第一章 天才薬師のヴァイオレット①

 ヴァイオレットは二十年前、ダンズライトこうしやく家の長女として生を受けた。

 幼い頃から学ぶことが大好きであり、家庭教師もマナーの講師も皆、彼女のゆうしゆうさには舌を巻いたものだ。

『お前にえんだんが来ている。お相手は第一王子のダッサム・ハイアール殿でんだ』

 公爵令嬢であり、そんな優秀なヴァイオレットに王族からの縁談がい込むのは、なんらおかしな話ではなかった。

 しかし、その縁談を受けたのが不幸の始まりだったのだ。

 優秀なだけでなく、責任感が人一倍強かったヴァイオレットは、ダッサムの婚約者になってからというもの、ひんぱんに王城へ出向き、妃教育を受けるようになった。いつぱん的な貴族令嬢とは比べ物にならないほどの知識や教養を要するため、妃教育は大変だったが、頭の回転の速さや元々の知識量、たゆまぬ努力から、それほどつまずくことなく学びは進んだ、のだが。

『ダッサム殿下、いつしよにお勉強をしませんか? 良ければ私がお教えいたします』

 問題は婚約者──自身の二つ年下のダッサムが、あまりにも勉強ができず、それをまずいと思っていないことだった。

 それでも、その原因がマイペースな性格であるとか、勉強は得意でなくても武術やけんじゆつにかなりすぐれていて、そちらに力をいている、ということならば良かったのだけれど。

『おい女……公爵令嬢の貴様ごときが私に勉強を教えるだと!? 私のことを誰だと思っている! 次期国王となる高貴な人間なんだぞ!? 謝罪しろ!!』

『は、い……?』

 能力は高くないのに、プライドと地位だけは立派なダッサム。

 自身が何者よりも尊いと信じ、他者へのいたわりの気持ちを持たない彼は、人の上に立つべき人間ではない。

 ダッサムと会って半年ほどで、ヴァイオレットはそう確信したが、それでも彼を支えるのは自分の使命なのだと思うようにした。

 現国王ときさきからは、ダッサムのことを正しい道へと導いてやって欲しいと無茶りをされたが、責任感の強いヴァイオレットはそれも受け入れた。

 ダッサムには根気よく付き合っていくしかない、足りない部分は自分が補えるようにがんれば良いのだ。たとえ一生愛されなくとも、彼のことを愛せなくとも、パートナーとしてたみのため、国のために頑張りたい。

 ダッサムとマナカが愛し合おうと、それをひそかに育むのならば、自分がまんして、これまで通り頑張れば良いのだと思っていた、というのに。



 招待客たちがあわてふためくとう会会場は、かなりの混乱におちいっていた。

みなさま落ち着いてください! シュヴァリエ皇帝陛下の従者の方はいらっしゃいますか!?」

 マナカが聖女の力を発動した瞬間、とつぜんたおれたシュヴァリエ。そんな彼に駆け寄ったヴァイオレットは、慌てた様子の貴族たちを落ち着かせる。そして、シュヴァリエの状態をばやく観察した。

(呼吸が浅くて苦しそう……じっとりとあせをかいていて、胸を押さえている。考えられるのは持病が悪化したか、突然のほつ……? あっ、もしかして……)

 直後、「私です!」と言って駆け寄ってきた彼の従者らしき白髪の男に、ハッとしたヴァイオレットは、彼に問いかけた。

「シュヴァリエ皇帝陛下は魔力持ちですか?」

「は、はい! その通りです!」

「やっぱり……それならこのしようじようは、マナカ様の魔法のえいきようを受けた魔力酔いと考えてちがいないわね」

 この世界では、かれこれ数百年前に魔法が使える者はいなくなった。

 そのため、マナカのような魔法が使える異世界人が貴重とされる。

 しかしときおり、魔法は使えないが、魔力を有した者が生まれることがある。所謂いわゆる魔力持ちだ。

 ハイアール国には、現在魔力持ちはいないが、隣国のリーガルていこくは過去に魔法大国だったからか、人口の一パーセント程度が魔力持ちであることを、ヴァイオレットは知っていた。

(魔力持ちの者は、他者の魔力にかんしようされる──つまり他者に魔法をかけられると、自身の魔力が乱れて魔力酔いを起こす……。異世界から転移してきた聖女しか魔法は使えないし、我が国には魔力持ちはいないから、実際の魔力酔いを見るのは初めてだわ)

 呼吸困難や胸の苦しみから始まり、最終的には死に至る、それが魔力酔いだとぶんけんで読んだことがある。

 昔は魔法を使えた者が多く存在したのだが、彼らは魔法を使用するたびに魔力回路にげきが加わっていたため、他者の魔法を受けても魔力酔いは起こらなかったのだという。

 勤勉なヴァイオレットは魔力酔いについてもくわしく、突然倒れた彼の症状と、タイミングからして、おそらくシュヴァリエは魔力酔いに間違いないのだろうと推察した。

さつきゆうに処置しなければ、皇帝陛下のお命が危ない……!)

