04.あなたって、真面目なのね……

 ミリーナとエクトルは、村の小道をゆっくりと歩き続けていた。


 柔らかな日差しが二人を照らし、どこか涼やかな微風が二人の間をふわりとすり抜けていく。


 しかし、その穏やかな風景とは裏腹に、二人のあいだにはどこか鋭利な緊張が漂っていた。


 ミリーナはあどけない微笑を浮かべつつ、絶え間なくエクトルに質問を投げかけている。その問いかけは一見無邪気に見える。

 が、エクトルには、その質問の裏になにかが潜んでいるように感じていた。


「ねえ、王都ではどんなことを書いていたの?」


 エクトルはわずかに身構え、慎重に言葉を選び、余計な感情を含まぬよう努めて、冷静に答えた。


「些細な話さ。王都で起きたことを少し記録していただけ……本腰を入れるのはこれから、ってところだよ」


 エクトルのその返答には無意識に滲む警戒心があったが、ミリーナはそれに気づかないふりをしているのか、わざとらしく肩をすくめてみせた。


「あなたがこれからこの村でどんな物語を書こうとしてるのか……それが興味深いの」

「どうしてだい?」

「物語には、その作者の経験が宿るから、かしら?」


 彼女の視線は、まるで試すように鋭くエクトルを射抜いている。

 エクトルはあえて軽く受け流そうと、少しばかり肩の力を抜いて応えた。


「さて、どんな物語を書くべきか……君なら、たとえばどんな物語が読みたい?」

 その問いかけに、ミリーナは微笑を崩さぬまま、まるで誘うように軽く頭を傾ける。

「たとえば、そうね……」


 彼女は微かに目を細め、静かな声で言った。




「——ナイトシェード、とかかしら?」




 その一言が、彼の胸の奥に静かに波紋を広げるように響いた。

 エクトルの眉がわずかに動く。その一瞬の仕草に、ミリーナはすかさず反応する。


「あら? どうして不機嫌になったの?」


 と、彼女は何気ない調子で問いかける。


 無邪気な笑みを浮かべたまま、彼女の目はまるで全てを見通しているかのように彼を射抜いていた。

 その鋭い洞察が、エクトルの内面にあるわずかな隙間に深々と突き刺さってくる。


「……あまり触れたくない話だからだ」


 エクトルは短く答えたが、声には冷たい響きがこもっていた。


「王都の反乱についてなんて、書く気にはなれない」


 ミリーナはその返答に反応することもなく、軽やかに、けれどどこか挑発的に言葉を続けた。


「どうして? ナイトシェードの大活躍を書いて、兵士に捕まるのが怖いの?」


 彼女のその言葉は無邪気そのものだったが、かえってその無邪気さが、エクトルの胸中にくすぶる苛立ちをいっそう掻き立てた。


「そうじゃない……」


 エクトルは声を少し低くして言い返した。もはや苛立ちは隠さない。


「人が多く死んだからだ。ただの事件として記録するには、あまりに多くの命が失われた。命を軽んじることでなにかを達成することが、どれだけ虚しいか……俺には、それが理解できてしまったから、慎重にならないといけないんだ」


 彼の目は一瞬伏せられ、過去の暗い記憶が浮かんでは消えた。

 だが、目を再び開けると、その奥にちらつく影がなおも消えず残っていた。


「……君には、ただの面白可笑しい物語かもしれない。けれど、あの光景を直接見た者にとって、それをネタにして食べていこうなんて、考えるだけで嫌気がさすんだ」


 すると、ミリーナはつまらなそうにため息をつき、少しばかり目を逸らした。


「あなたって、真面目なのね……」


 ミリーナの無邪気な問いかけは、エクトルの胸にさざ波を立てた。まるで、彼が深く隠してきたなにかを軽くつつくように、その小さな波紋は静かに広がる。


 しかし、エクトルはすぐさまその感情を掻き消した。

 冷静でいなければならない——その意識が、条件反射のように彼の中で浮かび上がる。

 静かに息を吸い込み、心を平静に保つことに集中した。


 再び目を開けたときには、表情にはすでに冷静さが戻っていた。無表情に近い微笑——それは、自分を守るために日々磨き上げてきた仮面だった。彼は、ただの「物書き」である自分を演じる必要があったのだ。


「君よりは少しは、ね……」


 エクトルは冷ややかに答えた。

 どこかで自分の中に感情が渦巻いているのを感じつつ、それを封じ込めた声だった。


「……すまない、今のは傷つけるつもりで言ったんじゃないんだ」

「わかってる。私が怒らせたからだもの……ごめんなさい、エクトル」

「いいさ。——そんなことより、のどかでいい村だ」


 エクトルは軽く言葉を切った。わずかに口元に微笑を浮かべているが、どこか虚しさと冷たさが滲み出ていた。


 こののどかな村に染まってしまえば、自分の存在すらも無にできるかもしれない——そんな思いがふと頭をよぎる。


 だが、過去は決して遠ざかることなく、冷たい影のように肩越しでささやいてくる。

 重ねる時間とともに、背負わされるものの重さが増す。

 それは、どれほど遠くに来ようとも、決して振り払えないものだった。

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