第一章 船を導く黄金の鳥①

「──何をしているのかね、祓魔師エクソシストシモン」

 天使もねむ青馬の二刻午前二時。この家の主である司祭が、しんしつとびらを開けたまま固まっていた。引きったみが真っ赤に染まっているのは、かたわらで燃えるだんだけではあるまい。

 司祭の視線はベッドで四つんいになってズボンをくつろげたオレと、その下でやわはださらして眠る、司祭が囲ってる愛人のねーちゃんにくぎづけだ。

 オレはほおに付いた真っ赤なキスマークをぬぐい、司祭の目を真っすぐえて言った。

あくばらいです、司祭さま」

「ふざけんなクソガキャァァアアア─────!!」

 司祭が暖炉から火掻き棒を引きいたと同時に、オレは回れ右して背後の窓をぶち破り外に飛び出した。くだけたまどわく硝子ガラスけて地面に転がり、くつろげたズボンがずり落ちないよう押さえながら真夜中の街を半ケツで全力しつそう

「衛兵、衛兵ー! あの男を捕まえろー!」

「は!? マジか!」

 後ろから火掻き棒をり回しながら追ってきた司祭の声に反応して、近くをじゆんかいしていた衛兵の足音がいくつも聞こえだす。

 あちこちの路地から衛兵が合流し始め、いつの間にか火掻き棒を構えた司祭を先頭に十名近い衛兵が集まってオレの半ケツを追っている。

「ったく、ろうにケツ追われてもうれしくねっつの!」

 そんな事をぼやきながら走るうちに、街を囲うじようへきが目の前にせまっていた。立ち止まれば後ろから来た衛兵に囲まれてたい。いや、その前に火掻き棒が頭に振ってくるにちがいない。

 当然どっちもめんなオレは、走りながらいのりの言葉を唱える。

「【星女神エツラよ。我が身に力を宿したまえ】」

 使用したのは、【身体強化】の『せき』。ろうが消え、全身に力がみなぎる。オレは走って来た勢いそのまま、強化されたきやくりよく

うそだろ!? 壁を走ってる!?」

「ま、まさか悪魔なのか!?」

 ──は? だれが悪魔だ。

 下から聞こえる衛兵たちのきようがくどうようを背に壁を登り切ったオレは、ズボンをきちんと穿いてから、めいな誤解をていせいすべく城壁の頂上でさけんだ。

「オレが悪魔だと!? バカ言ってんじゃねーぞ! 地上に生まれて十八年、星女神エツラに仕えて早十三年! げんえきバリバリ絶賛売り出し中! すごうで祓魔師エクソシストのシモン様だっての!!」

「やかましいわ婦女暴行犯が!!」

 衛兵たちの前に立つ司祭が火掻き棒を振り上げてった。おう血管キレるぞ?

「やっだなあ司祭様。オレはあの女性に、悪魔祓いをしてただけですよ」

『頼まれて』を強調して言えば、司祭がぐきを剥き出しにしてうなる。せいれんさを求められる聖職者が愛人を囲ってますなんて公言は出来ないからな。

 だがそうとは知らない衛兵たちは、司祭から犯罪者よばわりされたオレに険しい顔を向けている。

 このまま何も言わずに逃げれば指名手配犯にされかねない。オレは無罪を主張すべく、ことさら大きくせきばらいをして、城壁の下に居る司祭と衛兵たちへ声を張った。

「そもそも、悪魔とはいかなるものか。ごろより聖典に親しむ司祭様を始めとして、この国のたみで知らぬ者はいないでしょう」

 はるか昔。天の国を治める星女神エツラに反発した明星の化身が、星女神エツラに代わって支配者になろうと、天使の一部を率いて反旗をひるがえした。

 激怒した星女神エツラは、反逆者たちをその拠点ごと結界でおおって天の国から切りはなし、誰もいない海の果てへととしてしまう。

 反逆者たちは神罰として、星女神エツラ由来の聖なる力を受け付けない『悪魔』と呼ばれる異形に姿を変えられた。二度と天の国へのぼれなくなった彼らは、行き場のないいかりとにくしみを、星女神エツラしんこうする人間へと向ける。

 星女神エツラの結界に閉じ込められた悪魔は、悪魔にされたことで手に入れた魔の力──『魔術』を使って人間を苛め始めた。

 夢を通じて人間に取りいたり、人間に魔術を教えて自分を召喚させたり。オレが赤ん坊の頃には悪魔の軍勢が聖地を襲い、聖女を連れ去ったこともあるらしく──現在に至るまで、ありとあらゆる方法で人間たちを苦しめ続けている。

