第60話 真っ白な光

 火災から逃れ、港に避難した町人たちが、停泊していた船にぞろぞろと乗り込んでいく。


「女子供怪我人が優先だっ!」


 海賊たちの誘導に従って船に乗り込んでいくと、一隻、また一隻と船は沖に向けて出た。

 海賊の一人が、アイリスの元に駆け寄る。


「おおよそ避難しました! そろそろ乗ってくだせぇ!」

「いいや、まだだよ。あたしは最後だ」

「しかし……」

「いいから避難誘導を続けるんだっ! いいねっ⁉」

「わ、わかりやしたっ!」


 すると、またべつの海賊がアイリスに駆け寄ってきたのだが、少女を連れている。


「アイリス様、いいですか?」

「なんだい? ……その娘は?」

「へい、それが、例の……」


 アイリスは、なにか物言いたげな海賊の顔を見て、エクトルに頼まれていた母娘の娘のほうだとわかったが、同時に少女の泣き顔を見て「そうか」と残念そうに呟いた。


「あたしはアイリスだ。あんたの名前は?」

「……レェル」


 落ち込むレェルに向けて、アイリスは厳しい表情をした。


「いいかい、レェル? 残るか船に乗るか、死ぬか生きるかだ。どっちにしたいかあんたが決めな」

「アイリス様っ……⁉」

「あんたはひっこんでな!」


 怒鳴られた海賊は萎縮して頭を下げる。


「さあ、どっちにするね?」


 まだ八つほどの歳の娘に厳しい選択を迫ったアイリスだが、その心の内は少女への戒めだった。残れば死ぬだろう。行けば苦しみが待っているだろう。どちらが楽かという選択とその責任を、この歳の少女に負わせなければいけないが、生きるとはそういうことだとアイリスは知っていた。


 レェルは少し考えたあと、口をもごもごと動かした。


「……船に乗る」


 レェルの目にアイリスの顔に安堵の色が浮かんだ。


「強い子だ。いいんだね?」

「うん……お母さんとの約束だから……」

「それがあんたの答えなら、あたしらは歓迎するさ」


 アイリスは萎縮していた海賊に「おい」と声をかけた。


「レェルを連れて船に乗りな!」

「へい!」


 そうして海賊と少女が去ったあと、アイリスはいまだに赤く燃え上がる町を見て、アリシアが来るのを待った。待たずとも、無事ならなんとか彼女は切り抜けるはず。心配はないが、なぜか胸騒ぎがしていた。

 そのうち残る船は一隻になった。


「アイリス様、そろそろっ!」

「わかってるっていってんだろうがっ!」


 自分だけここに残るという選択肢はなかった。船で先に行った者たちの導き手が必要になる。わかってはいるが、どうしてもこの場から離れられない。


(なにしてんだ、エクトル……)


 約束を違えるような男ではないとアイリスは思っていたが、苛立ちが不安に変わってきた。

 すると、ぼんやりとなにかがこちらに向かって歩いてきた。

 逃げ遅れた町人かと思ったら——




「あ……エクトル⁉」




 現れたのはエクトルだった。腕にアリシアを抱きかかえている。そうして、もう一人、中年の男が歩いて来るのが見えた。


「遅くなった」


 エクトルはそう言うと、静かにアリシアをアイリスの前に置いた。


「どうしたんだい⁉ アリシア……!」


 アイリスはアリシアの肩にふれるが意識がない。


「まだ息はあるが、背骨が折れている——」


 ——ダメだろうな、という言葉をエクトルは引っ込めた。そんなものは見てとれる。彼女はすでに死の淵をさまよっているのだ。

 アイリスはグッと奥歯を噛んだ。


「この子を船に運ぶのを手伝ってくれ……」


 すると中年男が「よせ」と言った。


「助からん」

「わかっているさっ! でもこんなところには置いていけないんだよっ! 大事な妹なんだっ!」

「感傷に浸っている場合ではない。ここから離れるほうが先決だ」

「彼の言う通りだ」


 エクトルも同意したが、胸の内は苦しかった。


「あんたたち暗殺者にはわからないんだっ! 人の痛みが、苦しみが……! それだけ多くを手にかけてきて、心を失っちまったのさっ!」


 アイリスが泣き叫ぶと、エクトルと中年男はそっと目を伏せた。


「あたしだって同じ穴の狢さ……でもね、家族をこんな寂しいところに置いてはいけないんだよ……」


 そのとき、エクトルと中年男は急に武器を構えた。

 アイリスの背後、船のほうから、砂浜を音もなくやってくる真っ白な光があったのだ。


「魔物かっ!」

「わからんっ!」


 その真っ白な光が近づいてくると、やがてそれが女の輪郭をしていることがわかった。

 女が手を上げると、急に、エクトルと中年男が「うぐっ」と呻いて、砂浜に膝をつく。

 まるで上からなにかの重りを置かれたかのように、立ち上がることができない。

 真っ白な女は、やがてエクトルたちの前に立ったのだが——




『——妾(わらわ)の名は【銀の疾風(はやて)】。戦場に吹く風の精霊が一人である。頭(ず)が高いぞ、人間ども』




 冷たい女の声が頭の上から落ちてくるように響く。

 エクトルはひどく動揺していた。

 この、魔法のような神秘にあてられたからでない。


 なぜなら、この女の姿は——




「ミ……ミリーナ……なのか……⁉」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る