第14話 西の山へ

 西の山に着くと、エクトルは木こり小屋を訪ねた。

 小屋のそばには横になっている木が積み上がっている。そのすぐそば、大きな切り株に斧が刺さっているのを見て、エクトルは迷わず小屋の扉をノックした。

 案の定、小屋の中で木こりの親子が休憩していた。父親は六十過ぎ、息子は四十半ばである。どちらも筋骨隆々で、長くこの仕事をやっているのが見てとれた。

 親子は、最初は見知らぬ青年が、それも剣を携えて現れたので、だいぶ警戒している。


「俺はエクトルという。来て早々に申し訳ない。事情があって山に入りたい」


 父親は「事情?」といって、息子と顔を合わせて首を傾げた。

 エクトルは、ミリーナの熱のこと、この剣はエミリーから借りたものだと話す。

 徐々に親子の警戒心も薄れていくと、父親は丸太のような腕を組みながら、難しそうな顔をした。


「そいで山に入るのかぁ? あんた、エクトルっていったか……王都の出なんだろ? 山の心得は?」

「何度か」

「何度かって……西の山は東に比べっと危険だぜ? ユキカゲ草ならその辺に生えちゃいるが、ヤマシシはだいぶ奥までいかにゃあならねぇしなぁ……」


 すると息子が窓際に立ち「ほれ」と岩山の一つを指差した。


「あの岩山に生えてるが、最近はあっこまで行けるやつがいねぇ。なにせ魔物だらけだからよぉ」

「この村に狩人は?」


 父親はこんなことをいう。


「んなもん、みーんな引退しちまったさ。若い衆は王都にとられちまってなぁ。山狩りもしばらくやってねぇから、あちこち魔物が増えちまってる。一人で入るのは危険だぜ?」

「そうですか……」


 とはいえ、ここまで来て引き下がれるものでもない。エクトルは少し考えたあと、親子に丁寧に礼をいって、小屋を出ようとした。


「あんた、やめといたほうがいい」


 引き止めるように父親がいった。

 エクトルは「ご心配なく」といって、西の山の岩山へ向かった。




  † † †




 エクトルは、自分でもなにに突き動かされているのか理解できていなかった。

 今自分は、高熱にうなされているミリーナを楽にしたいがために、無駄骨を折っている。放っておいても、ミリーナはそのうち良くなるだろうし、わざわざ危険を顧みず、こんな山に薬草をとるために入る必要もない。わかっているのに脚はどうしても動いてしまう。


(よく知りもしない女のために……)


 どうしてこんなに焦っているのだろうか。頭の中で自問自答していたが、いよいよミリーナの親切心のせいだと思った。


(弱いな、俺は……。絆されたんだろう……)


 村を案内され、ミリーナの事情を人づてに聞き、本人からも聞き、そうしているうちにあの娘に心が通ってしまったと思うと、人はそう簡単には変われないと思い知らされている気分にもなる。

 エクトルは、自分はそんな感傷的な人間ではないと自分を否定したかったが、やはり脚は岩山を目指して歩み続けた。


 と、ガサッと奥の茂みのほうから音がした。


「っ……⁉」


 茂みから出てきたのはマタンゴという、赤傘のキノコに手足口がある魔物だった。二匹、三匹と現れ、毒々しい胞子を撒き散らしながらエクトルの行く手を阻む。


(……これが危険だと?)


 とるに足らない敵の襲来に、エクトルは肩透かしをくらった気分になった。

 いうに及ばず、マタンゴは手足が短く脚が遅いため、戦闘を避けて横から通り過ぎることもできる。赤傘は毒すらなく、人や動物を襲うことはあっても脅威にはなり得ない。繁殖力が高いために定期的に駆除しなければいけないのだが、今の目的は薬草を手に入れることであって、これらを相手にする必要はなかった。

 が、エクトルは真っ直ぐに進みたいのを邪魔されて苛立った。

 エイミーから託されたロングソードには手をつけず、背中に忍ばせていたダガーを取り出し、構えた。それは黒に塗られたダガーである。

 そうして息を大きく吸い込むと、


「シィッ!」


 息を吐いた瞬間、エクトルは素早く動き、次の瞬間にはマタンゴ三匹の背後にいた。

 途端に三匹は胞子を撒き散らしながらバタバタと地面に倒れる。脇の下、股の下の急所を斬られて絶命した。

 エクトルは黒塗りのダガーをしまうと、そのまま岩山をめがけて歩みを進める。


(愚王の失策が、こんな村にまで……)


 また奥からガサガサと音がしたので、エクトルは「チィ」と舌打ちをした。

 マタンゴの次はウルフ——数は七。

 いよいよ腰元のロングソードの柄に手をかけると——




(——っ……⁉)




 目の前に戦火に燃える街が広がった。空気が焼けるように熱い。黒煙が上がるなか、阿鼻叫喚、死屍累累のその先に、瓦礫に挟まって身動きの取れない兵士を見た。




『お前は……剣を捨てて、逃げろ……』




 ひねり出したような声に、かすかに死の予感を覚える。ああ、この青年はきっともう手遅れなのだと思ってはみたものの、助けようと近づいた。


『ダメだ……もう火の手が回る……行け……! 生き延びろ……頼む……——』


 青年はそう言うと、力のない手でエクトルの胸を押した——




「——っ……こんなときにっ!」




 エクトルは感情任せにシャンと鞘から引き抜いた。

 多少の欠けはあったが、ウルフたちの牙や爪にも負けない鋭い銀の光を放つ。


「すまない、使わせてもらう——」

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