あるいは厄災という名の魔女 〜元暗殺者は少女を救い、世界を救う旅に出た〜

白井ムク

第一部 正直者の村

第一章 ミリーナ

第1話 物書きの青年

 昼日中のいなか道を荷馬車がのん気にすすんでいる。


 馭者ぎょしゃは四十過ぎの無精髭ぶしょうひげで、荷台に青年を乗せている。


 青年は二十くらいで、髪は焦げ茶の短髪。

 顔は都会風で、身なりは悪くない。


 この青年を馭者が荷馬車に乗せたのは、それなりの理由がある。


 山賊や魔物が出る街道で丸腰。

 そんな世間知らずだというのに、不思議と落ち着き払った様子でいたからである。


 少しばかり、村を出た我が子に近い年のころに見えたのもあった。


 そんな理由もあって、馭者はこの世間知らずがなんだか気になって声をかけた。


 青年にとっては渡りに船で、ちょうど馭者の住んでいる村に向かっていたこともあり、ついでに運んでくれたら金を渡すといった。


 そうして気分をよくした馭者は、運転手のような気分になってを粗末な荷台に乗せることにしたのだった。


 民家がちらほらと見えはじめた。

 ちょうど石橋に差しかかったころ、「どうです?」と馭者は荷台に向けて声を大きくしていった。


 車輪の音にじゃまされて、青年は聞きまちがいかと思ったが、「え?」と馭者のほうを向いた。


 いつのまにか馭者の横顔に笑みが浮かんでいた。


「このあたり、なーんもないでしょう?」と、馭者はまた大声でく。


 青年はこのあたりのあいさつかと思って、「そうかな?」と大きな声で返した。


「そうですよ。王都に比べりゃねぇ」


 青年はふたたび景色をながめた。


 どこまでもつづく麦畑は青々として、収穫まではまだ間があって、おだやかな初夏の風に吹かれてそよめいている。


 その先の森、さらにその先の高い山々が景色の奥まで伸び、背景の青空はどこまでも続いている。


 なにもないのではない。この馭者は、このすばらしい景色を見飽きてしまったのだろう。


 青年はそう思いながらいった。


「のどかでいいね」

「へへっ、退屈なだけですよ。若い連中は、みーんな王都に行きたがりやがる。馬車こいつで何度送ったかわかりゃしねぇ。だから、このあたりは年寄りばっかでねぇ。楽しみなんて酒とイモ料理くらいですよ」


 馭者は酒のビンに口をつけた。


 ふと、この馭者にも子はいるのだろうかと青年は思った。


 王都に子をとられた中年男の寂しさが、この男をおしゃべりにさせているのではないか。あるいは、今手にしている酒が口を軽くしているのか。はたまた、俺の素性を知りたいのか……。


 なんにせよ、なにか話したい気分なのだろう。


 青年は馭者に気をつかっていった。


「へぇ、そいつは楽しみだ」

「なにもねぇっていってるでしょ? おたく、変わってるねぇ……おっと!」


 急に馬車がひどく揺れだし、そこでいったん会話が途切れた。


 青年はふり落とされまいと『あおり』につかまった。今にも転げそうなタルを慌てて手で止め、木箱を足で止める。


 青年は曲芸師にでもなった気分だ。


「へへへ、うまいねぇ」

「そりゃどうも……」


 ここにいたるまでにそういう芸にも慣れて、青年はさほど苦にはしていない。街道の途中からここまで乗せてもらった恩もあって、そういう役割でもないのに、青年は自然にそういう役割を担っていた。


 ようやく道がなだらかになった。


「ところで、おたく、もしかして剣士様かい?」

「ご覧のとおり剣は持っていないが?」

「いいや、隠してもムダさ」


 青年は内心ドキッとしながらも苦笑いを浮かべた。


「隠しちゃいないけど、どうしてそう思うんだい?」


 すると馭者は、フフンと得意げな顔をした。


「さっきチラッと見えたんだが、手にがあるからねぇ。昔、この村に流れてきた剣士様が、おんなじ剣ダコをこさえていたもんで、そうなんじゃねぇかって。——おたく、そうとうだろ? どうなんです?」


