第二章 エクトル

第17話 旅への誘い

 ぼんやりと古い天井を見つめていると、明け方が近いのがわかった。あまり眠れなかったのは、昨日山で魔物と戦ったせいで血がたぎっていたからだろう。興奮がひかない日はよくあることだったが、今日は仕事がある。

 さて、起きなければとエクトルは身体を起こす。


「……ん?」


 窓の外を歩く影が一つ、この家に近づいてくるのが見えた。


「……ミリーナ?」


 エクトルは慌てて起きて玄関先へ向かい、玄関の扉を開けた。


「エクトル……⁉」


 ちょうど扉を開けようとしていたところだったらしく、ミリーナはギョッとした顔でたじろいだ。


「ミリーナ、熱は?」


 エクトルはお構いなしに訊ねる。


「あ、うん……もうこの通り平気。エクトルが持ってきてくれた解熱剤がよく効いたみたい」

「しかし、病み上がりなんだし動き回ってはダメだ」

「ううん、動いていたいの。そういう困った性分なのよ、私」


 そういってミリーナはにこりと笑うと、ちょうど陽光があたりを明るくした。

 ミリーナの顔色は良いように見える。昨日の、熱にうなされていたのが嘘だったかのように、いつもの表情豊かな彼女に戻っていた。

 解熱剤が効いたのか、彼女の熱が勝手に引いたのかはわからないが、とりあえずは元気そうな顔が見られて良かった。

 エクトルが安堵したところで、ミリーナは手に持っていたバスケットを差し出す。


「朝食、持ってきたの。一緒に食べよう、エクトル」

「……ああ」




  † † †




「それにしても——」


 と、エクトルは椅子に座るなりいった。テーブルにはミリーナが用意してくれた朝食が並んでいて、特製のスープも温められていた。

 しかし、気になるのはやはりミリーナの体調のことだ。


「たびたびああいう熱が出るんだって?」

「ええ、昨日もいったけど……」


 ミリーナはそこで口をつぐんだが、エクトルは「精霊のせいかい?」と訊ねた。


「年々ひどくなっているの。昔は微熱が出てフラフラするくらい。今は高熱で寝たきりになったりして、なんだかひどく怖いと感じる」


 そういうとミリーナは視線を落とした。


「起き上がれなくなったらどうしようと、このまま真っ暗闇から出られなくなったらどうしようと、不安になることもある。でも、精霊たちが静まるまで待つしかないから」

「なら、医者に言ったところで無駄だろうな」

「そうね……きっとそう……」


 エクトルは少し意外だった。いつも天真爛漫で自信家なところのあるミリーナが不安がる様子を見るのは、初めてだった。昨日の弱々しいところといい、これまでがこれまでだったので、こうしてしおらしい感じのミリーナを、どう扱っていいのか迷った。

 ミリーナの抱えている不安は、正直エクトルにはわからない。けれど一つわかることは、彼女の不安は未来に向けられているということだ。

 高熱が悪化していよいよとなれば——そうならないようにするためにはどうしたらいいのか、エクトルは頭の中の知恵を巡らせたが、方法は一つしかないと思った。


「ミリーナ、魔法使いに診てもらうことを考えてもらえないか?」

「え?」

「嫌いだというのは知っている。でも、俺の昔の知り合いに、魔法を医療に使えないかを研究している変わり者の魔法使いがいるんだ。……いや、魔法使いはみんな変わり者か。でも、その人は信用できると思う」


 エクトルがそういうと、ミリーナは少し考える素振りをした。


「その人は、どこに?」

「ここより王都の反対側。東の大森林の奥にいるそうだ」

「いるそうだ、というのは?」

「俺が知り合ったのは王都でのことだ。今は森に引っ込んでいると思うが、俺はまだ行ったことがない」


 再びミリーナは考える素振りをして、エクトルの目を見た。


「それは、この村を離れて、旅に出るということ?」

「そうだ。少し長旅になる。順当に行けばここから十日ほどだ」


 ミリーナは「そう」と呟いて、視線を落とす。


「マーゴ叔母さんは反対しないかな……」

「わからない。でも、もしその気があるのなら、俺からもマーゴさんに口添えをするよ」


 ミリーナはしばらく考えたあと、コクンと首を縦に振った。


「じゃあ、相談してみる」

「それがいい。それと——」


 ビクターの名前を出そうとして、エクトルは慌てて口をつぐんだ。


(亡くなったビクターとの関係を今聞いてどうする……)


 エクトルはきまりが悪そうに、


「いや、なんでもない」


 といって、誤魔化すように微笑を浮かべた。


「……? すごく気まずそうな顔をしているのはなぜ?」

「今はそのときじゃないと思って……また改めて訊くよ」


 キョトンと首を傾げるミリーナだったが、エクトルに相談して心が少しは晴れたのか、にこりといつもの笑顔を浮かべた。


「それじゃあ食べよう、エクトル」


 そうして二人は、すっかりぬるくなってしまったスープに口をつけた。

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