5 罪作りな人
大学での試合当日の日。
僕は固い決意とともに、若竹先輩と勝負した。
渾身のスライスサーブを打つ。サービスエースだった。
若竹先輩からの力強いサービスも、全力でリターンエースでポイントを取った。
おかげで6-0で勝てた。復讐めいたことが出来た。良かった。
他の先輩達からも試合を頼まれたので、そちらは気楽に楽しんだ。ただ、石田先輩という先輩は強すぎて、歯が立たなかった。
試合を楽しんでから帰る間際、先輩達から声をかけられた。
「また来てね!」
「今度は、ゲーム取るからな!」
「是非、初心者も見てやって欲しいなあ」
月乃さんからも、来てくれてありがとうと言われた。
「いいえ、こちらこそいい練習になりました。……若竹先輩に勝てて、良かったです」
「若竹くんに勝てて? 若竹くんが試合を申し込んだから?」
「まあ……そんなところです。では、また」
月乃さんは前から思っているように、天然。鈍感。
いつになったら僕のことを好きって言ってくれるかな。一応、婚約者だけどさ。
♦ ♦ ♦
バレンタインになった。
今年も月乃さんがチョコレートをくれるというので、自宅へ招いた。
折よく両親はいない。兄だってバレンタインだから、女の子とデートしてくるだろう。兄はすごく女好きで、髪や顔の手入れも怠らない。
月乃さんが来てくれたので、リビングで話していると、玄関が開いた音がした。
「ただいまー。あー、今年も大量……って征士、そっちの女の子、誰?」
「兄さん! 失礼だよ」
まさか兄が帰宅するとは思わなかった。折角月乃さんと二人きりだったのに。
「お邪魔しています。虹川月乃と申します」
「あ、あー……。月乃さんですね。いつもお話は征士からかねがね。俺は征士の兄の聖士です。近くの高校の二年生です」
僕はいつだって、家族に月乃さんが素敵だ、好きだと話している。
優しい月乃さんは、兄にもチョコレートを手渡した。
「あの……。余計だとは思うんですけど、お土産のチョコレートです。後、紅茶の茶葉の詰め合わせなんですけど、良かったら」
「え、俺にもチョコレートを? ありがとうございます。もしかして手作りですか?」
「はい、一応」
兄に一番に手渡すなんてずるい。僕が一番に手作りチョコをもらいたかった。兄はチョコレートを美味しいと言った。当たり前だ。月乃さんの手作りなんだから。
「褒めていただいて、ありがとうございます」
「月乃さんってお菓子作り上手なんですねー。髪もすごく長くて綺麗ですね。征士にはもったいない。俺に乗り換えません?」
「兄さん!」
この女好きめ! 万が一婚約者の座を奪ったとしたら、一生恨んでやる。
僕は早々に月乃さんを自室へ誘った。僕が今日もらった大量のチョコレートは納戸に隠してある。何で皆、僕にチョコレートをくれるんだろう。僕のこと格好良い、綺麗な顔、優しいって褒めてくれる。優しくしているのは月乃さんを見習ったからだし、特に女の子には優しくしろって言われているからだけどさ。
部屋に入ると、僕は月乃さんへチョコレートをねだった。トリュフチョコだ。渡してくれたチョコレートごと、手を触ってみた。
「月乃さんの手、つやつや……。温かい」
本当に滑らかな手。炊事をしているようには思えない。僕はうっとりして、手をさすった。チョコが溶けても、触り続けたい。
「え、ちょ、ちょっと……」
月乃さんが戸惑っている。そのとき不意に、兄が部屋へ入ってきた。僕は名残惜しく、月乃さんの手を離した。
「月乃さんが持って来てくれた紅茶淹れたんだけど……。もしかしてお邪魔だった?」
邪魔に決まっている。空気を読め。
「いえ、チョコレートを渡していただけで……。あ、そうだ、これご両親にもどうぞ」
