第9話 災の象徴
その晩のこと、エクトルはホコリ臭いベッドに横になって、木の天井を見上げた。蝋燭は買い足さねばならないが、今晩は窓から差し込む月明かりで十分だった。
(今日は疲れたな……それもそうか……)
一日を振り返ってみると、ミリーナの顔が思い起こされた。
(不思議な女だったな……)
金髪にエメラルドの目、すらりと背は高く、貴族のような美しい容貌。
その上、魔法の才があって、学もそれなりにありそうで、叔母のマーゴと二人暮らし。なにかに不自由しているわけでもなく、日々を気ままに過ごしている。
ただ、退屈はしている。変わらない日常に退屈しすぎて、鬱屈した部分があるのかもしれない。
彼女に変わったところがあるということは、村の中では当たり前のように知られているようだが、だからといって誰も嫌っている風でもない。
むしろ受け入れられていて、大人はもちろん、子どもからも好かれているということは、ロイドの息子たちの様子を見てわかった。
今ごろミリーナはマーゴになんといっているのだろう。
気に入られたのはよかったが、他人にどう話しているのかはやはり気になるところだ。
さらに気になるといえば——
「精霊の声か……」
エクトルは天井を見上げながら、誰にというわけでもなくポツリと呟いた。
彼女はまるで本当のことを話すようにいろいろと教えてくれたが、エクトルの中ではまだ半信半疑で、いったいどこを信じていいのかわからない。
自分でさえそうなのだから、この村の人々もやはり信じてはいないのだろう。
そう思うと、彼女の悩みはこのまま解消されない。退屈と無理解が、いつまでもつきまとって、時折ああいう寂しい顔になってしまうのだろう。
悪人ではない。からかっているようにも見えないし、騙している風でもないし、彼女の口から出る言葉はどれも真実を語っているように聞こえた。
(バカバカしい……)
エクトルはふっと笑って目を瞑った。
精霊の声——幼いときに祖父が語ってくれたことがある。ミリーナがいっていた通り、精霊は常に身の回りにして我々になにかを語りかけているのだと。
それは祖父のおとぎ話か、あるいはほら話のようなものだとエクトルは思っていた。
けれど、祖父と同じようなことをミリーナはいった。祖父よりも具体的で、さらにはその声が聞こえたこともあるといっていた。
(それが本当だとして、なんだというのか……)
真偽にかかわらず、その話を聞いたところで、なにかが変わるわけでもない。
精霊の声が日々の生活を豊かにしてくれるとも思っていないし、騒ぐだけで影響がないのなら、ただの雑音にしかならないだろう。なるほど——
(精霊の声……聞こえる人には聞こえる雑音のようなものか……)
エクトルは精霊という不確かなものを、若干侮りながらそう思った。
しかし、どうしても気になってしまうのは、やはり虫の知らせのようななにかがあったからだ。ミリーナから話を聞いているうちに、なにか、嫌な予感がした。
戦場で生き残る者ではなく、強い者ではなく、嗅覚に鋭い者だと祖父がいっていた。
蜘蛛は水かさが増す前に高いところに巣を移す。ネズミは人よりも優れた耳で遠くから敵がくる前に逃げる。そういう危険に対して働く鋭敏な嗅覚が、もやもやとした気分にさせているようだ。
奔放に振る舞うミリーナの笑顔が、ときたまかげったのも気になった。
どうして彼女は見てきたようにいうのだろう。
(不思議な女だけれど、まあ、いいか……——)
エクトルは出会ったばかりの人を悪く思うのはよそうと思った。
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