第5話 精霊の声

「へぇ、物書きねぇ……このあたりじゃ食えないよ?」


 中年を過ぎた村長が、口ひげを指でこすりながらいった。ミリーナのいうとおり、村長は起きたてで、ちょうど酒をグラスに注いだところで、エクトルが訪れると多少の不機嫌さを顔に出していた。


「ところで、なんでまたこんな辺鄙なとこに? 王都じゃ金の出る仕事だってあるだろうに」

「その金のせいですよ」

「というと?」

「金がないと王都の暮らしはままならない。ここなら畑を耕すだけで腹は膨れる。そうでしょ?」


 村長の不機嫌な顔は、次第にエクトルへの興味へと移っていった。


「学がありそうなのに、あんたは変わってるね? そう言われないかい?」

「ここにきてからよく言われます。みなさん正直者ですから」


 村長はふっと声に出さずに笑った。


「物書きではなく、なにかべつの仕事をやりたいってことでいいのかい?」

「みんながみんな親切心でそう言うので。物書きをしながらなにかべつの仕事もやりたい。なにか仕事はあるかな?」


 村長はふむと顎に手を当てた。無精髭をザリザリと音を立てるようにこする。


「それなら畑を耕すかい? 今じゃどこも若手が足りなくてねぇ。——ま、金じゃなくて野菜か麦か酒しかもらえるもんはないが、紙やインクを食うよりはマシだろう?」

「ええ、助かります」


 エクトルは丁寧に礼をいうと、次いで、住める場所がないかを訊いた。

 村長がいうには、村の東に空き家がいくつかあるという。そこはもともと流行っていたが、若者がどんどんいなくなって、今では年寄ばかりになっているそうだ。


「そのあたりを仕切ってるのがロイドって男さ。四十半ばだよ。でかい畑もあるし、わしからもあとでロイドにいっておくから、あんたからも頼んでみてくれ。なぁに、行けば家も仕事も紹介してもらえるさ。昔から気のいいやつでね」

「はぁ……ロイドさん、か……」


 村長は、はははと声を出して笑った。


「着いたばかりで顔と名前を覚えるのも大変だろう。なぁに、わからないならこのままミリーナに案内させるさ」


 ふと、村長は窓の外を見た。見つめる視線の先にはミリーナがいて、朽ちて倒れた木の幹に腰掛け、寄ってきた蝶に向けて楽しそうに喋っている。暇を持て余して蝶に相手をしてもらっているのだろう。


「ロイドのお気に入りでな、自分の娘のように可愛がっているんだ」

「その、ミリーナのことなんですが……」

「……なんだい?」


 村長の口ぶりはなにかを知っているという感じに受け取れた。

 エクトルはどういおうか迷ったが、小一時間ばかりのあいだにミリーナと交わしたやりとりを思い出しながらいった。


「……不思議な子です」


 すると村長はテーブルの上のグラスをとって、酒をひと口含んだ。


「悪く言うつもりもないが、あの子には気をつけたほうがいい」

「それは、どうして?」

「頭はいいし、口は達者だし、どうしても男のほうが口数で負ける。嫁にとるならもっと大人しいのがいい。わしからの忠告だ」


 村長は冗談めかしてそう言うと、ふと目を細めた。すっかり笑顔を消している。エクトルの真面目な顔に気づいたからだ。


「……魔法の才があるんだ」


 村長が言うと、エクトルは動揺した。


「っ⁉ ミリーナにですか?」


 思い当たらないこともない。

 ミリーナの不思議な言動は魔法使いの使うそれと似ている。浮世絵離れとまではいかないが、いちいち真理をつくような言い方をする。まるで、見えている世界が違うように。


「いや、しかし……」


 魔法の才のある者は、魔法使いに弟子入りするのがたいていで、王都に行けばそれだけで食っていけるだけの仕事がもらえる。だから、魔法の才があると見出されたら、親が泣く泣く幼子を手放して魔法使いの弟子にするのが慣例だった。


「あの歳で、弟子入りしていないのは、どうして……?」

「弟子入り先がことごとく嫌がってねぇ……マーゴはあんたになんていった?」

「なにも……ただ、婚期を逃したといって」

「あの子は見合いしたことは一度もないよ。もっとも、このあたりじゃ若い衆はみんな王都へとられちまうし、相手を探すのも一苦労だからね。だからって、よその村に行かせるのもマーゴが許さない。ミリーナをそばに置いておきたいのさ」

「はぁ……」

「魔法使いに弟子に出したが追い返された……そのことを知ってんのは一部の人間だけだとマーゴは思っているのさ。小さな村だ、噂なんてあっという間に広がる。でも、みんなマーゴに気を使って、外に嫁に出そうとして失敗したってことにしてるんだよ」

「なるほど……」


 マーゴの嘘に村人皆が便乗しているらしい。

 それで俺か、とエクトルは思った。

 魔法使いにもなれず、すっかり婚期まで逃した女を、変わり者だといったわりには押し付けてこようとした理由が、ようやくはっきりした。来たばかりの若い男ならなにも知らない。そのままミリーナと一緒にしてしまおうという腹積もりだったのだろう。


「それで、どうしてミリーナは弟子入りを断られたんですか?」

「合わないそうだ」

「合わない? なにが……?」

「魔法の才はあるが、魔法使いは性分じゃないっていうのがミリーナのいい分だ。だが、あの子を送り返してきた魔法使いどもは、口を揃えてこういうんだ——」


 村長はもう一度グラスに口をつけた。




「——精霊の声などと、嘘をつく女は要らん、と……」




 エクトルは一瞬押し黙る。その言葉を耳にしたことがあるからだ。

 静かに窓の外を向き、いまだに蝶と戯れているミリーナの美しい横顔を見た。


「精霊の声、か……」

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