「悪魔たちはいにしえより人間たちをまどわせてけいやくを結び、死後のたましいうばっておのれかてにせんとしますが、彼らが特に目を付けるのは、心に不満や不安、きようかかえた人間です」

 肉体的・精神的に追いめられ、何もかもを信じられなくなった人間は、悪魔のゆうわくを受けやすい。生きる事にともなうあらゆる苦難と困難にえ切れず、何でもいいから自分にやさしく都合よく接してくれる存在にすがりたくなる心理に、悪魔はつけ込んで来るのだ。

「そうした悪魔たちを退けるために日夜ふんとうする祓魔師エクソシストであるオレは、この街に住む一人の女性から相談を受けました」

 左手をこしに当てながら、右手の人差し指を立てオレは続ける。

「さる高貴なお方のちようあいを得たその女性は、衣食住に満ち足りた暮らしをしていましたが、ただ一つ! 彼女の生活に欠けていたものがありました」

 そう言ってオレは胸の前でハートの形を作った。

「そう、愛! 彼女を囲った高貴なお方は、ぼうゆえに女性のもとを訪ねる事がなかった。女性はその方を愛しているがゆえ、会えない日々に不満をつのらせておりました。愛されているのか不安でたまらず、いつしかきられて捨てられてしまうのではないかと日々おそれていたのです!」

 おおぎようり手振りを交えつつ、オレは朗々と言葉をつむぐ。

「そこでこの祓魔師エクソシストシモン! 悪魔に惑わされるがいを未然に防がんと、高貴なお方がご不在の間に乙女おとめどくなぐさめていたのです! その過程でたがいに心を通じ合わせ深い仲になったことは、彼女が孤独に打ちつ糧となり、自らの意思で悪魔を退ける一助となるでしょう! そう! オレと彼女が愛し合っていたのは悪魔祓いのいつかんに過ぎず、断じて婦女暴行などという乱暴ろうぜきではありません!」

 こぶしを天にき上げながら、オレは高らかに宣言した。

すなわち──オレは無罪ですっ!」

「不法しんにゆうと不義密通を『悪魔祓い』ですなこのばちたりが!!」

 火き棒を振りかざして司祭が叫ぶのと同時に、衛兵たちもいつせいにオレをとうし始めた。

「要するに間男じゃねえか!」

に悪魔祓いする祓魔師エクソシストに謝れ!」

 ──チッ、言いくるめられなかったか。

 気づけば城壁を警備していた衛兵たちが、やりを手にオレの左右を囲んでいる。不法侵入は財産ぼつしゆう、不義密通はアソコを切り落とされるんだったか? じようだんじゃねえ。

「では司祭様! 明日あしたからはこいびとさびしがらせないように気を付ける事ですな!」

 オレは捨て台詞ぜりふきながらきびすを返し、城壁から助走をつけて飛び降りた。

「【星女神エツラよ! 我が身に力を宿し給え!】」

 空中で【身体強化】の秘跡を発動し、五点接地でしようげきを殺しながら地面に着地。城壁の上で何やら叫んでいる兵士たちを置き去りに、オレは真夜中のかいどうを全力疾走で駆け抜けた。


    ● ● ●


「ヤッベー……荷物と金、全部あっちに置いて来ちまった……」

 真夜中の街道のど真ん中、オレはほうに暮れていた。【身体強化】の秘跡を使って駆け抜けた道を未練たらしく振り返れば、城壁はすでに遥か向こう。仮に今からもどったとしても、司祭の家への不法侵入と不義密通で衛兵にらえられるだけだ。

「まあ、最低限の装備とヘソクリはあるけどよ」

 オレはためいきを吐きながら道のはしに座り込み、手持ちの装備をかくにんする。

 フード付きのこしたけポンチョの下にはかわの胸当てに黒いシャツ。それと色々な武器を下げておくホルスターを付けているものの、かんじんの武器類は司祭の愛人のねーちゃんとアレコレするにはじやだったので、まっていた教会に置いてきてしまった。

 ゆいいつ何があっても外さない腰のベルトの両側には、星女神エツラの加護を受けた金属である『せいぎん』で作られたりようたんけんが一振りずつ。後ろ側にはとうてき用の太いくぎあくばらい用のせいすいびんや傷薬などが入ったポーチ。ゆったりとしたズボンのポケットにはクシャクシャのハンカチだけ。

 最後に鉄板を仕込んだくつぎ、なかきの下から数枚のこうを取り出す。

 両足で銀貨八枚に銅貨十六枚。合わせて八百十六デールが全財産。街でえや野営用の装備をそろえたら、あっという間になくなる額だ。

 オレは無情な現実にかたを落とし、真っ暗な道の先をぼんやりとながめる。

 ──こう、都合よく商人の馬車がとうぞくとかにおそわれたりしてねえかな?

