15.あなたを縛る鎖はもうないわ
エクトルは縛り上げた兵士たちを小屋の外へ引き出すと、そこで目の前の異様な光景に思わず表情を曇らせた。
ミリーナが、トルビンの妻と娘を庇うようにして立っている。
しかし、彼女の両腕は新たに到着した三人の兵士にがっちりと押さえられていた。最初にエクトルが倒した兵士は、未だ意識が朦朧としたまま地面に尻もちをつき、呆然とエクトルを見上げている。
だが、捕らわれたミリーナの表情には動揺の色は見えない。むしろ、その冷静な視線は兵士たちを静かに見据え、微かに漂う緊張の中で毅然と立ち尽くしていた。
その姿に一瞬視線を送ると、エクトルは迷わず前へと歩み出し、兵士たちに向き直る。
兵士たちの中でも代表格らしき男が、不快感を隠さずにエクトルを睨みつけ、口を開いた。
「これは、どういうことだ?」
エクトルは鋭い眼差しを向け、静かに応じた。
「こいつらが、この母娘を攫い、乱暴しようとしていた」
言葉と共に、縄で縛られた兵士たちを目の前へと押し出す。その姿を示すことで、その行為の罪深さを無言で突きつけた。
緊張感の中、交代でやってきた兵士の一人がふと唇を吊り上げ、嘲るような笑みを浮かべる。
「貴様、ナイトシェードの者だな?」
その言葉に、エクトルの眉がわずかに動く。
微かな反応を見せると、兵士はそれを見逃さずに、勝ち誇ったように口角をさらに引き上げた。
「なに?」
エクトルが問い返すと、兵士は勝ち誇ったように口角をさらに引き上げた。
「貴様がこの母娘を攫ったのさ。そして我々が見事、成敗してみせた――しかし、残念ながら、この母娘は既に貴様に乱暴され、事切れていた……というわけだ。ついでにこの女も手籠めにしたことにして、お前は死ぬ……ナイトシェードとしてな」
兵士の卑劣な言葉が耳に響くたび、エクトルの胸の内で抑え難い怒りが激しく燃え上がる。彼は拳を固く握りしめた。
かつて自らが信じたナイトシェードの名が、このような下劣な言い訳の道具に使われることに耐え難い屈辱を感じていた。
兵士たちは、冷笑を浮かべながら母娘やミリーナの命を弄び、罪を捏造してエクトルを罠にはめようとしている。
彼らの横暴で冷酷な瞳が、嘲るようにエクトルを見下しているのが分かる。
その視線を前に、エクトルの瞳には険しい怒りが宿り、心中でかすかに震える声が湧き上がる。
「おい、どうした? なにも言わんのか? 黙っていたところで、貴様の罪は消えはしないぞ」
勝ち誇ったように、兵士が口元を歪めて挑発してくる。
目の前で嗤うその姿が、エクトルの怒りの炎にさらに油を注ぐ。
(冷静に……冷静を保て、怒りに身を任せてはならない……)
自らにそう言い聞かせ、震える拳をなんとか制御しようとするが、胸の中では燃え上がる衝動が渦巻き、抑え込むのが容易ではない。
そのとき、ミリーナが静かにエクトルを見つめつつ、口を開いた。
「エクトル、大丈夫……それが正しい感情よ」
その穏やかな言葉には、かすかな冷静さと決意が滲んでいた。
その声を聞いた瞬間、エクトルはふと我に返り、視線を彼女へと向ける。
彼女の澄んだ瞳には、怯むことも怒りに染まることもない強い光が宿っており、まるで冷たい嵐の中で輝く小さな炎のようだった。
「それこそが、あなたの在るべき姿……あなたを縛る鎖はもうないわ」
エクトルは、荒れ狂う怒りを抑え込むことなく解き放った。ミリーナの静かな一言が、まるで火種となり、彼の中に眠っていた獣を目覚めさせたようだった。
剣を抜いた瞬間、鋭い閃光が彼の前を走る。
兵士たちがエクトルに怯え、顔色を変えるが、その恐怖を楽しむ暇も与えない。
剣は容赦なく喉元に突き立てられ、最初の兵士が短い悲鳴を上げて崩れ落ちる。
母親は驚愕の表情で娘を抱き寄せ、その目を塞ぐようにして、無情な光景を見せまいとする。
次の兵士も、抗う間もなく、無力に地面へ倒れ込んだ。
その無言の襲撃に、残りの二人が一瞬後退したが、エクトルの目には一瞬の慈悲すらない。無表情のまま間合いを詰め、さらにもう一人の兵士を倒し、倒れ込む音が静寂を支配する。
最後の兵士は焦り、咄嗟にミリーナを掴もうと腕を伸ばした。
必死の形相で叫ぶ彼の声が森に響く。
「くっ……これ以上、近づくんじゃねえ!」
彼は必死にミリーナを盾にしようとするが——突然、彼女の周囲に強い風が巻き起こり、兵士の体が吹き飛ばされた。
「私にも近づかないでちょうだい」
驚愕に震える兵士は、怯えた表情で彼女を見つめるが、そこに答えはなかった。
エクトルは、無言のまま兵士に詰め寄り、その喉元に鋭い剣先を突きつけ、静かに冷たい声で告げる。
「ここで貴様らがしようとしたことを、村で正直に話せ……いいな?」
その視線に圧倒され、兵士は恐怖に満ちた目で小さく頷くしかなかった。
エクトルが剣を下ろすと、怯えきった兵士を再び縄で縛り上げ、他の二人の兵士も同じように拘束する。
ミリーナは無事で、トルビンの妻と娘も安堵の息を漏らした。
彼らを伴い、エクトルは静かに村へと戻る道を歩み始めた。
(さっきの風は、なんだったんだ……いや、今はいいか)
その歩みには、もはや迷いはなく、守るべきものへの決意が宿っていた。
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