13.それだけじゃ、信じろと言われても難しい

 暗く冷えた森の入口に立ち、エクトルはふと足を止め、荒れた小道の先に視線を向けた。遠くには、隠れ家のようにひっそりと佇む小屋が見え、二人の兵士が入り口付近で見張りをしている。


 辺りはひどく静かで、時折、風が木々の間を揺らし、その音が緊張を一層深めている。


「ここだと、どうしてわかった?」


 エクトルは低く問いかける。

 連れてきてもらったはいいが、この一点はどうしても確かめたかった。


 その言葉にミリーナは黙って足元の小枝を踏みしめ、彼の視線を静かに受け止めたまま、答えを返す。


「……聞こえるの」


 エクトルは眉をひそめ、彼女の表情をじっと見つめた。

 緊張感の漂う森の中で、まるで奇妙な力が存在するかのように——ただ「聞こえる」という一言で済まされるには、どうにも釈然としない。


「聞こえる、だって?」


 エクトルはその言葉を反芻し、無言のまま考え込む。

 ふと、村長の家での違和感が蘇る。離れた位置にいたはずの彼女が、なぜか村長との会話を聞き取っていた——あのとき、彼の中で感じた不可解な疑念が、再び胸の奥にじわりと広がっていく。


(なにが聞こえるというんだ……)


 冷えた森の緊張感をよそに、エクトルの内心にはある種の猜疑が沸き上がり、次第にかき乱されていく。


「それだけじゃ、信じろと言われても難しい」


 そう口を開くが、ミリーナはその言葉に対し、冷たい瞳を返すばかりでなにも言わない。どこか暗い影を秘めた表情が、返事を拒むかのように固く閉ざされている。


「……頼む、教えてくれ」


 エクトルはいつになく低い声で懇願するように言った。

 だが、ミリーナはその言葉に対してもまるで冷静に、わずかに口角を動かすだけで応じた。


「エクトル……人の秘密を知りたければ——まず、自分の秘密を話してくれないと釣り合わないわ」


 その言葉に、エクトルは無言で立ち尽くし、息を飲んだ。

 冷たい森の中で、自分の過去がミリーナの視線にえぐり出されるように感じ、彼の顔には一瞬、鋭い緊張の色がよぎった。

 だが、内心に宿る「秘密」の重さに、彼は口を閉ざすことしかできない。


「俺の……秘密、か……」


 かすれた声で呟くが、すぐにその言葉をかき消すように首を横に振り、再び森の奥へ視線を移した。


「……悪かった」


 その一言で、エクトルは無理に会話を終わらせるように口を閉ざし、短く吐き捨てる。その横顔には、どこか決意とも諦念ともつかない色が浮かんでいる。


「本当に、あの小屋なんだな?」


 彼の問いに、ミリーナは無言で頷いた。

 彼女の視線の先には、ひっそりと小屋が佇んでいる。その周囲には、武装した二人の兵士が立っていた。


「ええ、間違いないわ。見張りが二人。あと一人、小屋の中にいる。トルビンさんの奥さんと娘さんも」


(北の小屋には兵士が三人……ユウリの報告通りか……)


 真剣に小屋を見つめるミリーナを見て、エクトルはしぶしぶ納得する。


「……わかった、信用しよう」


 その言葉が終わるとほぼ同時に、小屋の中から微かに女性の悲鳴が聞こえてきた。

 エクトルの拳が強張り、鋭い目つきで小屋を見つめる。二人の兵士が低い笑い声を上げ、片方が小屋の扉を肩で押し開ける。


 エクトルは無言で前に出た。だが、ミリーナがその腕を掴む。


「一人で行くの?」

「……危険だ。ここで隠れて待っていろ」


 彼は冷たく言い放ち、腕を振りほどくと、ミリーナはなにも言わずに手を下ろした。


 エクトルの背中を見送る彼女の視線には、ただひたむきな決意の色が浮かんでいたが、エクトルはそれに構わず小屋のほうへと慎重に歩みを進めた。

 背中にはミリーナの視線があるが、うかうかもしていられない。


(やむを得ないか……)


 エクトルは木陰に身を潜めながら、小屋の前に立つ兵士の動きを鋭い視線で追った。


 見張りをしている兵士は、軽い気持ちで退屈そうに周囲を見回すだけで、真剣に警戒している様子はない。油断しきった隙を、エクトルは逃さなかった。


 無音で森の暗がりから影のように滑り出すと、エクトルは一気に間合いを詰め、見張り兵士の背後へと忍び寄る。最後の数歩で鋭く息を吸い込むと、躊躇なく動き出した。


 兵士が振り返る刹那、エクトルはすかさずその喉元を強く押さえ込む。

 兵士は反射的に腕をばたつかせ、体を捩らせて抵抗するが、エクトルは無言のまま、鋭く力を込めたまま抑え続ける。兵士の呼吸が乱れ、目に驚愕の色が浮かんだ。


「……ッ! ——」


 息を詰まらせるような音を漏らした兵士は、エクトルの冷静な力に支配されるように、やがて無抵抗となって地に崩れ落ちた。意識を失った兵士の身体をそっと地面に横たえると、エクトルは再び周囲を警戒しながら、素早くもう一度小屋の入口を見据えた。

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