第16話 信じるに値するなにか
エクトルは木こりの親子に無事を伝え、村に戻ると、さっそくエミリーのところへ向かった。夕刻まであと一時間ほどのところで、夜になっていたらいよいよ危険だったかもしれないが、なんとか無事に帰ってきたことを安堵した。
エミリーは薬を煎じる用意をして待っていた。
「これで足りますか?」
「ああ、十分さ。これだけあればしばらく分の解熱剤をつくれるよ」
エクトルは「それと」と言って、エミリーに借りていたロングソードとベルトを返した。
「ありがとうございました。とても助かりました」
「お役に立ったかい?」
「ええ……それと、申し訳ない。無理な殺生をしていくつか刃が欠けてしまいました」
「恥じることはないよ。こうして無事にあんたを導いたのさ。名誉の傷だよ」
エミリーは冗談っぽく言ったあと、大事そうに剣とベルトを胸に抱いた。
「おかえり、ビクター」
「お孫さんの名前ですか?」
「そうさ……正義感のある、とても勇敢な孫だったよ。いつか英雄になるんじゃないかって、流行り病で先に逝っちまった息子夫婦も話してたくらいさ……」
戦場ではそういう者から先に死んでいく。幸か不幸か、勇敢さを得て生まれてきた者のほとんどは、そうやって名誉の死を遂げていくのだ。
そうした家には、死体の代わりに携えていた剣が送られてくるのが慣例だった。つまるところ、最初にエクトルが剣を受けとるのを遠慮したのはそういう理由だった。エミリーの孫、ビクターは、勇敢なまま死した。そんな大事な剣を、自分のような臆病者が借りるわけにはいかないと。
しかし、これは儀礼というより仕打ちに近い。
形見にしてはたいそうな、捉え方によっては皮肉のような剣を、ビクターの身内でたった一人生きているこの老婆に送るとは——。
「あの、ビクターは、やはりミリーナのことを……」
「ああ。王都から帰ってきたらね、一緒になるってね……そうはならなかったけど、こうしてあんたを守って、ミリーナを守れたなら、きっとあの子だって誇らしいに決まっているよ」
エクトルは、感傷的になるなと自分を叱った。
わきまえなければならない。自分に感傷的になる資格はないのだから、と。
「さ、湿っぽいのはここまで、解熱剤をつくるから、ほんのちょっと待ってな」
エミリーはニッコリと笑うと、さっそく解熱剤をつくりはじめた。その様子を、エクトルはしばらくのあいだ、孫のように見守った。
† † †
できた解熱剤を持ってマーゴのところを訪れると、どこかやつれた顔をしてカウンターに座っていた。エクトルを見ると、亡霊を見たかのように目を丸く見開いた。
「マーゴさん、解熱剤だ」
「あんた、無事だったのかい⁉」
「ああ、この通り。それよりミリーナにこれを——」
そういってエクトルはマーゴに解熱剤を手渡した。
「それじゃあ俺はこれで——」
「ちょいとお待ち」
「……? なにかな?」
「これのお礼をしないとね」
エクトルはふっと声に出ない笑みを浮かべた。
「いいや、俺は余計な世話を焼いただけだ。放っておいても助かると聞いていたのに、勝手に山に入っただけ……気にする必要なんかないさ」
「いいや、この礼はいつか必ずさせてもらうよ」
エクトルは、頑固な女だと思った。
「一つ聞かせとくれ。どうしてミリーナのために危険を冒したんだい?」
エクトルはいうか悩んだ。彼女に向かって信じたいと伝えたことが、今更になって棘のようにジンジンと響いてきた。
ミリーナには、自分が正体を偽っていることはとっくに知れている。けれど、こんな正体不明な男をミリーナは最初から信じていた。であるならば、信じるに値するなにかを彼女に見せたいと、己の心に従ったまでだった。
大義などそこにはない。
ただ、自分の都合のいいやり方で、それを証明したかっただけ。それも、ひどく傲慢なやり方で。
「……ひとまず、それをミリーナに頼む」
エクトルはそれ以上なにもいわず、さっさとマーゴの道具屋をあとにした。
——《第一章 ミリーナ 完》
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第1章はここで終わりです。
次回から第2章に入ります。
今後も応援のほどよろしくお願いいたします。
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