第4話 ひとときの安らぎと…

 ミリーナに案内された場所に着くと、そこは一面の花畑だった。初夏の太陽の下、赤や黄色や白の美しい花々が、そよ風にふかれて気持ちよさそうに咲いている。


「本当にきれいな場所だ」

「気に入った? 王都にはこういう場所はないでしょ?」

「ないけど……まだ、さっきの件を引きずっているのかい? 何度もいうが、俺は一時期暮らしたことがあるだけだよ」


 ミリーナはなにもいわずに花畑に足を踏み入れた。


「ここの花のほとんどは、私が山や野や川のほとりやら、あちこちから種や球根を持ってきて植えたの」

「……大変じゃなかったか?」

「ううん、とても有意義だった。——そうしてほしいと頼まれたんだけど、そうしてよかったと思っている」


 微笑するミリーナを見て、エクトルは首をかしげた。


「誰に頼まれたの?」

「誰というか、なにか」

「……なにか?」


 ミリーナは目を細めて笑う。

「はじめは意味のないことのように思ったんだけど、こうして気持ちを明るくしてくれるわ。花を見ていると、とっても気分がいいの」


 エクトルは、微笑むミリーナを見て、また不思議に思った。

 先ほどまでとは打って変わって、今度は大人びた表情を見せる。なにか、二人の人間が内側で入れ替わっているような、そういうものを見せられている気分にもなる。

 そしてミリーナは不思議なことをいう。

 誰かではなく、なにか。

 それがなんなのかハッキリしないのに、彼女はこの広い花畑を一人でつくったというのだろうか。

 狐につままれた気分で、エクトルがボーッとしていると、ミリーナはまたあどけなく笑った。


「エクトル、おいでよ。男性は花畑で遊ぶことはないでしょ? 貴重な経験よ」

「遠慮するよ」

「どうして?」

「道中の疲れがあってね。俺は木陰で君が花と戯れるのを見ておくよ」

「ちぇ、つまらないの……。でもいいわ。私には一緒に遊ぶお友達がたくさんいるもの。エクトルはそこで休んでいなさい」


 ミリーナはつまらなそうにそういって、エクトルに背を向けて花畑に入っていった。


(本当に、変わった子だ……)


 エクトルは苦笑を浮かべ、花を踏みつけないように注意しながら、大きな木のそばに行って、その根本に静かに腰をおろした。

 木漏れ日が優しく下りてくるのを見上げながら、エクトルは静かに目蓋を閉じた。

 そよ風が頬をなで、花の甘い蜜の香りが心をやすらぎに導いていく。


(本当に、いい場所だ……——)




 それからどれくらい経ったのだろうか。エクトルが気分よく目を瞑っていると、静かに近づく足音がした。


「エクトル、眠っているの?」

「いや、起きてる。気分がいいなと思ってね」

「あなた、また嘘をついた」

「え? 俺はなにも……」

「私が花と戯れるのを見ておくんじゃなかった?」


 エクトルはしまったと思いながら、苦笑いを浮かべた。


「すまない、つい、心地よくて……」


 するとミリーナはクスッと可笑しそうに笑う。


「いいの。ここを気に入ってもらうために案内したんだもの」


 そういうと、ミリーナはエクトルのそばに座った。


「外からきた人からすれば、とても退屈な村かもしれないわ」

「ううん、とても気に入ったよ。のどかでいいところだ」

「フフッ、あなたって変わっているのね?」


 お互い様だよといいたかったが、エクトルはなんだか気分がよく、ミリーナの言葉を受け流すように「たぶん、そうだよ」と認めておくことにした。

 ふと太陽が雲に隠れると、強い風が吹いた。遠くから、煙の臭いが届いた気がした。

 するとミリーナの顔が唐突にかげった。




「……それで、どれくらい殺したの?」




 急に太陽が落っこちてきたように、エクトルの目の前が白くなった。

 とたんに花畑は薄暗い戦場に変わる。曇天の空の下、死屍累累、煙に鉄の臭いや生臭さが混じり、思わずうっと吐き出したくなるような地獄絵図が目の前に広がった。

 ぼーっと剣を携えて突っ立っているエクトルは、仲間の呻く声を耳にした。

 はっとして振り返ると、血に塗れた仲間たちが、苦悶の表情を浮かべている。うつろった目は、死が間近に迫ったことを物語っていた。なにかを訴えかけてくるが、どれも声にならない。そうして一人、また一人と力尽きていく中、無力にもなにもできない自分に、怒りと悲しみが込み上げてきた。

 くっと目を瞑る——。

 おそるおそる恐る目蓋を開けると、そこはもとの美しい花畑だった。


「エクトル……今、なにを見たの?」


 ミリーナが低い声でいった。


「なにも……なにも見てない……」


 エクトルは嘘をついたが、きっとバレる嘘だと思った。息は荒く、心臓の鼓動が激しくなっている。小娘のひと言に動揺してしまったのだと思うと、なんだかひどく自分がちっぽけな人間に思えてしまう。そうして、逃げ場はどこにもないのだと思い知らされた。

 少し冷静になったエクトルは笑顔をつくった。


「虫なら……虫ならたくさん殺したかな」

「そうじゃなくて……人間、もしくは敵」


 エクトルは笑顔を消した。


「……君、そろそろ怒るよ?」

「君じゃなくて、私にはミリーナって名前があるの。エクトルは私と会ってから一度もその名で呼んでいないわ」

「……じゃあミリーナ。ずっと気になっていたんだが、あまりそういう当てずっぽうを言うのは感心しない。茶化すつもりなら、そういう物騒なのはなしだ」

「本気で怒ることないじゃない……」


 ミリーナはおもしろくなさそうに頬を膨らませた。


「怒ってないよ。ただ悲しいんだ」

「悲しい? どうして?」


 エクトルは眉根を寄せる。


「遠くじゃ人がたくさん亡くなっている。死を悼む気持ちは大事だと思うけど、軽率に死を語らないほうがいい」

「死を軽んじるつもりはない。私は事実を知りたいだけ」

「事実は……もういい。詮索はやめてくれ」


 エクトルはもうこれ以上なにも話すまいと思って口をつぐんだ。なにかを話せば十の言葉が返ってくる。口数で負けるとわかって、勝ちに行く必要もない。


「ふぅん……エクトルは真面目なんだ」

「真面目……?」

「嘘つきだけど正直……この村で一番の正直者になれるかもね?」


 なにをどう解釈したのだろうと考えている矢先、ミリーナは笑顔で立ち上がり、すっと右手を差し出した。


「とても気に入った。それじゃあそろそろ行こっか、エクトル」


 太陽が雲から顔を出し、ミリーナの横顔を照らした。それがなんだか神々しくも見え、エクトルは思わず息を呑んで、手を差し出すか迷った。


「ほら、早く! 村長さんが起きているから」

「あ、ちょっと……!」


 エクトルは、ミリーナに無理やり腕を引っ張られて立ち上がった。


「ほっといたらお酒を呑んじゃうから、ほら、行こ!」


 無邪気なミリーナのあとに続きながら、エクトルは彼女のブロンドの髪を見た。


(不思議な子だ……大人なのに無邪気なのか、子どもなのに大人びているのか……)


 考えても仕方がないと思いつつ、ミリーナと一緒に村長の家へと向かった。

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