 盗賊が賞金首であればなお可。美人なむすめさんが同乗していればだいかんげい。謝礼として商人のしきに泊めてもらい、夜には娘さんとンムフフフ……。

「なーんて都合のいいことあるわけねえんだよなあ、これが」

 この辺りで盗賊の被害があるなんて話は聞かなかったし、そもそもこんな真夜中に女子どもを連れた商人が移動をするはずもなし。もし居たとしても、商売に失敗したか貴族の不興を買ったかでげ中とかいうたぐいなので謝礼は期待できそうもない。

「しょうがねえ。次の街まで、もうひとっ走り……」

 そう言って腰を上げた時だった。

 ジリ、と首筋の裏がしびれるような感覚。そして──。

「キャー! だれか、誰か助けてぇー!」

 遠くから若い女の悲鳴、そして複数の足音がこちらに向かってきた。

 ──マジかよ星女神エツラぁ……!

 あまりにもせき的な出会いに、オレは歯をき出しにして笑う。

星女神エツラよ、お導きに感謝します──っしゃオラ金ヅルぅ!」

 フードを深くかぶったオレは、悲鳴が聞こえた方へと迷いなくけだした。

「【星女神エツラよ! 我が身に力を宿したまえ!】」

 走りながら【身体強化】の秘跡を発動。真っ暗な街道の先を強化された視力で見通せば、土でよごれた白いドレスのすそって走る美女の後ろから、小さなかげが三つ追いすがっている。

「キィッ、キィッ、キッキッキ!」

 小悪魔インプだ。最下位の悪魔で、大きさは人間の子どもほど。毛のないつるりとした頭からは二本の曲がった角が生え、細い手足に下腹だけがポコリと出た不格好な身体をしている。三体の小悪魔インプかぎの付いた細いをしならせながら、みみざわりなかんだかい声を上げて美女のすぐ後ろにせまっていた。

 オレはベルトの後ろから投擲用の釘を三本つかみ、いのりの言葉を唱える。

「【星女神エツラよ! 我が武器に退魔の力をさずけ給え!】」

【武器強化】の秘跡。鉄製の黒い釘を、あわい白銀の光が包む。オレは釘を持った左手を後ろにかくしたまま、強化したきやくりよく小悪魔インプたちとのきよを一息に詰めた。やみの中からもうスピードで駆けて来たオレにおどろいた白いドレスの女が立ち止まり、追ってきた小悪魔インプたちもオレに気づく。オレは構わず加速して、彼女の鼻先で真上にんだ。眼下に並んだ無防備な三つの頭をけて、白銀に光る釘を投げ放つ。

「「ギギギィイイイイ!!」」

 頭に釘が突きさった二体の小悪魔インプは、星女神エツラの加護に肉体をかされ、断末魔のさけびを上げながらむらさきいろみを地面に残す。残り一体は右肩に命中し、みぎうでの付け根から下を失った。

 きようがく、痛み、いかり、殺意。せきわん小悪魔インプが紫色に血走ったを空に向けた時、オレはすでに腰からき放った二本の星銀の短剣を手に、両腕を身体の前で交差させている。

 見上げることでさらされた小悪魔インプの首筋へ、ちゆうちよなく両腕をり抜いた。

 白銀のせきえがき、首の真ん中を横切ったのと同時に、小悪魔インプの後ろに着地。いつぱくおくれて、角の生えた紫の頭がボトリと地に落ち、どうたいもまた紫の血を首の断面からき上げながらくずれ落ちた。

 立ち上がって振り返れば、小悪魔インプの死体があった場所には紫色の染みと、子どもの拳ほどのつやのない黒い石。

 悪魔のたましいこごったけつしよう──しようを、投げた釘といつしよに回収。これは教会に持っていけば悪魔のとうばつ証明としてかんきんできるのだ。小悪魔インプであれば一体あたり八百から千二百デール。この大きさなら合わせて三千デールはかたい。思わぬ臨時収入にフードの下でニヤケ顔が止まらなかった。