月乃さんは家族分、チョコレートを作ってきたようだ。兄は受け取ると、僕に意地悪そうな視線を投げかけた。
「ああ、そうそう。何故か納戸にチョコレートがたくさん詰め込まれていたぞ。俺のより多いんじゃないか?」
「え? ……ああ……征士くんの分」
月乃さんはそれを聞いて、深く頷いた。兄は余計なことばかりする。何で納戸を見る必要があるのか。月乃さんに何か勘違いされたらどうしよう。
「そんなにチョコレートが多いなら、来年は私はおせんべいとかの方がいいかしら。同じものばかりなんて、飽きちゃうわよね」
月乃さんの唐突な発言に、僕と兄はすっかり驚いてしまった。バレンタインに、他の女の子からならともかく、月乃さんからおせんべいなんて悲しすぎる。
「いえいえ、来年からもずっと、僕はチョコがいいです!」
「そうですよ。本命からおせんべいなんて、何て男心が報われない……」
必死でチョコがいいとお願いした。月乃さんは不服そうだ。でも、本命の月乃さんからおせんべいなんて、僕は泣いてしまいそうになるだろう。
罪作りな月乃さんは、天然で鈍感だ。
♦ ♦ ♦
五月のある夜。月乃さんのテニスサークルの、千葉弥生先輩から電話がかかってきた。話によると、月乃さんの誕生祝いに飲んでいた挙句、月乃さんが酔い潰れたらしい。僕は急いで居酒屋へ迎えに行って、月乃さんをおぶって外に出た。
「征士くん~、私重くない?」
「軽いですよ。平気です」
「えへへー。背中大きくなったわね。最初会ったときも格好良いと思ったけど、どんどんもっと格好良くなっている……」
酔っぱらった月乃さんは、僕なんかを褒めてくれる。
「征士くんの汗のにおい、良いにおい。テニスしているときみたい。征士くんがテニスをしている姿は、とびきり格好良くて、何だか色っぽい~」
「…………」
「あ、すごく優しいところあるわよね~。一年のときから、色々気を遣ってくれるし、お願いしたらサークルに来てくれるし。こうしてお迎えも来てくれるし」
僕のことを褒めすぎだ。何て答えればいいかわからない。それに周囲に優しくしているのは、月乃さんを見習ってのことだ。
僕は、月乃さんの方が優しいと言った。それからタクシーに乗った。
「僕の肩にもたれていて、いいですよ」
そう言うと、月乃さんは素直に僕にもたれかかってきた。
「兄の言う通り、綺麗な髪ですね……」
月乃さんが酔っているのに乗じて髪を触る。指で梳いてみた。
「ありがとう……」
「指通りもいいですね。色白だから、お姫様みたいですね」
「……それは、褒めすぎ~」
ついでに思い切って頬も触ってみた。すべすべだ。特に何も言われなかった。
「本当ですよ? 可愛い」
酔っていて素直な月乃さんは可愛い。髪や頬を触っても、なされるがままだ。
「そういえば、月乃さんの誕生日って五月なんですね。僕、知らなくて……。二十歳、おめでとうございます」
「そう言われるのが嫌だったから、教えなかったのよ。また、歳が離れちゃうでしょ」
「ええ? 僕はお祝いしたいです。今度、どこか月乃さんの好きなところに行きましょう」
五月生まれなんて知らなかった。節目の二十歳はお祝いしたい。
「……水族館で、あしかショーが観たい」
「いいですね、水族館。折角だから、大きいところに行きましょうね」
「うん……」
前に貸した漫画が面白かったと言った通り、動物が好きなようだ。月乃さんは更に僕の身体に強く、もたれかかってきた。
「月乃さん?」
「…………」
「……眠っちゃったんですか?」
僕はもう一度月乃さんの髪を触った。後、再び頬にも触れた。つやつや、すべすべで離れがたく、ずっと触り続けてしまった。
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