第56話 一矢報いる

「ああ、楽しい……命を削りあうこの感覚、久しく忘れておりました!」


 戦いの最中、イザークはうっとりとしながら言った。


「暗殺者が刃を交えることなど本来は有りえないこと——故に、血がたぎります。あなたもそう思いませんか?」

「…………」


 エクトルはただひたすらにイザークを目掛けて剣を振るう。しかし——


「おやおや? なんだか動きが鈍くなって参りましたね?」


 イザークは距離をとりつつ毒針を投げた。

 エクトルはそれをダガーで払うと、再びイザーク目掛けて地を蹴る。が、つま先が痺れて若干動きが鈍った。


「ああ、なるほど、毒ですか」


 イザークはニヤリと笑う。


「弱い者いじめは気が引けますが、今さらという話ですね。失敬。弱っているあなたを、ちょっとだけいたぶってみたくなりました」


 イザークは懐から火薬玉と毒針を出し、左右に構うと、次々にエクトルに投げつける。


「ほらほら、避けてばかりだといつか当たってしまいますよ?」


 余裕そうにいうイザークだが、エクトルの目が死んでいないことに違和感を覚えた。


(——なぜ、そんな目ができる?)


 じつのところ、すでに実力差のようなものははっきりしていた。エクトルにとっては分が悪い。毒が完全に抜けきっておらず、ここに来るまでに消耗もしていた。普段なら互角に渡り合えているのだが、今はイザークに弄ばれている。

 正直なところ、このままいけばエクトルに死が待っているのだ。


(それなのに、どうしてそんな目ができる? なぜ……なにか狙いがあるのか?)


 そのときイザークははっとした。


「貴様……最初から狙いはっ……⁉」


 この男がやっていることは時間稼ぎだ、とイザークは理解した。

 ここで足止めをし、町の人々を逃がすつもりなのだろう。


「馬鹿めっ! 町の入り口には——」


 再びイザークははっとした。

 この男が森を抜けて来たということは、入り口にいた黒ずくめたちが殺られた可能性もあると理解した。もしそうだとしたら、町人たちは今——イザークは急に焦り始めた。


 町の入り口と、船のある港と、どちらに町の人が逃げたのかわからない。後者には黒ずくめを配置していない。だとすれば、両方から逃げられる可能性がある。


 イザークは、屋根から屋根を伝って、大きく跳んだ。

 目視できる範囲で、町の人間たちが逃げる方向を見定めるためだった。

 すると、イザークの目に人の流れが見えた。


(港かっ!)


 降下しながら、エクトルのいた場所を見る——が、すでにそこにいない。どこだ? どこにいった? 一瞬目を離したすきに、いったいどこへ——

 その瞬間、ビュンとなにかが飛んでくるのに気づいた。

 イザークは身を翻した。


(——矢っ⁉)


 放ったのは、すでに倒れていたはずのエルフ——アリシアだった。地面に這いつくばりながらも、上半身だけで弓を引いたのだ。


「それで、一矢報いたつもりかっ⁉」


 すでにイザークの口調は荒々しいものへ変わっていた。アリシアにとってはそれで十分だった。ニヤけ面が怒りで醜悪に歪んだのであれば、それで十分だと——。

 アリシアはニヤッと笑うと、そのまま意識を失って倒れた。

 すると——


「はっ……ぐぅ……」


 イザークの太ももになにかが刺さる。

 毒針だ。それは、自分が投げたもの——誰が、の前に、してやられたと思った。


「き……貴様っ……⁉」

 慌てて毒針を抜くが、返しがついているために、皮膚と肉が剥がれた。




「これで、五分と五分だな」



 

 地面に立っていたエクトルは、再びダガーを構えた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る