「あ、あの……ありがとうございます」

 道の真ん中で立ちすくんでいた白いドレスの女が、恐る恐るオレに声をけてくる。

「ああ、もうだいじようですよ。災難でしたね」

「え、ええ。あなたがいなかったら、いまごろどうなっていたか」

 フードを被ったまま返事をしたオレに、女ははにかんだみをかべて言う。

「その、もしよかったら、何かお礼がしたいのですが……」

「ほう、ほうほう。では一つお願いが」

 身体の前で指先をもじもじと合わせながら、うるんだ目でオレを見上げる女に、オレはニッコリと笑って。

「とっとと、そのねーちゃんから出てけやクソ悪魔が」

 腰のポーチから取り出した星水を女の頭からぶっ掛けた。

「ヒッ、ギイアア゛ア゛ア゛!!」

 星水の降りかかった場所を押さえ、女はけ反りながらだみごえで悲鳴を上げる。れたはだけむりを上げ、指のすきからのぞひとみは紫色に血走っていた。

「ったく。死者の正装フユーネラルドレスで出歩いてんじゃねえよ、マヌケ」

 女が着ていた白いドレスは、故人が星女神エツラもとおもむくためのしよう。こんなものを着て真夜中に出歩くのは、死体に取りあやつる悪魔──屍魔アンデツドくらいなものだ。

 オレは二本の短剣をまとめて左手に持ち、右手にめていたぶくろを口でくわえて外す。

 あらわになった右手のこうには、星女神エツラのシンボルであるしちぼうせいもんしようと、それを取り囲む退魔の言葉。

「【理にそむく者よ、去れ! 我が手はなんじを退けん! 汝、おのれの悪を知り、善なる者にへいふくせよ!】」

 オレが手の甲を向けて退魔の言葉を唱えれば、女の死体はガクガクとけいれんし、うつせにたおれた。その口からは屍魔アンデツドの本体である紫色のねばつく液体があふれ、地面の上をって逃げようとする。すかさずもう一本星水の小瓶を取り出し、地を這う屍魔アンデツドに乱暴に振りかければ、紫のねんえきは白い煙を上げて融け、親指の先ほどの小さい魔晶だけが残った。

 オレは魔晶を拾い上げ、地面に倒れた遺体のとなりひざまずく。

「悪いな、ねーちゃん。【とむらい】の秘跡は教会でなきゃり行えねえ。朝までには街に着くから、もうちょっとだけまんしてくれ」

 オレは遺体をがいとうで包んで肩にかつぎ、【身体強化】の秘跡を使って再び街へと走り出した。


    ● ● ●


「ありがとうございます、祓魔師エクソシストシモン殿どの。これで故人も安らかなねむりにつけることでしょう」

「とんでもありません。当然の事をしたまでですから」

 星女神エツラを筆頭とした天の神々をあがめるソフィア教国の国教・七星教の教会。その一室で、オレは老いた女司祭と向き合っていた。

 昨晩の戦いの後。悪魔が取り憑いていた女性の遺体をかかえて【身体強化】で夜通しかいどうを駆け抜け、朝日が半分ほど顔を出した頃、どうにか街にとうちやくした。

 星女神エツラに仕える聖職者のあかしである、右手の甲の七芒星の紋章を見せて門番に事情を説明。衛兵に案内してもらった教会でかくにんしたところ、やはりこの街でくなった女性だったらしく、遺体はそのまま遺族へとへんかん。現在はあわただしくそうの準備が進んでおり、どうにか明日には弔うことが出来るだろう。

「あちらの女性は昨夜おそくに亡くなられたのですが、【弔い】の秘跡を準備している間にご遺体が消えてしまいまして……おずかしい話です」

 老女司祭が頭を下げようとしたのを制して、オレは質問した。

「こうしたことは、今までにありましたか」

「いいえ。このような事はぜんだいもんです」

 やわらかな口調ながらハッキリと否定した老女司祭だが、ややあって、恐る恐ると言った風に口を開く。

「やはり一か月前の、『悪魔の島デイア=ボラス』での異変がかかわっているのでしょうか……?」

 悪魔の島デイア=ボラス。かつて星女神エツラに反逆した元天使──悪魔が住む、海の果ての島。

 一か月前、その島でこれまでにない天変地異が起こったと、かんしていた聖堂からソフィア教国中の聖堂および教会へとれんらくが入った。

 いわく、島からは数え切れないほどの悪魔たちが現れ、周囲には黄金のほのおが吹きあがった。空からは紫色のかみなりが何度も島に落ち、海は三日三晩れに荒れたそうだ。

 さらに島から現れたあくたちが人間の住む大陸へとわたったとの報告もあり、その日を境に各地で悪魔によるがいが急増。

 そこでソフィア教国の星都サン=エッラにある教皇庁は、オレを始めとした祓魔師エクソシストや、教国各地の守護に当たっている聖を動員し、悪魔への対処と悪魔の島デイア=ボラスにて発生した異常の原因究明に乗り出したが──いまだ、具体的な成果を上げられていない。