「おい! 皇帝陛下はどうなされたのだ! 答えんかヴァイオレット! まさかお前が毒でも盛ったのか!?」

 だというのに、もだえ苦しむシュヴァリエを労るわけでもなく、おうちのままでたわごとかすダッサム。

 王族教育をまともに受けていれば、魔力持ちや魔力酔いのことは当然知っているはずなのに、このじようきようが理解できないダッサムに、ヴァイオレットはいかりを覚えた。

「今は殿下の相手をしているひまはありませんわ! この状況で皇帝陛下が魔力酔いであることも分からないようなら引っ込んでいてくださいませ! じやです!」

「なっ!? 王子の私に邪魔だと!? 不敬だぞ貴様!」

 不敬もなにも、人の命がかっている時に鹿なことを言うダッサムが悪いのだ。

 ヴァイオレットは内心そう開き直ってダッサムを無視すると、うめき声を上げるシュヴァリエに顔を近付けた。

「意識はありますか、皇帝陛下……!」

「うっ……あ、ぐっ……ヴァイ……オレット、じょ、う」

 あおひとみっすらとのぞかせ、額に黒いまえがみを張り付かせているシュヴァリエは、だんたんせいな顔立ちの中に、弱々しさとほんの少しの色気をふくんでいる。

 何度かこういったパーティーで顔を合わせたことがあるヴァイオレットの名前をきちんと言えるほどなのだ。どうやら意識はしっかりとあるらしい。

 ヴァイオレットは少しだけあんすると、言葉を続けた。

「陛下は今、我が国の聖女、マナカのほうにより魔力酔いを起こされています! このままではお命が危ないため、私が処置を行いますこと、お許しください……!」

「……っ、あ、あぁ……」

 シュヴァリエの意識がなければ、彼の従者に一言入れるつもりだったが、本人の意識があるなら彼に許可を取るのが一番だ。

 ヴァイオレットは、失礼いたしますと言ってシュヴァリエの頭を自身のひざの上に乗せて彼が呼吸しやすいよう体勢を整えると、すぐさま自身の従者に声をけた。

「今すぐこうしやく家の馬車内にある薬箱を持ってきなさい! 急いで……!」

「はいっ!!」

 会場がざわつき、背後からはダッサムのとうする声、マナカのどうようした声が聞こえる。

 この会場にいるほとんどの者が、シュヴァリエの体になにが起こっているのか分かってはいないだろうから、それは当然だろう。

 けれど、ヴァイオレットは違う。常におだやかなみを向けながら、必ず助けますからと、シュヴァリエにはげましの言葉をかけ続けていた。

「ヴァイオレット様! 薬箱を持って参りました!」

「ありがとう……! 助かったわ!」

 ヴァイオレットは従者から薬箱を受け取ると、それを開いて目的の薬を取り出す。

「シュヴァリエこうてい陛下、今から私が開発した、魔力酔い止めの薬を飲んでいただきます」

 しんの通った声で言葉をつむいだのは、ヴァイオレット・ダンズライト。

 彼女がダッサムのこんやく者に選ばれたのは、公爵家のむすめで勉学に優れていたからだけではない。

「国家くすの資格を持っていますので、調合技術にはけていると自負しています。魔力酔いについての文献も読み込みましたから、効果はあるかと思います。安全性の検証はクリアしていますので……そのあたりはご安心いただいてだいじようです」

 ハイアール王国では、他国のついずいを許さないほどに薬学が発展している。

 そんな我が国で一番取るのが難しいとされている──薬の調合、処方まで自由に行うことができる、それが国家薬師の資格だ。

 妃教育でぼうながら、最年少で最難関の国家薬師の資格を取得したヴァイオレットのことを、多くの者はこう言う。

「──たぐいまれなる調合技術と知識をあわせ持つ、天才薬師」

 とうめいな液体が入ったびんを手に持ったヴァイオレットを見ながら、シュヴァリエの従者もそうポツリとつぶやいた。

 ヴァイオレットが薬を自ら作ることに興味を持ち始めたのは、きさき教育が始まったのとほぼ同時期だ。

 これと言って大きな出来事があったわけではないけれど、体の弱い母が薬師に処方してもらった薬を飲むことで、少しだけ元気に過ごせる様子を毎日見ていたからだろうか。

 薬師のおかげで母と共に散歩ができたり、弟と共に母に本を読んでもらえたり、両親がなかむつまじく笑っていたり、そんな他愛たわいもない日常をあたえてくれた薬師に、ヴァイオレットは感謝し、あこがれた。

