第2話 不思議な女との出会い

 馭者とわかれたあと、エクトルはマーゴの道具屋に入った。


 生活に必要そうなものはここでそろいそうだが、今は先に済ませることがある。


 奥の椅子に腰かけていた中年の女店主がマーゴだった。


 エクトルが無難に引っ越しのあいさつをしたところ、


「ふぅん、エクトル……前は石工で、今は物書きかい?」


 と、ぶっきらぼうにいわれ、全身を上から下まで値踏みするような目で見られた。


 ジロジロと見られるのはあまり気分の良いものではないが、よそ者を受け入れる儀式のようなものなのだろう。


「虫も殺せないような顔をしているね。こんな田舎に住みたいなんて、そうとうな変わりもんだねぇ、あんた」

「そうかい?」

「そうさ。都会風の男なのに、もったいないねぇ。向こうで歯をくいしばってりゃ、そのうちツキにも恵まれるってもんさ。いい女をつかまえときゃ、こーんな田舎に引っ越すなんて気にもならなかっただろうにね」


 エクトルは苦笑を浮かべつつ、あまり関心のないふりを続けて、マーゴの様子をうかがう。


 年のころは五十。苦労を重ねてきたことを物語るしわが、顔と手にいくつも折りたたまれていた。


 どうして女一人で店を切り盛りしているのか気になったものの、それを口にするのはためらわれた。


 そこから長話になるのもかなわないと思ったからだ。


 今日はやることが多いのだ——


 このあとは村長に会う。そして空き家を紹介してもらう。食い物は一晩くらいはなんとかなる。宿すらなさそうな村だし、このまま野宿になるかもしれない。


 ——当座のことを考えると、今は細かいことよりも、今夜のねぐらがほしい。


「ここはどうだい?」

「のどかでいい村だ」

「王都から来た連中はみんなそういうよ。のどかでいい村だってね。ほめ言葉なのか、皮肉なのかわかりゃしないね」


 エクトルはふっと笑った。


「こっちの人はみんな親切で正直者かい?」

「そうさ。王都と違って、こっちじゃ人を蹴落としたり嘘をつく必要なんてないからねぇ。だから、王都の人間からしちゃ、こっちの人間はみんな変わりもんさ」


 エクトルは、うまい皮肉だと思った。


 このマーゴという女は頭が回るし、村の相談役を引き受けているのも納得がいく。


 エクトルは、自分というものがきちんと見えている人なのだろうと思って、マーゴに微笑を顔を向けた。


「ここに紙とインクは?」

「売れないものは置かないのさ。でもま、物書きがこっちに住むんなら、考えてやってもいいけどねぇ」

「というと?」

「仕入れさ。行商人がひと月に一回ここを通るんだ。インクに羊皮紙、ペンは長く使えるだろうが、そいつに頼めばなんでも手に入れられるよ。ちと値が張るけど持ち合わせはあるのかい?」