「ハッキリしたことは言えませんが、無関係とは考えられないかと」

 オレのあいまいな回答に、老女司祭はしんみようおもちでうつむいた。なんともいたたまれない空気をふつしよくするためにオレは話題を変える。

「それで司祭様。少しばかりお願いしたい事があるのですが」

「はい、なんでございましょう」

「色々あって、旅の荷物をあらかたくしてしまいまして。恥ずかしながら、宿を取るだけの路銀もない状態なのです。きゆうしやすみなどで構わないので、どうか二、三日ほどこちらに身を置かせていただけないでしょうか」

 申し訳なさそうな表情でそう言えば、老女司祭は快く宿しゆくはくを許可してくれた。

【身体強化】をしていたとは言え、流石さすがに悪魔と戦ってからてつで走ればつかれる。パンとスープだけの質素な朝食をもらった後、案内された部屋でひと眠りして昼前に目を覚ました。

 そして道中倒した小悪魔インプ屍魔アンデツドの魔晶の代金、合わせて三千八百デール──多分、口止めもねて色が付いている──を受け取り、あくばらいに使った星水もじゆう。老女司祭から雑貨店と古着店、武器店の場所を聞いて、オレは暖かくなったふところにニヤつきながら街へとり出した。



「……兄ちゃん、一人でこれ全部買うのか?」

「これでもしぼった方だぜ。どれも良い品だったからな」

 雑貨店と古着店で野営の道具とえを買い終え、ちんはらって教会へ届けてもらった後、教えてもらった武器店で装備をそろえた。

 カウンターに並べた武器の数に、店主のおっちゃんがげんな顔をする。

 わたり八十センチほどの山刀マチエツト、小ぶりだが厚刃のけんなたとうてきにも使える手斧トマホークかぎ付きのロープに、連射可能なボウガンと矢とマガジン……めて二千八百デールなり

「そりゃうれしいが……お前さん、ようへいかなんかなのかい?」

「似たようなもんかな。人間相手じゃないけど」

 オレが手袋をめくって七芒星の紋章を見せれば、おっちゃんが目をいた。

祓魔師エクソシストか! いや若いのに大したもんだな」

「それほどでもある」

「いやいやけんそん……しねえのかよ!」

 ひとしきりまんざいを楽しんだ後、おっちゃんが神妙な顔で切り出す。

「って事はよお、兄ちゃん……アレ、持ってんのかい?」

「そりゃそうさ。悪魔祓いのひつじゆ品だしな」

 オレは腰のベルトからさやごと短剣を取り外し、おっちゃんの前にかかげた。

「おお! そいつが、星女神エツラに祝福された星銀の武器……!」

「おっと。タダって訳にはいかねえなあ」

 手をばしかけたおっちゃんから寸前で短剣を遠ざける。ムッとした顔のおっちゃんにニッコリ笑いかけて、カウンターに置いた武器を指さした。

「悪魔相手だと武器のしようもうが早くってさあ。星銀の見物料ってことでちょっと負けてくれねえ?」

「んだよ、聖職者だってのに現金なろうだなあ……二千五百」

「おいおいおいおい、たった三百? 安く見られたもんだなあ。二千」

「そもそも値切りの材料にしてんじゃねえよ、ばちたりだろうが。二千三百」

「やっだな~。星女神エツラの祝福を間近でじっくり見れる機会を提供する布教活動だよ~。二千二百」

「まったく、口の回るガキだな。しょうがねえ、二千二百だ」

「聖職者は頭と口回してなんぼだよ。ほい、どーぞ」

 こうしよう成立。オレは金といつしよに星銀の短剣をおっちゃんに渡す。オレがそれぞれの武器をホルスターに装着するとなりで、おっちゃんは星銀の短剣を鞘からしんちよういていた。

「ハァー……美しいもんだなあ……」

 オパールにも似たにじいろの不規則なきらめきが閉じ込められた星銀は、星女神エツラが住む天の国から落ちてきた星の欠片かけらを、銀と合わせて加工したものだ。星銀はすべて星都サン=エッラの大聖堂で管理され、加工技術も門外不出。いつぱん人の目にれる事なんてそうそうない。

