第3話

 修学旅行の帰り道、鬱蒼とした森の中に輪郭の曖昧な洋館が映った。ホラー映画鑑賞という共通の趣味を有する二人と同伴となったので、そのシルエットに惹かれるがまま最後の思い出作りに向かった。真夏の夕方にも関わらず館の周囲は黒幕が降りたように薄暗く、初めは軽やかだった足取りも烏や蝙蝠の威嚇に怯む。途中で引き返そうとは提案するが、足跡さえ残らない草叢からの脱出は果たせなかった。放浪する内にいつの間にか仲間とは逸れ、空から熱量が奪われた瞬間、自分にとっての世界は消滅した。

 こうして手繰り寄せる記憶はあくまで仮想の御伽噺、身体を持ち上げてもそれが視覚的に証明されることは無い。暫く座って誰かが助けに来るのを待った。外からは気性の荒い風が樹木を殴る音が聴こえ、往路で確かめた通り豊かな自然と市内からの隔絶を想起させる。詩人であればこの状況に韻律を添えるかもしれないが、特に興味の無い自分は淡白に己の恐怖と向き合う。ここに来てからどのくらい経ったか、不思議と食欲や睡眠欲に駆られる気配は無いが無意味に瞼を重くする義務には疲れ始めた頃だった。

 意を決して触れる机の上には一つの箱と一つの塊が存在した。その後の知らせによればこれは宝石に該当し、どうやら残りの宝石を見つけ出さねばならないらしい。ここで諦める人生も一つの道だが、折角ならもう少し足掻いてみようと探索の道を選んだ。


 恐る恐る判然としない方向へ足を伸ばす。踏み出した靴先からもカーペットの愛は感じられず、無味乾燥なコンクリートが地平に広がる。泳がせる手は浮き輪も無いまま空中を漂い、開始地点に戻れなったらどうしよう、そもそも戻る必要は生まれるのかと疑心暗鬼に囚われる。監視下では笑い者となる姿勢を客観視しながら、三十歩弱歩いた辺りで壁にぶつかった。壁の存在に最大限の感謝を捧げ、吹き曝しでないことが分かったは良いが相変わらず窓や扉の手掛かりは無い。掴み所の無い命綱を頼って周囲の形を確かめる。そのまま同程度の距離を歩いた所で再び壁と出会わした。教室の隅のような安堵感を堪能した後、直角に曲がりまた進むと倍近く歩いた先に三つ目の壁を発見した。

 そうしてぐるりと回る内にこの建物は立方体に近似される質素な造りであり、中央に佇む机以外の内装は一切無いことに気付いた。建材の打継目と思われる隙間以外の触り心地に変化は無く、一体何の為の部屋なのか、貸倉庫のような空間に産み落とされた自分の行く末を占う。見落としは無いかと無作為に歩き回ろうと机を初対面と勘違いする他無い。

 それでも無意味に歩き続ける。立ち止まろうと解決には至らず、餓死する前にここから出なくてはならない。風邪を引いた際の悪夢のような意識朦朧に陥る中で、思い出の登場人物が胸を掻き立てる。心配性のお母さん、初めて出来た好きな男子、何よりずっと一緒に遊んできた仲間達。視えないはずの顔が見えて萎れた睫毛に涙が伝う。哀れな少女を慰めるように真っ黒な雨が降り始め、一枚の壁を隔てた雨滴が何処までも遠く響き出す。

 牢獄の中で一ヵ月は経ったような気がした。仮想と現実の乖離は三半規管を狂わし、この身体は倒立した気さえするし腕を捥がれた気分にもなれた。やがて精神衛生の劣化は頂点に達し、上か下かも分からない方向に向かって吐いた。胃液が主体であると思われた吐瀉物の中には一つの塊が浮上し、汚濁を除いて比べてみれば紛うこと無き宝石であることが分かった。アタシはやっと二つ目を見つけることが出来た。

 その瞬間、不意に外壁の崩れる音が聴こえた。気配のする方へ向かうと平面に欠損が生じ、継ぎ目だと思われた境界を軸に取っ手の無い扉が開いていた。これはゲームから離脱する好機かと思い部屋を出れば、湿った空気と手応えのある砂利道が現実感を取り戻す。それに加えて通路の先から仲間達の声が聴こえる気がした。導かれるかのように別棟の一室に入ると、全く知らない少女の高笑いが最期に迎えた。



「……アハハハハハハハハ!全く仲良しな奴ら。この状況で一堂に会するなんてね」

 雨の穿つ夜、何やら足取りの覚束ない三人があたしの自室に舞い込んでくる。一人は潰れた蟲らしく、一人は薄黒い血を流し、一人は吐瀉物に塗れながら付近を歩いて笑劇を魅せる。

「佐々木、こいつらはちゃんと宝石を持っている?」背後を守る黒服は各々の両手に二つの塊を確認し、合計六個の「宝石」が無事に見つかったことを示す。あたしの声に驚いた盲人達は蜥蜴のように辺りを見回し、肢を震わせ壁を求める。これらの描写はあたしの視界に由来するものではなく、我が家の執事である佐々木の通訳を介して得られる世界像だ。

 つまりあたしもこいつらと同じ盲人であり、眼窩を埋める義眼は佐々木の容姿でさえ十分に伝えない。家の構造は晴眼者だった時代の記憶から大方把握されるが、何が起こるか分からないからと過保護な執事の介抱を受ける。あたしが眼球を奪われたのは小学生の頃、親が金持ちというだけで同級生の僻みを買ったあたしは日常的に虐められ、靴の隠蔽や宿題の破棄を始めとする被害を受けていた。当時の回想は神経症を悪化させるのでこの程度に留めるが、エスカレートした暴力の果てにあたしの眼窩は刳り貫かれ、視界を失った娘に佐々木が手を差し伸べたことは覚えている。それまでも我が家に何人かの執事や給仕が居たのは間違い無いが、佐々木の登場以後は解雇されたのかしんと姿を消し、あたしの唯一の遊び相手が彼となった。

「結局今回もダメでしたね」淡々と述べる佐々木は徘徊少女の手元から宝石を奪い取り、ハンカチで軽く拭いた後硝子瓶に入れて保存する。奪われた眼球は戻らない、ならば新しい眼球を探そうとあたし達は定期的に屋敷に近寄る人間から眼球を奪い取る。ただ抉るだけでは詰まらないので今に見せたような宝探しを演出し、その過程には世間に対する報復と義眼の在庫確保も兼ねる。しかし皆悉く指示に従順に動くものだから、人間の意志の力は光と凡そ不可分であることが伺える。あたしも他人事ではないけど。

「同年代だから期待したんだけど」今回の三対はどれもあたしの体質には合わなかった。やはり自分の穴は自分で埋めるしかないのか。しかし憎らしい同級生から未来を奪えただけでも気持ちが良い。

「私がミザエお嬢様の光となります」そう言う彼の顔をあたしはきちんと視たことが無い。失明前に会っていたのかどうかさえ分からない。この宝探しも彼の提案に端を発し、何故あたしの為にそこまで尽くせるのか、今どんな表情であたしを見詰めているのか、いつか改めて聞いてみたいと思う。そんな訳で三匹の抜け殻を殺したら、次回の獲物が直ぐ近くに見つかったと佐々木から通訳が入った。

 ……あぁお前か。さっきからジロジロと視線を感じたけど、気付いていないとでも思った?

「じゃあ次はこいつの番」

「……畏まりました、ミザエお嬢様」

 佐々木は蝙蝠のように笑って刃物を振り下ろした。

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