03.都会の暮らしに嫌気がさしただけさ
エクトルは無言でルニエ村の通りを進み、古びた道具屋の前に立ち止まった。店の外観はひっそりとして、どこか他所者を寄せ付けないような佇まいだ。
息を詰めてその古ぼけたドアを押し開けると、室内にはひやりとした冷気が漂い、雑然と積まれた道具たちが影を潜めるように彼を迎えた。
カウンターの奥には、飾り気のない中年の女——マーゴがどっしりと座っている。彼女は不意の訪問者を、まるで打ち返してやるかのような鋭い目つきでじっと見据えた。
「誰だい、よそ者さん?」
「エクトル、物書きだ。元は石工だが、王都からこっちに引っ越してきたんだ」
エクトルが手短に自己紹介を終えると、彼女は鼻で軽く笑い、声に一片の遠慮もなく言い放った。
「エクトルね……物書きだかなんだか知らないけど、都会でやることがなくなったってところかい?」
その声には、ただの興味ではなく、どこか試すような響きがあった。マーゴの視線はまるで氷の刃のように冷たく、エクトルの全身を上から下まで品定めしているかのようだ。
エクトルは、慣れたつもりのつくり笑いを浮かべてみせたが、その無防備な微笑みにも、彼女の視線は容赦を示さない。
「まあ、王都で書くべきことが見つからなかったってわけかね? こんな田舎に物書きなんぞが来る理由なんて、それぐらいしかあるまい」
「……そうだね、そう思われても仕方がない。都会の暮らしに嫌気がさしただけさ」
そう言ってエクトルは肩をすくめたが、その言葉がいかに表面的なものか、彼自身もよくわかっていた。しかし内心では、この村の冷たい空気が、その奥を掘り下げていくことなどないように、と祈るばかりだった。
「で、なにが欲しいんだ? 紙とインクかい?」
「まずは、家を探している。——泊まれる場所があれば助かるんだが、あるかい?」
マーゴの表情にわずかな意外さが浮かんだ。彼女はそれをすぐに隠し、冷笑を浮かべる。
「あいにく、宿なんて気の利いたものはないよ。この村じゃ集会場があるくらいのもんさ。——まあ、今は王都の兵どもが居座ってるけどね」
「なら、馬小屋でも構わない。雨風さえ凌げれば十分だ」
その無造作な返答に、マーゴは短く息を吐く。
「そんなに急がなくてもいいさ。——探せば空き家くらいある。村長に訊ねるんだね」
彼女は帳簿を広げ、視線を落としつつエクトルを一瞥した。その瞳には、冷やかな軽蔑と微かな好奇心が交錯している。
「村長の家はどこにあるんだ?」
「村長のところに行くなら、うちの姪っ子を案内役にしてやるよ」
「姪っ子?」
「どうせ暇を持て余してるからね」
エクトルは少し眉をひそめた。
「いや、案内は必要ないよ。場所さえ教えてもらえれば」
「遠慮は要らないよ。田舎者はみんな親切なんだ。それに、うちの姪っ子は、少し世間知らずなだけで悪い子じゃないし、村一番のべっぴんさ」
「いや、しかし……」
「そう遠慮しなさんな。——ミリーナ、下りてきな!」
店内に響くマーゴの声には、どこか挑発めいた響きが混ざっていた。エクトルは、静かにその声に耳を澄ませながら、無言で待ち続けた。
階段の上から軽やかに響く足音が近づくにつれ、エクトルは視線をその音の方へ向けた。
その瞬間、光を浴びて輝くプラチナブロンドの髪が現れ、無邪気な笑みを浮かべた少女が姿を現す。
ミリーナ——彼女は純真な表情を見せていたが、その微笑みの奥に隠された冷ややかな光を、エクトルは敏感に感じ取った。
「初めまして、エクトルさん。私がミリーナよ」
彼女はまっすぐにエクトルの目を捉えた。美しい顔に浮かぶ微笑みは温かげだが、どこか測り知れないものがその奥に潜んでいる。
エクトルは、彼女の眼差しにほんの一瞬動揺したが、表情には出さずに淡々と微笑を返した。
「エクトルだ。よろしく」
するとミリーナは、エクトルの反応を楽しむかのように、その場でくるりと歩きながら彼を観察し始めた。
「エクトルさんって、不思議な雰囲気ね。王都から来た物書きさんだって? 田舎に似合わない……だけど、どこか落ち着いてる。——元は石工? でも、どうもそんな風には見えない。本当に、不思議な落ち着きね。まるで兵士のような……でも、この村にいる兵士とは、どこか違う」
エクトルの周囲を一巡りしてから、ミリーナは一歩、距離を詰めた。近くから覗き込むようにして、彼女のエメラルド色の瞳が彼の奥底に潜むものを探るように見つめる。
この少女だけが持つ独特の気配に、エクトルの心にはわずかながら不安が湧き上がる。
(どうして……この場にいなかったのに、俺のことを知っているんだ?)
心の奥底に、不穏な疑問が静かに芽生えるのをエクトルは感じたが、内心の疑問をひとまず押し隠し、ふっと気を取り直した。
(……いや、二階から聞き耳を立てていただけか)
そう自分に言い聞かせ、彼は無理に平静を装い、淡々と微笑みを浮かべた。
「そうだね、よく変わり者と言われるよ。石工を辞めたあとは、少し旅に出ていたこともあってね。——それでも、今は物書きとして、ただのんびり暮らしたいだけさ」
あえて気軽に応じると、ミリーナの探るような視線を避けるために、エクトルはわざと店の棚に目をやる。しかし、その微笑は空虚でどこか虚ろだった。すぐに視線は引き寄せられるようにミリーナへと戻っていた。
ミリーナはくすりと笑い、透かすように軽やかな口調で応じる。
「ふふん、変わり者ねぇ……たしかにそうかも。でも、ここでただのんびり暮らすには、あなたは少し、賢すぎるんじゃないかしら?」
意地悪く問いかける彼女の言葉に、エクトルは虚ろな笑みを浮かべて返した。
言葉にしない冷ややかな応じ方だったが、それにミリーナはかえって興味を引かれたのか、口元には小さな笑みが浮かび、まるで挑発するかのような冷たい輝きがその瞳に宿っている。
「……まあ、いいわ。村長さんの家に行くんでしょ? 私が案内してあげる。マーゴ叔母さんに頼まれたんだもの……己の使命はきっちり果たすわ」
挑発的にそう言い放ち、ミリーナは振り返ることなくさっさと歩き出す。その後ろ姿には、なにかへの期待と、なにかを試すような冷たい意図が窺える。
エクトルは戸惑いを覚えたが、その素振りを出さず、彼女の背中を黙って追った。
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