「はーい、時間切れだぜー」

 おっちゃんが短剣に見とれている間に、オレは武器の装備を終えていた。

 ホルスターの背中に山刀マチエツトこしの後ろに手斧トマホークひだりわきの下に剣鉈。

 腰のベルトの後ろ側にはひとまとめにした鉤付きロープをるし、連射式ボウガンは外套の上から背負い、矢をそうてんしたマガジンはベルトで太ももにくくりつけている。

「いやはや、堂に入ってんな」

「まあな。仲間内からは『百器』のシモンなんて呼ばれてるよ」

 おっちゃんから星銀の短剣を受け取り、腰に差し直す。

「ところでおっちゃん、最近この街で変わった事とかある?」

 オレがそう投げかければ、おっちゃんはカウンターから身を乗り出した。

「それがよ……行きつけの酒場に最近妙なやつが入りびたるようになってな」

「妙な奴?」

ぎんゆう詩人なんだが、とにかく顔がれいで歌が上手うまいんだ。静かにめるいい酒場だったんだが、おかげで毎日満員おんれいになっちまったよ」

「酒場にとっちゃ有りがたい話じゃねえか」

「そうなんだけどよ」

 おっちゃんは一段声を落としてささやいた。

「悪魔ってのは美男美女ってのが相場じゃねえか?」

ちげえねえや」

 悪魔は人間をまどわせけいやくし、めつに導き死後のたましいうばう。用心深い人間を油断させるために、美男美女に変身したり取りいたりする事は多い。

 そしてたくみな話術や芸を用いて人の心に取り入る例も数知れず。歌を使う悪魔で言えば、美しい姿と歌声で船乗りをりようする歌人魚セイレーンがいい例だ。

「もうすぐ昼飯時だからな。今から行けば、けるんじゃねえか?」

「そうかい。あんがとよ」

 おっちゃんから酒場の場所を聞いたオレは、新調した武器をひっさげうわさの詩人に会いに行く事にした。

 ──それが、オレの運命を大きく変えるとも知らずに。


    ● ● ●


「え、ヤバ」

 武器店のおっちゃんに教えてもらった酒場には、とんでもない人だかりが出来ていた。

 こぢんまりとした二階建ての店の前にすきなく並ぶ分厚いひとがきが、道路にまであふれ出し両隣の建物を呑み込みかけている。ひとみの足元で、所在なさそうにうろつくはとがポポーと鳴いた。

 ──コレもうはんじようとか言う域じゃないぞオイ……。

 あきれと感心を交えつつ、オレはうまの隙間をって酒場に足をみ入れた。

「はーい! ブルのベリーソースがけととりの塩焼きご注文の二名様ー! はいぜんするひまないから自分で持って行ってー!」

 店内はまさに満員御礼。テーブルはすべてまり、そこからあぶれた客は椅子いすだけ持ってきて飯を食っているか、かべにもたれて立ち食い。料理を作っている若いねーちゃんが出来上がった料理をカウンターに並べ、呼ばれた客がそれらを持って行く。

 ざっと見回したが、どうもねーちゃん以外の従業員はいないらしい。武器店のおっちゃんいわく『静かに呑める酒場』らしいから、だんはねーちゃん一人で切り盛りしてるんだろう。