「まあ当分は……それなりにね。助かるよ、マーゴさん」


 エクトルが微笑を浮かべながらいうと、マーゴは満足そうに目を細めた。


「ところで、これから村長んとこにあいさつに行くのかい?」

「そのつもりだが?」

「だったら、案内役にうちの姪っ子を連れて行くといい。今日は暇してるからねぇ」

「……姪っ子?」

「あんたよりも若いが、まあ歳を気にするような子じゃないさ。婚期を逃した変わりもんでね、あんたと気が合いそうだ。こんな田舎には似合わない、べっぴんだよ」


 早口でまくし立てられ、エクトルは急にまごついた。


 気に入られたはいいが、マーゴのこのあからさまな態度がなにを意味しているのか、わからないほどエクトルは鈍感ではない。


 信用を勝ち取るだけでよかったのに、まさか姪っ子を押しつけられそうになっているのである。


「あ、いや……さすがにそれは……」

「気にしなさんな。いなか者はみんな親切なんだよ。ちょっと待ってな——ミリーナ! ミリーナ! 下りといで!」


 階段の下から上をのぞいて叫ぶマーゴを見ながら、エクトルはいよいよ困ったぞと頭をかいた。




「——今行くわ、マーゴ叔母さん」




 二階から若い娘の声がした。

 そのときエクトルは、不覚にも、きれいな声だなと思った。


 ほどなくして、階段を軽い足取りで下りてくる音がする。


 最初に白くて細い脚が見え、やがてプラチナブロンドの髪色の、若く美しい娘の横顔が見えた。


 エクトルは思わず息をのみ、これがミリーナかと思った。


 その娘は、服装はあくまでも村娘ではあったが、マーゴの贔屓目を差し引いても美しい。


 そのちぐはぐさにどうしても違和感を覚える。

 こんないなかにはふさわしくない娘だとエクトルは思った。


 目が合うと、ミリーナの碧眼へきがんは、エメラルドの光を放った。


「——へぇ、めずらしい!」


 エクトルが「え?」と少しばかり驚くと、ミリーナは階段の途中から駆け下りてきた。


 そうして、エクトルの真ん前に来て、あいさつもなしに彼の周りを物珍しそうにジロジロと見て回る。


 そうして一周し終えると、今度はエクトルの顔に自分の顔をグッと近づけて、もう一度まじまじと見てから口を開いた。


「ふぅん、なるほどね……」


 間近で見たミリーナの顔はいたく整っていて、やはりきれいな娘だとエクトルは思った。


 ただ、どことなく気の強い性格が顔に表れている。


 この不躾ぶしつけな振る舞いも、男にびないようなところも、どちらかといえばエクトルの好みではない。


「わかったわ」

「……なにが?」

「あなた、出身は王都ね? で、嫌気がさしてこっちにきた」


 いきなりの決めつけに、エクトルは「え?」と顔をしかめた。


「ミリーナ、エクトルは今日来たばかりなんだ。手加減してあげな」


 と、マーゴが横からたしなめるようにいった。


 エクトルは、ずっとどうしたらいいものかと戸惑っていたが、とりあえずは愛想のいいふりをしておくことにした。


「ねえ、そうでしょ?」

「違うけど、どうしてそう思ったんだい?」


 ミリーナはフフンと笑った。


「嘘が下手ね」

「嘘?」

「その言葉遣いは王都の男が気取って使うものだもの」

「これは……慣れたんだよ。出身は王都の外れ。王都に住んでたのは十から二十までだ」

「また嘘。王都を出たあとは、あちこち旅をしていたのね?」


 エクトルは内心ヒヤッとしたが、微笑をたたえたまま崩さない。


「どうしてそんなことが見ただけでわかるのさ?」

「旅人の立ち方。足に負担がかからないようにって、そういう立ち方になるのよね? それに服装。きれいにしてても、糸のほころびが旅の苦労を物語っているわ。ブーツは最近買ったものね? 服に比べてまだ新しいもの。革が足に馴染んでもいない。慣れない靴をはいているのは、旅人であることを周りに知られないため? それとも、商売人に足元を見られないため?」

「……なるほど、君は目がいいんだね?」


 否定も肯定もせず、エクトルは苦笑でそう返した。


「頭もいいほうなの。少なくとも、この村で一番。読み書きだってできるわ」


 そういって、ミリーナはフフンと得意げに鼻をならした。


「あとは、こういうのも得意——」


 ミリーナはすぅっと息を吸った。


「——ようこそ旅人よ。疲れを癒やしたあとは、いったいどこに流れるのかい?」


 いきなりミリーナはわざとらしく大きく動いてみせる。


 これには驚かされたが、エクトルはこの台詞に聞き覚えがあった。


「なるほど……『石弓の使者』の一節か。君は大衆演劇をどこで観たのかな?」

「まあっ!」


 突然ミリーナが目を輝かせたのを見て、エクトルはしまったと思った。


「ようやく話の通じる人が来た! マーゴ叔母さん、私、この人のことがとっても気に入ったわ!」


 ミリーナのはしゃぎ方が子供っぽく、エクトルはまごついて、次の言葉が出てこない。


 あきれながら見ていたマーゴが口を開く。


「あたしにはさっぱりだけどね。——ミリーナに気に入られたようだよ、エクトル」

「あなたの名前はエクトルっていうのね……ふぅん」

「あの、君は……」

「君じゃない、ミリーナ。——ようこそ旅人のエクトル、わたくしは導き手のミリーナ。——よろしくね?」


 ミリーナはそういって、エクトルの目の前でにっこりと微笑んだ。


 エクトルは、ため息の代わりに鼻から息を放った。


(なるほど、婚期をのがすわけだ……)


 引っ越し早々、変な縁ができてしまったとエクトルは思った。

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