第65話 盲目の使者
数時間ののち、アイリスが戻ってきた。
アイリスの船の船室に各船の船長が集められ、その場にエクトルもいるようにいわれた。
「神国と話がついた。ひとまずは女子供、老人、怪我人を保護してもらえるらしい」
アイリスが重々しい雰囲気でいうと、あまり状況は芳しくないことは誰の目に見ても明らかだった。一人の海賊が言う。
「俺たちはどうなるんで?」
残念そうにアイリスが鼻から息をはきだした。
「海賊はやはり受け入れられないそうだ」
やはりそういう結論にいたったのかとエクトルは船室の隅で思ったが、「ただ」とアイリスが口を開く。
「表向きは追い返してということにして、ここから南南東にある島を貸してもらえることになった。補給もしてもらえることになったが、神国に足を踏み入れるのだけはご遠慮願いたいとのことさ」
いったんは海賊たちに安堵の表情が浮かんだが、しかし問題はその先である。ここがダメだとなると、次は海の反対側の公国を目指さなければならない。そうなると、船での旅は今まで以上に過酷で危険なものになると予想された。もし万が一この状況で他国の軍船と鉢合わせたらひとたまりもないだろう。
「つまり……俺たちは海の放浪者ってわけですかい?」
海賊の一人が苦々しくそういうと、アイリスは口を閉ざした。いろいろ思うところはあるのだろうが、その表情に浮かんでいるのは懸念だった。そのとき——
ガンッ!
一人の海賊が怒って、テーブルを叩いた。
「だいたい、あいつと魔女が町にやってこなかったらこんなことにならなかったんだっ!」
ギロリとエクトルを睨むと、そうだそうだと声を上げる者が半数以上いた。
「よしなっ!」
アイリスが怒鳴ると、
「ですがっ!」
何人かが反駁して立ち上がった。
「その話はもう済んだだろうっ! 元からあの町を一掃するつもりだったのさ、王国の連中はっ!」
「今まではうまくやっていたでしょうがっ!」
そう怒鳴った海賊は壁にもたれて腕組みしているエクトルを睨んだ。
「そいつらが来てから、おかしな連中が引き連られてやってきた! そうとしか思えねぇ!」
それは間違っていないので、エクトルも否定はできない。引き金を引いたのは自分とミリーナも認めていたところだった。この場にミリーナがいないことを幸運に思いながら、エクトルはあきれたようにため息をついた。
「そうだっ! 今からでも遅くねえ! そいつとあの魔女を王都に連れていくんだっ!」
「そうだそうだ! そしたらまたあの町に戻れるかもしれねぇ!」
「お前たち……!」
アイリスの怒りは、いよいよ腰元の剣に手を伸ばさせた。それを敏感に察知した反駁していた連中も剣の柄に手をかける。あとは誰が先に抜くか——そのとき、バンと扉を激しく開く音がした。
「アイリス様っ!」
エクトルが視線を流すようにそちらを向くと、若い海賊の一人が慌てて中に入ってきた。
「大変ですっ!」
「なんだい、この忙しいときにっ!」
「神国から使者だと名乗るやつが来ましたっ!」
その瞬間、海賊たちの手が剣の柄から下りた。
「使者だって?」
「はい……それも、そこにいるエクトルって旦那に会いに来たと!」
指差されたエクトルは、内心で動揺した。
(なぜ俺に……?)
神国に知り合いはいないはず。だいいち、この船になぜ乗っていることをその使者とやらは知っているのか。名指しで会いに来たとあっては、さすがに身構えるしかない。エクトルは眉のあいだに縦じわをつくって、アイリスを見た。
「使者となればなにかの交渉かもしれない」
「行くのかい?」
「ああ。ご指名のようだしな」
すると海賊の一人が急に剣を抜いた。
「まだ話は終わって——」
エクトルに近づいた瞬間、剣を持った海賊の首筋に黒いナイフが当てられた。
「勘違いしてもらっては困る」
「なっ……あ、う……」
海賊は冷や汗を額から垂らした。
「ここは神国の海域。この海を渡れば俺も一人の亡命者だ。貴様ら海賊にはここまで連れてきてもらったことには感謝するが、俺やミリーナに危害を加えようとするやつを殺すことなど俺にとっては造作もないことだ」
「っ……」
「そうしないのは、そこにいるアイリスの顔を立てるためだ」
海賊は剣を床に落とした。熱くなっていた頭から血の気が引いたのだろう。
「すまない、俺も慣れない船旅で気が立っていた」
エクトルはそう言うと、青ざめている海賊の肩にポンと手を置き、扉から甲板へ出ていった。その様子を黙って見ていた海賊たちの一人がポツリとつぶやいた。
「……ありゃあ何人も殺してきたやつの目だ」
甲板へ出ると、船首に一人の神官の後ろ姿が見えた。戦神アレスの装束を来ていたその神官は女だった。長い髪を大きな三つ編みにして、その先をリボンで結わえている。
エクトルはその後ろ姿を見てはっとした。
「もしかして、カーヤか……?」
「久しいですね……今は、エクトルと名乗っているそうですね?」
振り返ったカーヤは、素顔を隠すように、目元を布で覆っていたが、若い女の口元には、余裕すら感じさせる微笑が浮かんでいた。
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