 さて、店に入った以上は何かたのもうと、カウンターに近づいた時だった。

 カラーン、カラーン、──……とんだかねの音が六回。教会が鳴らす刻告げの鐘が、白馬の六刻午前十二時しらせたのと同時に、さわがしかった酒場が一気に静かになる。

「は? 何?」

 とつぜんの事態にこんわくしていると、二階でキィ、ととびらが開く音。

 ゆっくりと階段を降りてくる人物を、かたを呑んで見守る酒場の客たちにつられて、オレも階段に目を向ける。

 現れたのは、つばの広いぼうぶかかぶった若い男だった。

 白のシャツとズボンの上からあさいろのチュニック、足元はかわのブーツという、どこにでもある質素なよそおい。

 オレより少し上背があるものの、きやしや身体からだつきとふんに、どことなく幼さが残る。としはよくわからないが、ひょっとすると年下かもしれない。

 ──アイツが噂の、吟遊詩人か。

 階段を降りきった吟遊詩人は、片方の手に椅子、もう片方の手に木のたてごとかかえて酒場を見回し、口元にみをかべる。

「こんにちは。今日もにぎわってますね」

 せいれつな小川のせせらぎにも似た、とうめいで少しかすれたはかなげな声。吟遊詩人なだけあって、なるほど魅力的な声だった。

 吟遊詩人がその場から足を踏み出すと、前に居た客たちがいつせいに道を開ける。詩人はゆうゆうと開けられた道を歩き、酒場の中央に椅子を置いて座った。

みなさん、朝のお仕事おつかれ様でした。この歌が、赤馬の刻午後からも働く皆さんのなぐさめになれば幸いです」

 前口上をさっさと切り上げた詩人は、抱えていた竪琴をひざに置き、ゆっくり、深く、息をいていく。

 いきづかい一つ聞こえない完全なちんもくの中で、詩人の指が竪琴の上をなぞったしゆんかん

「イ゛っ──!?」


 オレの首筋の裏にするどい痛みが走ったかと思うと──


「は、えっ……はあっ!?」

 ちがいでも何でもない。吟遊詩人の男が竪琴をき始めたたんに、酒場のゆかが一面の草原と化した。

 突然起こった規格外の現象に、左手で首の後ろを押さえたまま、腰に差した星銀のたんけんに右手をばしかける。

 その間にも前奏は進み、酒場の景色はドンドン変わっていく。

 竪琴の音色に合わせてしげった木々が酒場の壁をおおくし、床からは清い泉がき、小鳥のさえずりと共に風が木の葉を巻き上げる。

 いつの間にか客の姿は消え、オレと吟遊詩人だけが豊かな森の真ん中に泉をはさんでたたずんでいた。

 前奏が終わり、歌が始まる。


「♪西の楽園の森の奥 泉のせいれいの名を『めぐみのリュエル』」


 魂が吸い込まれるような歌声だった。男とも女とも違う中性的な歌声が、竪琴の調べとけ合って、耳だけじゃなく全身をふるわせてくる。

「♪いにしえより寄りわれらの恵み あまねく命に寄り添うリュエルの恵み」

 詩人が歌っているのは、『精霊歌』と呼ばれる種類の曲だ。星女神エツラが世界に人間をつくる前から地上に暮らしていたという『精霊』を主役にした曲のそうしよう。ソフィア教国の成立前から各地で歌われてきた曲で、その土地の成り立ちや地名のいわれを歌いいできた。

 地方の教会では子どもたちと歴史の勉強をする時にいつしよに歌うので、自分が生まれた地の曲を覚えている人間は多い。

 ──でも、今はそんな事はどうでもいい。

「♪恵みはめぐる 草木に 花に リュエルは恵む 鳥に 獣に」

 詩人の歌に合わせて、泉から水の身体を持った美しい乙女おとめが現れる。乙女が両手ですくった泉の水を地面へ注げば、草原が見る間に色とりどりの花畑へと変わった。鳥や獣が泉の周りにつどい、思い思いにくつろいでいる。

「♪空もまた巡る 雲から雨へ 風もまた巡る 雨からあらしへ」

 竪琴がおんな調べをかなでるにつれて、晴れわたる青空を雲が覆い、雨が降り始めた。鳥も獣も森の奥へとげ、乙女もいつの間にか姿を消している。かみなりとどろき、風がきすさぶ。泉もすっかりにごりきってしまった。

「♪あらぶる嵐が来ようとも 泉がどろに濁ろうとも 我らの恵みは共にあり リュエルこそは我らの友なり」

 嵐の中、詩人は高らかに歌う。どんな苦難がおとずれようと、精霊の恵みは共にあると。

 そして激しいせんりつが不意におだやかな調べに変わり、詩人のくちびるささやくように歌をつむぐ。

「♪嵐は去り 雨はみ 雲は晴れ 光はすべてを照らし出す 草木を 花を 鳥を 獣を」

 静かな歌声がじよじよに力強いものへと変わっていく。竪琴の音はいくにも重なり合い、嵐をいた生き物たちの喜びが五感をき抜けて伝わってくる。

 そして雲の切れ間から一条の光が泉に向かって差し込むと、光の中から泉の乙女が再び姿を現した。

「♪西の楽園の森の奥 泉の精霊の名を『恵みのリュエル』 古より寄り添う我らの恵み 遍く命に寄り添うリュエルの恵み」

 歌の最初に聴いた旋律が、歌の最後に再び奏でられ、曲が終わる。

 シン、と静まり返った森の中で、オレと詩人の男だけが無言で向き合って──。

 パン、パン、とびようが聞こえ、オレはハッと我に返った。

 気づけば森は消え、オレは満員の酒場のカウンター前に立っている。

 聞こえてきたのは手拍子じゃない。はくしゆだ。酒場中の客と、外にめかけた野次馬からのかんせいが店内をらす。料理人のねーちゃんもぼうなみだを流しながらしみない拍手を送っていた。

 鳴りやまぬかつさいの中、詩人の男が立ち上がって帽子を取る。

 まるで神話の世界からそのまま出て来たかのような男が、そこに居た。

 いろつややかな巻き毛。少し長めのまえがみの下には同じ色の細いまゆ。長いまつ毛にふちどられた、秘境の湖より澄みわたるりよくせいひとみ

 大きすぎも小さすぎもしない真っすぐな鼻とうすももいろの唇が、丸みのある中性的なりんかくのまさにここしかないという位置に収まり、シミ一つない、今まで見たどの女よりもなめらかな白絹のはだがその調和を一層引き立てていた。

