11.あと少しの辛抱だ……
初日、エクトルは土埃にまみれ、畑の真ん中でただ立ち尽くしていた。
ロイドの指示で手にした重い農具が、手のひらに痛みを刻み込んでいく。土を掘り返すたび、体がどんどん鉛のように重くなっていった。
夕日が傾く頃には、腕も肩も限界に達し、エクトルは無言のまま地面をじっと見つめた。
(これが静かな田舎暮らし……か)
心の中で苦笑しながら、足取り重く家路に就いた。
翌朝、目を覚ますと全身が激しい痛みに襲われた。筋肉は固まり、背中から腰にかけて鈍い痛みが走る。それでも、再び畑に立たなければならない。ロイドは容赦なく仕事を与え、エクトルは歯を食いしばりながら黙々と鍬を振り続けた。
三日目には体の重みが増し、作業の手つきも鈍ってきた。
そんな様子を見たロイドが、ぽつりと口にしたのは「慣れるしかないさ」という一言だけだった。その無骨な言葉が、彼にはなぜか心に重く響いた。
一週間が経つ頃には、エクトルの手のひらにはいつの間にか厚い豆ができ、体も少しずつ仕事に馴染んでいった。鍬の振り方も覚え、力の入れどころや動きの無駄を削る術も、日々の繰り返しの中で自然と身についた。
朝から夕方まで、土に触れるたび、彼は無心で作業に打ち込み、土の感触が少しずつ肌に馴染んでいくのを感じていた。
——そんな日々の中、エクトルは村の様子をさりげなく観察していた。
特に大きな問題が起こるわけでもないが、村人の顔には微妙な緊張が漂っている。彼らが無理に押し殺しているような、その不安の一因は兵士たちの横柄な態度にある。
村の食料は、兵士が村人からほぼ強制的に徴収しているらしく、良質なものはすべて彼らの手に渡ってしまうようだ。
村人の不満は溜まっているが、相手は王国の武装兵士だ。まるで賊同然の振る舞いだが、兵士たちは王の権威を盾にし、村人たちに押し付けているのだ。
もし村人が抵抗すれば、すぐにでも罰を下されるのは目に見えている。
エクトルは、心の中で不快感を感じつつも、それが表に出ないよう、淡々と村人たちに溶け込むことに努めていた。
(あと少しの辛抱だ……)
と、自らに言い聞かせ、思いを巡らせる。
ユウリがイグレシアスのもとへ向かってから、ちょうど一週間が経った頃だ。無事にたどり着いて、精霊についての手がかりを掴んでいるだろうか——彼はその道筋を思い描き、心の中でユウリの無事を祈っていた。
だが、一方で彼の胸をざわつかせるのは、やはりミリーナの存在だった。
相変わらず飄々とした様子で、時折ロイドの畑に顔を出しては、どこか楽しむようにエクトルの作業を見つめている。その視線には、まるで彼の反応を観察しているような含みがあり、真意が読めない。
彼女の瞳の奥になにが潜んでいるのか——それが気になりながらも、答えは掴めないでいた。
そんなことを考えながらも、作業に手を動かしていた八日目の昼過ぎ、不意にロイドが唸るように呟いた。
「……やっちまったな」
ロイドのぼそりとした呟きに、エクトルは顔を上げた。
ロイドは無骨な表情を崩さず、手にした鍬をじっと見つめている。その先端は、無残にも割れてしまっていた。
「こいつも随分と酷使してきたからな。そろそろ限界かとは思ってたんだが……さすがにもう無理だな」
ロイドは短くため息をつくと、鍬を地面に突き立てた。その仕草には、古い友を手放すような諦めの色が漂っている。
「修理じゃ、もうもたないですか?」
エクトルがそう尋ねると、ロイドは少しばかり苦笑いを浮かべて首を振った。
「手を入れりゃなんとかってもんじゃねえよ。何度補強しても、しばらくすりゃまた壊れる。もうこいつも、根性で持ちこたえてたようなもんさ」
ロイドは鍬を見つめ、どこか遠くを見やるような目をしていた。
「……なら、新しいのを買いに行くしかないですね」
「そうだな。だが、俺が行ってたら、片道で日が暮れちまう。今日は畑の片付けも残ってるしな」
ロイドはふとエクトルを見つめ、その視線には少しばかり迷いの色が浮かんでいた。
エクトルは、ロイドの視線を受けて軽く頷くと、口を開いた。
「じゃあ、俺が行ってきますよ。ちょうど休憩時間ですし、ついでにマーゴさんにも挨拶をしておきたいですし」
その言葉に、ロイドは驚いたように眉を少しだけ上げたが、やがてニヤリとした笑みを浮かべた。
「そうかい。それは助かるな。あの鍬もとうに替え時だってマーゴに言われてたんだが、つい先延ばしにしちまっててな。お前さん、マーゴの店には顔を出してるんだろう?」
「ええ、何度かお世話になっています」
ロイドは満足げに頷き、鍬をエクトルに差し出しながら目を細めた。
「……じゃあ、任せるとするか。俺よりもお前さんの方が、あの意地っ張りも少しは愛想よくするかもしれん。手間かけるが、助かるぜ」
エクトルは鍬を受け取り、わずかに微笑を浮かべて小さく頷いた。
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