、心に黒いシミが広がっていく気分だ。


 これで自分が聖女だというのだろうか。

 自分の度量の狭さに辟易する。


「……私には、聖女になる資格はないわ」

「資格?」

「自分のことしか考えられないもの……」


 そういうと、ミリーナは大きく息を吐いて、再び俯いた。


「一人にして……」

「……わかりました」


 カーヤはそういうと立ち上がり、そっとミリーナのそばから離れた。




 カーヤがいなくなったあと、一人残されたミリーナは、ぼんやりと日が沈むまでそこにいて、とりとめのないことを考えていた。すると、


「うわぁ〜〜〜ん……」


 広場で泣いている女の子を見つけた。なにがあったのか、その八つばかりの女の子はえんえんと大声で泣いている。近くに親の姿はない。ミリーナは気になって、女の子に声をかけることにした。


「あなた、どうしたの?」

「大事なお人形さん、とられちゃったの……」

「だれに?」

「イジワルな大人に……」


 少女は本当に困っている様子だった。

 イジワルな大人と聞いて、ミリーナはわずかに憤りを覚えた。


「……わかった。じゃあお姉ちゃんも一緒に行って取り返してあげる。その人たちのところに案内して?」

「うん……」


 少女に連れられて、ミリーナは広場から離れた。

 そこから少し入り組んだ家々の裏路地を歩き、少し開けた場所までやってきたのだが——


(これ……この感覚……)


 ヘビに睨まれたカエルのように、ミリーナの足が止まった。ぞわぞわと背中から胸から、なにかよくないものに近づいているような、そんな感覚があった。


 そして、この嫌な感覚は、ミリーナに心当たりがあった——


「どうしたの、お姉ちゃん?」

「引き返そう……」

「でも、この先にあの人がいるから……」


 すると、誰かがコツコツと石畳を踏みならしてこちらへとやってきた。




「——おやぁ? 味方を連れてきたのですか?」




 その声に覚えがあった。

 その男は少女から取りあげた人形を片手に持っていた。

 女性のような中性的で美しく整った顔に、薄っすらと笑みを浮かべている。


 けれど、おぞましい空気が男から伝わってくると、ミリーナは思わず吐き気を覚えた。


 この、顔すら見たことのない男のことを、ミリーナは嫌というほど知っていた。

 ミリーナは、さっと少女を背に隠す。


「あなたはっ……!」

「ふふっ……そんなに嫌そうな顔をしなくても——」


 すると男は「おっと失敬」と、今度は綺麗にお辞儀してみせた。


「先日会ったというのに、自己紹介がまだでしたね。……私はイザーク、暗殺者です」

「っ……⁉」

「魔女……いえ、今は聖女様とお呼びすればいいのでしょうか?」


 イザークは口の端を上げて、ミリーナを上目遣いで見た。

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