 いかにも見抜いているぞという感じでいうので、青年は可笑しそうに笑って自分の両手を見た。


 手にはたしかにタコがある。ただ、これは剣でできたタコではない。


 青年はひそかに安心しながら口を開く。


「いいや、王都で石工いしくをやっていてね。こいつはノミのタコさ」

「石工ねぇ……この村にはらん仕事でさぁ。そうなりゃ、この村でなにをする気だい?」

「今は物書きなんだ。こっちにしばらく住んで…‥まあ、気ままに、そのうちなにか思いついたら書こうと思ってね」

「ふぅん……石工よりも食えない仕事になりそうだね、そいつは」

「そうなのかい?」

「そうさ。このあたりじゃ読み書きできるような賢いやつぁいませんぜ? 食えない仕事はやめといたほうがいい。行きづまって強盗に押し入っても、手に持ってんのがペンじゃ、捕まって皮をはがれて紙にされちまいますぜ?」


 青年は思わずふっと笑い「違いない」といった。


「ねぐらのほかに、なにか食える仕事も探さないとなぁ……」


 そうして、青年はおだやかな表情を浮かべたまま、また遠くの景色をながめながら、これからのことを思った。


 青年はどちらかというと神経質なほうだが、おおらかなふりをしていた。


 些末さまつなことを気にしても仕方がない。


 のどかな村でおだやかに暮らすには、彼らのような粗雑そざつな口ぶりにも早く慣れておく必要がある。


 長くとどまるならなおさらだ。無口な元王都人より、多少はおしゃべりなほうが、いなかでは好かれるだろう——そんなことを思っていると、


「ま、だったら道具屋のマーゴのところに連れて行きますよ」


 馭者が気をきかせるようにいった。


「マーゴさん?」

「このあたりじゃ知らないやつはいねぇってぐらいの顔ききよ。なにせ村に一軒だけの道具屋でね。飲んだくれの村長さんに話すよか、道具屋のマーゴに相談しろってぇんで、ここに住むならいっぺんあいさつに寄って気に入られたらいいんじゃないかって思ってねぇ」


 青年は、マーゴという人物のことを、村の小姑こじゅうとのような人なのだろうかと思った。


 だったら、気に入られておいて損はない。


「そいつは助かる」

「ただ、村長さんへのあいさつもしといたほうがいいですぜ?」

「そのつもりだ。こっちに住むならね」

「おたく、すみかは?」

「いいや、まだ決まってないんだ」


 馭者はつくづくあきれたように「はぁ」と口に出した。


「あんた、そうとうな変わりもんだなぁ……」

「物書ってやつはたいがいがそうさ。ところで、そのマーゴさんのところに、紙とインクは置いているかな?」

「あんた、学がありそうなのになぁんも知らねぇんだな?」


 馭者はあきれながらふっと笑った。


「そんな高級品、このあたりには置いちゃいねぇですよ。ま、手に入れたきゃ、今来た道を三日三晩かけて戻ってデカい町に行くか、イチかバチかで行商人が持ってくるかに賭けねぇと」

「なるほど……。それは面白い賭けになりそうだ」




 二人を乗せた馬車は、ちょうど村の中心ともいえる広場に着いた。


 王都とは違って看板が出ていない店が多くある。野菜を置いている店は青果店、肉を置いている店は肉屋といったところで、店先に出ている品物がその店の名前を指すのだろう。


 識字率の低さでいえば、たしかに王都よりは悪い。物書きでは食えないだろうし、石工を求めている金持ちもいないだろう。


 それにしても、なんてのどかな村なのだろうか。


 道行く人の顔もにこやかで、若者がいないことを除けば、住みやすい場所なのかもしれない。


 青年は荷馬車からおりると、馭者にお礼をいい、「少ないが」といいながら金をいくらか渡した。


 馭者は喜んで受けとると、さらに気をよくしたのか、「まいどあり」と商人のように冗談っぽくいった。


「じゃ、マーゴの道具屋はこの先だから、俺のこともよろしく伝えておいてくだせぇ。——あ、そうそう、俺はハンス。おたくさんは?」


 青年は微笑をたたえながら、照れくさそうに鼻の頭をかいた。




「——エクトルだ」

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