第15話 奇妙な剣技
「——っ……エクトル……⁉」
と、ベッドで寝ていたミリーナが急に目を見開いた。まだ熱が引いておらず、頭がクラクラしながらも上半身を起こした。
そばで看病していたマーゴはギョッとしたが、すぐにミリーナの心配をした。
「どうしたんだい、ミリーナ?」
「エクトルは? どうして山に?」
「え? ああ、山に薬草を取りに行くとかいってね、エミリーさんとこから西の山に向かったよ……」
そういいながら、マーゴは内心ひどく動揺していた。
たった今目覚めたばかりのミリーナが、どうしてそのことを知っているのだろうか、と。
十四を過ぎてから、ミリーナの勘はどんどん鋭くなっている。当てずっぽうなどではない。見ていないものをまるで見てきたかのようにいうし、嘘はすぐに見抜かれる。息を詰めるほどに勘が冴えわたっている……いや、もはや勘と呼ぶのでさえ躊躇われた。
今だって、なぜ知りもしないはずのエクトルの所在を当てたのか、マーゴには到底理解できない。魔法の才があるからだろうか。それともほかになにかあるのだろうか。
「ミリーナ、どうしてわかったんだい?」
「聞こえたの。山にいる精霊が、その先はダメだって、危険だって……」
「……精霊が?」
「エクトルに伝えないと……! 危ないって、進んではダメって——」
無理にベッドから出ようとするミリーナを、マーゴは年老いた腕でなんとか押さえた。
「今からじゃ間に合わないよ。信じて待つんだ」
「でも!」
「エクトルに任せて、あんたは熱を下げることだけを考えなっ!」
「でも……! でも……」
ミリーナの心はひどくざわついていた。
エクトルを失ってしまうのではないか、そんな不安がどうしても拭い切れなかった。
† † †
(ユキカゲ草は手に入った……あとはヤマシシの種か)
エクトルはすぐそばにそびえる灰色の岩肌を見上げた。
ここに至るまでに何度か魔物と出くわしたが、なんとか無傷のまま来られたのは幸いだった。あとは岩山を登り、ヤマシシから種を取ればいい。
ヤマシシは岩肌に生えるかなり貴重な植物で、解熱作用のほかにも傷に効く。王都なら高値で売れるしろものだ。エクトルは幼いころから何度か目にしたことがあり、どんなものなのか知っていた。見た目はクルミに似ていて、堅い皮で中の種子を守っている。その種子はクルミと違い、味がひどく渋い。好き好んで口にするものは誰もなく、煎じて薬にしたとしても、やはり好き好んで呑む者はいない。ただ、たしかに熱や傷によく効きはする。
(ついでにあのお喋りも治ったらいいんだがな……)
エクトルはやれやれとミリーナを思いながら、岩山を登り始めた。
しばらくすると、シューッと背中から風が抜けた。風の向かうほうを見ると、その先で黄色い実同士がぶつかってカラカラと乾いた音を立てた。
(あった、あれだ……)
ヤマシシの木が生えていた。人が採らなくなって久しいのか、十分過ぎるほどの数がある。エクトルは地面に落ちていたヤマシシの実を拾い集めた。そうして十分な数を集めると、今度は来た道を引き返す。岩山を下りて、再び森の中へ分け入った。
と、そこでグオオオと地鳴りのような咆哮が響いた。
(……ブラッディベア⁉)
エクトルははっとして左右の木々を見た。
幹に大きなキズがつけられており、ここが縄張りだということを示している。
「くっ……」
しまったと思った。
ブラッディベアは、縄張りに入った者を絶対に許さない。たとえ逃げられたとしても、それが人里だろうとなんだろうと関係なく、どこまでも執拗に追いかけてくる習性がある。エクトルが慌てて村に下りたら、村に被害が出るだろう。
エクトルは舌打ちしながらロングソードを抜く。
すると、木々を揺らし、やがてその巨躯が姿を現した。
ブラッディベア——それもエクトルの知っている倍ほどにも大きい。
この山の主なのだろう。
グォオオオーーーッ!
ものすごい咆哮で、ビリビリと空気が震える。
心得のない者なら今ので怯むところだが、エクトルは剣の柄を強く握り、ブラッディベアを睨めつけた。
「来いっ!」
エクトルが叫ぶと、ブラッディベアが大きく腕を広げて横一閃にないだ。ブゥンと風が切れる音がした。それよりも速く動いたエクトルは、ブラッディベアの力任せの一撃をかわし、急所を狙った。刃が届いた。しかし——
「チッ……」
急所は確実に捉えたというのに、予想以上に体毛が堅く、分厚い筋肉の壁に阻まれた。剣は皮膚を傷つけるだけで致命傷に至っていない。
(ならばっ!)
エクトルは一気に踏み込んだ。背中を見せたブラッディベアの首を背後から狙い、横一線に剣を振る。が、野生の勘が働いたのか、ブラッディベアは身をひねるようにしてこれを避けた。
(今のを避けるのか⁉)
エクトルは動揺しながらも、もう一度剣を構える。ブラッディベアもすぐに体勢を整え、エクトルを赤い目で睨んだ。そうして、グォオオオ! と唸り、再びエクトルめがけて突進していく。
(仕方がない——)
そう思いながら、エクトルは右手にロングソードを逆手で持ち、左手に黒塗りのダガーを逆手で持った。そうして腕を顔の前で交差させると、目一杯腰を低く落とした。
それは、じつに奇妙な型の構えだった。
多少剣の心得がある者なら、これを見て滑稽だと笑っただろう。
けれどエクトルはその構えのまま、黒い影が突進してくるのを迎え撃つ。
グォオオオーーーッ!
再び地鳴りのような咆哮を放ちながら、ブラッディーベアが間合いに入った。大きく腕を振り上げると、エクトルを袈裟に引き裂こうとする。
眉間に鋭い爪が伸びてきた。
避けない。
相打ちか。
が、次の瞬間にはエクトルの姿はそこになく、ブラッディベアの鋭い爪はブゥンと空を切った。同時に、その首には横から剣が貫通するかたちで突き刺さっている。
崩れて倒れる巨躯の背後にエクトルが立っていた。
絶命したそれを見て、エクトルは大きく息を吐き、首から剣を引き抜く。
王都にいたころの忌々しい記憶が蘇り、ひどく嫌な気分になった。
「……すまない」
エクトルは引き抜いた剣に詫びた。
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