第7話 漠然とした不安

「精霊はね、私たちの身の回りにたっくさんいるの」


 村長に紹介されたロイドのところに向かいながら、ミリーナは嬉しそうに精霊について語り始めた。


「……たくさん?」

「ええ、すごくたくさん。星の数ほどに……とても数え切れるものではないわ」

「大きさは?」

「わからない。目には見えないの。それでも、いつもささやきかけてくれるのよ」


 真偽はどうあれ、ミリーナはさもそれっぽいことをいってみせた。エクトルは半信半疑だったが、なんとか彼女の言葉に思考が置いていかれないようにしながら耳を傾けていた。


「なにをささやくんだい?」

「いろいろ、たくさん。だから、なにをじゃなくて、なにかを」

「なにかを、か……」


 エクトルは顎に手を当てて考えた。


「でも、ミリーナは精霊の声を聞いてあの花畑をつくったんだろ? だったら、なにかが聞こえないといけないんじゃないのか?」


 エクトルは、嘘を問い詰めるようなわけでもなく、単純にそう訊ねてみた。


「そうね……私自身不思議なの。彼らがなにをささやいているのかはわからない。でも、そうしなさいと内なる声が聞こえてきた気がして、それが目的にすり替わるの」

「ふむ……それで、目的を達成したあとはどうなるんだい?」

「どうにもならない。でも、彼らの声が優しくなる。嬉しそうに」


 ミリーナの言っていることはちんぷんかんぷんだが、一つわかるのは、精霊の声には種類があるということだ。


「優しくないときもあるの? たとえば、怒っていたり、悲しんでいたり、お腹が減っていたり……」


 ミリーナはクスッと笑った。


「お腹が減って苦しいというのは聞いたことはないわ。でも、人と同じように感情はある。悲しいことがあれば悲しくささやくし、怒っていれば怒ったようにささやく。そういうものよ」

「そういうものか……」


 なんにせよ、なにかの役に立っているわけでもなさそうだ。

 そこらじゅうにいて、ミリーナに気持ちを伝える。するとミリーナはそれに反応して、彼らのしたいことをするらしい。


 目的がすり替わるというのは、たぶんそういうことだ。

 ミリーナの退屈な日常を、彼らが暇つぶしに付き合ってくれるだけで、なにかの使命を与えたりするものでもないらしい。


「うるさく感じることはないのか?」

「あるわ」

「そういうときはどうするの?」

「耳を塞いでも無駄。心の中で、早く静まってとお願いをするくらい」

「……それの効果は?」


 ミリーナは苦笑いを浮かべた。


「ないわけではない。でも、耳鳴りのような音が、ずっと頭の中でキーンと響き続けるの」

「それは……なかなかつらそうだな」

「つらいときもあるけど、人から理解されない苦しみよりはマシなほうかな……」


 エクトルは「あ」と口を拡げた。

 今のはミリーナの本音なのだろう。こういう話を、真面目に語り聞かせている相手が真摯に耳を傾けるとは限らない。精霊の声よりも、そちらのほうが彼女にとっての悩みなのだとエクトルは悟ったのだった。


 すると、ミリーナはスカートの端を抑えながらエクトルの前に駆け出した。なにをするのかと思ったら、クルッと振り返ってあどけない笑顔を浮かべる。


「ねえ、あの小川まで競争しない?」

「え? なんだよ、急に?」

「私、こう見えて足が速いの。行くわよ——」

「あ、ちょっ……おい!」


 いきなり駆け出す彼女の背中を追いながら、エクトルは思った。


(魔法の才があるから、あながち嘘とも言えない……でも、まるで真実を語っている……)


 ミリーナの言葉を信じるかどうかはべつとして、あどけなく笑う彼女の顔を見ながら、またこう思った。


(しかし……この、漠然とした不安はなんだろう……)


 明るい日差しの中、ミリーナの美しい髪が上下に揺れる。

 それを見ながら、なにか虫の知らせのようなものを感じたが、エクトルは気のせいだと思い直して、ミリーナの背中を追い続けた。

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