 詩人の男の帽子に向けて大量の銅貨が投げ入れられる中、武器店のおっちゃんの言葉が頭をよぎる。

あくってのは美男美女ってのが相場じゃねえか?』

「……ハハ、ちげえねえや」

 オレは首筋の痛みのいんを感じながら確信する。

 ──あの演奏は、悪魔由来の力だ。



 演奏が終わり、大量のを一通り受け取ったぎんゆう詩人の男が二階へ去っていくと、客たちはサッサと飯をかき込んで続々と店から出て行った。

 あっという間にだれもいなくなった店内には、料理人のねーちゃんとオレだけ。

 オレはカウンターに座ってねーちゃんに話しかける。

「まだ作れるモンある?」

「あら、見ない顔ね。後で皿洗い手伝ってくれるなら、まかないタダで食べさせてあげる」

「じゃあそれで」

 賄い飯を作ってくれている合間に、オレはねーちゃんにさきほどの詩人についてさぐりを入れてみる。

「それにしてもスッゲー演奏だったね、さっきの人」

「ああ、オルフェ? ホントびっくりよ! 一昨日おとといフラッと現れて、『店先で一曲かせてくれ』ってたのまれてね?」

 おそらく注文をさばくのにいそがしすぎて誰にもしやべれなかったのであろう。ねーちゃんは手を動かしながらも、ここぞとばかりに吟遊詩人──オルフェについて話しまくる。

「それで弾かせてみたら、お客さんが見た事ないくらい入って来て! もーてんやわんやよ! で、まる所探してるって聞いたから、ウチの二階に泊めてるのよ」

「え、だいじようなの? 見た感じ、一人で切り盛りしてるんだろ?」

だんが死ぬまでは宿だったからね。部屋は余ってんのさ。それに、あれだけかせげるやつが、ぬすみを働くとも思わないね」

 ねーちゃん──未亡人に『ちゃん』はねえな──もといねえさんは切った野菜と肉、調味料をフライパンに放って手早くいためていく。

 悪魔がゆうわくしたり、悪夢を見せて不安にしたりして取りこうとしている場合、精神にかんしようされるえいきようで、じようちよが不安定になる。

 そのためきよくたんこうの感情は一つの目安になるのだが、見た感じ姐さんが詩人オルフエじような好意を向けていたり、逆に不気味がる様子もなし。

 ──もう少しみ込んで聞いてみるか。

「確かに、あの演奏ならどこでもやっていけるわな。オレなんてみたいだったし」

「あはは、そうねー。もうとりはだ立っちゃうわよ。あたしもオルフェが曲弾くときだけは、思わず手が止まっちゃうのよねー」

 姐さんは事もなげにそう言って、炒め物を皿に盛り、スープとパンを添えてオレにわたした。

 オルフェの曲によって引き起こされたげんは、どうも姐さんにはえなかったようだ。ほかの客の話を聞いていないため確信はないが、もしかすると幻視アレが視えたのはオレだけの可能性もある。

 ──だとしたら、あの幻視は意図的に視せてるものじゃない?

 塩のいた炒め物を口にしながら、オレは首の後ろをさする。痛みの余韻は、もうない。

 そう言えば酒場に近づいても、姿を見ても、首の裏の痛みは感じなかった。

 演奏が悪魔の力由来なのは確定。しかし──オルフェ本人は、果たして悪魔なのか?

「難しい顔してどうしたの? 口に合わなかった?」

「いやいや、めっちゃ美味うまいよ。ちょっと考え事してたんだ。あれだけのうでがあるのに、なんで吟遊詩人なんかやってんのかなーって」

「ああ。なんでも、星都サン=エッラに行きたいらしいわよ」

「星都に?」

「死んだ母親の故郷で、そこに行くための路銀を稼いでるんですって」

 オレは適当なあいづちを打ちながら、食事に集中するフリをして考える。

 詩人オルフェがやって来たのは一昨日。同じ空間でまりする姐さんは特に悪魔の影響下にある兆候はなし。武器店のおっちゃんや他の客たちも、何かに取りかれたりりようされているような顔ではなかった。あの幻視をともなう演奏がてきなものでないなのか、あるいは演奏をいて日が浅いからかは、今のところ判断できない。

 目的地は星都。死んだ母親の故郷とのことだが、しんは不明。

 ──んー、今ある情報だけじゃ判断つかねえな。

 オレは手早く飯を食べ終えて、姐さんに声をける。

「ねえねえ、ちょっと頼みがあんだけどさ」

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