第一章 天才薬師のヴァイオレット②

 ややひんやりとした唇はシュヴァリエの状態の悪さを表しているようだ。

 ヴァイオレットは、シュヴァリエに薬を口移しで飲ませることに意識を注いだ。

(あっ、少しずつ飲み込んでいるわね)

 ごくんと小さな音を立て、のどを上下させるシュヴァリエにヴァイオレットはあんする。

 周りの貴族から「れんな!」やら「キャー!」やら「しりがる女でもあったのか貴様!」なんてうるさい声が聞こえてくるが、今は知ったことではなかった。

 おそらくダッサムが言ったのだろう、「尻軽女でも──」という台詞せりふにはじやつかんいらちはしたけれど。

「……んっ、これで全部飲んだわね……」

 自身の口内にあった薬はすべて無くなり、シュヴァリエはえんを終えた様子だ。

 できるだけ早く薬が効いてほしい。そんな思いでヴァイオレットはシュヴァリエを注意深く見ていると、彼が口を開いた。

「……っ、ヴァイオレット、じょう?」

 っすらと目を開けて、さきほどとはまるで違うおだやかな表情を見せたシュヴァリエに、ヴァイオレットはグイと顔を近づけた。

「シュヴァリエこうてい陛下! お加減はいかがですか!? 息苦しさや胸の痛み、けんたい感などはありませんか!?」

「ああ。楽に、なった……」

「それは良かったです……! 皇帝陛下を危険な目にわせてしまったこと、なんとおびすれば良いか……大変申し訳ございませんでした……! 本当に、ご無事で良かっ──って、あら? 少しお顔が赤いようですが、まさか、私が知らない薬の副反応でも……」

 不安げなヴァイオレットの言葉に、シュヴァリエはすぐさま答えた。

「……薬がどうこうではない。本当に体調には問題ないからだいじようだ」

「そうですか……? それなら良いのですが」

 シュヴァリエの顔がいまだに赤いので心配だったものの、とりあえず大丈夫そうなら良かった。

 ……そう、安堵したヴァイオレットだったが、今なお近いシュヴァリエの顔をしっかりと見たことで、ほおにぶわりと熱が集まった。

(そうだわ、私、人命救助のためとはいえ、さっきシュヴァリエ皇帝陛下と、キッ……キスを……!!)

 口移しをしている時はかくてき冷静だったというのに、シュヴァリエの無事がかくにんできたたん、ヴァイオレットの内心は先程のキス(口移し)で頭がいつぱいになった。

 シュヴァリエは、上半身を起こすと、「ご無事で良かったです」と安堵した表情の従者に「心配をかけてすまなかった」と謝罪している。

 周りの貴族たちもシュヴァリエの無事を確認したためか、はくしゆしてかんしており、さすがにこの空気には乗らなければまずいと思ったのか、ダッサムもマナカと共に手をたたいていた。調子が良いという言葉にきるわけだが、今のヴァイオレットにはそんなことを思うゆうはなかった。

「──ヴァイオレットじよう

「ひゃ、ひゃいっ!!」

 とつぜんシュヴァリエに呼ばれ、ヴァイオレットはおおなくらいにかたらす。

 先に立ち上がったシュヴァリエが「ほら」と手を差し出してくれたので、その手をつかんで立ち上がったものの、羞恥から彼の顔を直視することは中々に難しかった。

(友好国の皇帝陛下と目を合わせないだなんて失礼にあたいするかもしれないけれど……ううっ)

 それでも、きさき教育をほどこされてきたヴァイオレットは、自身の感情よりも他者との友好関係や、国益を優先しなければいけないとのうに刷り込まれている。

 だから、必死に羞恥を胸の奥に押し込んで、ややうるんだ瞳でシュヴァリエと目を合わせる。

 すると、彼がゆっくりと片膝を床についた。

 そして、シュヴァリエはヴァイオレットをしんけんな瞳で見つめた。

「ヴァイオレット嬢」

「は、はい」

(あ、あら? そういえば皇帝陛下は、全くどうようしていないわね)

 シュヴァリエが遊び人だといううわさは耳にしたことがない。むしろ、二十五歳にしてまだ妻をめとらず、仕事がこいびととの噂があるほどだ。

 もしその噂がうそで、彼が本当は遊び人だったとしても、こんなに大勢の前でキス(口移し)をしたとなれば、少しくらいは動揺が表情や声に表れるのではないか。

(あっ、分かったわ! もしかしたら、口移しで薬を飲ませた時だけ意識がもうろうとしていて、キスをしたことに気付いていないのかもしれない……!)

 そうだとしたら、シュヴァリエの態度にも説明がつく。

 おそらく後で事のてんまつの説明はすることになるだろうが、今はとりあえずこの場を乗り切ることが先決だ。

 ヴァイオレットはそう考えた結果、心に落ち着きを取りもどしたというのに、それはあっけなくな努力に終わった。

たおれてからずっと貴女あなたはげましてくれていたことも、ばやく薬を手配してくれたことも、それを……口移しで飲ませてくれたことも、全て覚えている」

「えっ」

 そう言って、シュヴァリエはヴァイオレットの手のこうに、そっと口付けてから、再び口を開いた。

「俺は貴女のおかげで死なずに済んだ。ありがとう、貴女は俺の女神だ」

「~~っ」

 穏やかながおで見上げてくるシュヴァリエに、ヴァイオレットはとつに声を出すことができなかった。

 女神だと言われたことへのずかしさや、手の甲へのキスに先程の口移しをまた思い出したから、そして──。

「シュヴァリエ皇帝陛下は、魔力酔いの最中のこと、全てを覚えていらっしゃるのですか……っ!?」

「……ああ、はっきりと。貴女がご容赦をと言いながら、口移しで薬を飲ませてくれた時のくちびるの温度まで、正確に覚えている」

「~~っ!?」

「そこでだ。命を助けてもらったばかりで、こんなことを言うのはなんなんだが──」

 そこでだ、ではない。キスの話をり広げたいわけではないけれど、そんなにさらっと終われる話でもないはずだ。

(いや待って! 私はどうしたいの……!? もう訳が分からない! とりあえずげ出したい……っ)

 ヴァイオレットはまどいながらも、シュヴァリエに対して反射的に「なんでしょう!?」と答える。

 すると、シュヴァリエののどぼとけいつしゆん大きく縦に揺れ、直後、彼は穏やかさの中に真剣さが混じった瞳でヴァイオレットを見つめた。

「ヴァイオレット・ダンズライトこうしやく令嬢。これまでの次期王太子候補としてのいやにわたるづかい、しゆわんそうめいさはもちろんのこと、くすとしての能力の高さ、口移しをしてでも俺を助けようとするゆうかんさとやさしさ、貴女には非がないのに、すぐさま国の代表として謝罪をする責任感の強さ──いや、貴女の全てに俺はこころかれた」

「えっ……あの……」

「先程貴女はそこにいるダッサム・ハイアール殿でんこんやくを解消すると話していたな。その婚約解消の手続きが済みだい、貴女さえ良ければ、俺の妻になってくれないだろうか」

「つ、ま……?」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る