 いつか自分が作った薬で、母をもっと楽にしてあげたい、元気にしてあげたい。

 たのもしい父、穏やかな母に、可愛かわいい弟。愛してやまない家族の幸せのために、ヴァイオレットは妃教育で多忙な中でも、国家薬師になるための勉強や努力をし続けてきたのだ。

「シュヴァリエ皇帝陛下、これを飲めば魔力酔いは治まるはずです。少し苦いですが、飲めますでしょうか……?」

「……っ」

 そして国家薬師になったヴァイオレットは、今はもう国一番の薬師と名高い。

 貴族れいじようの彼女はいつぱん的な国家薬師よりも薬をあつかう時間は短いものの、立場的に他国の有力者と会うことが多かった。そのため、他国でしか取れない薬草や、薬の材料となるとくしゆな生き物などの情報に強く、それらを扱って次々に新たな薬を開発していた。

 現に、今手に持っているりよく酔い止め薬も、以前にパーティーでシュヴァリエと話した際に、新しい薬草が見つかったと教えてもらい、そして買い取り、それを使用して調合している。

 そもそも、魔力酔い止め薬を作ろうと思った経緯いきさつにも、シュヴァリエがかかわっている。

 というのも、魔力持ちが存在する帝国のおさである彼は、なにかの折に国民が魔力酔いのきようさらされないか不安視していたのだ。

 それを聞いたヴァイオレットは、自身の調合技術がもしかしたら役に立てるかもしれないと、魔力酔い止め薬の開発を始めたのである。

 それに、将来ハイアール王国のおうになる立場として、魔力酔い止め薬を作っておけば、何かあった際に役立つかもしれない。

 そんな思いから、ヴァイオレットは魔力酔いの症状が書かれた文献を参考にして作り上げたのだ。

(早く、シュヴァリエ皇帝陛下をお助けしなければ)

 ヴァイオレットは、薬の瓶のふたをしゅぽんっと開けると、飲み口をシュヴァリエの口へと近付け、かたむけていった。

「シュヴァリエ皇帝陛下。お口を開けていただいてもよろし──」

「ぐっ……がッ……」

「皇帝陛下?」

 しかし、シュヴァリエの口の中に薬が入っていくことはなかった。

 しようじようが悪化してきたらしいシュヴァリエが、より一層悶え苦しみだし、くちびるみしめるようにして顔をゆがめているからである。

「皇帝陛下! おつらいのは分かりますが、このお薬だけどうにか飲むことはできませんか……!」

「<外字><外字>っ……ゔッ……!」

 相当辛いのか、顔を真っ青にしているシュヴァリエの口元からあごにかけて、ツゥ……と薬が伝っていく。

(……この様子では、無理かもしれないわね)

 意識はあるように見えるが、あまりの苦しさにこちらの声が届いていないように思う。

 おそらくこの状態のシュヴァリエの口に薬を注いでもき出してしまうのがオチだろう。

「どうしよう……どうしたら……っ、このお方を助けられる……?」

 なやむヴァイオレットに、手を貸すものは彼女の従者と、シュヴァリエの従者くらいだ。

 彼らはヴァイオレットに「なにかできることはあるか」とたずね、二人のかたわらに寄りっている。

 反対に、ダッサムとマナカを含むほかの貴族たちはみなきよを空けており、遠目からヴァイオレットたちの様子をうかがうだけだ。

 というのも、シュヴァリエは、大国、リーガルていこくの皇帝だ。

 その命を救ったとなれば功績も大きいだろう。しかし、その反面、もしもシュヴァリエを助けることに手を貸して、彼を助けられなかったら。

 そのことをリーガル帝国に問題にされることがあれば、彼を助けるために手を貸した人間が罪を背負う可能性があると考えたにちがいない。

「……っ、薬を飲ませなければ助けられない……。けれど、このままの状態では皇帝陛下本人の力だけで飲むことは難しい……今、私がこのお方にできることは……」

 協力してくれる従者たちはいれど、決定権は自分にある。

 今、シュヴァリエの命をにぎっているのは間違いなく自身であることを自覚しているヴァイオレットの額には、つぶ状のあせにじんだ。

「……! そうだわ……! これなら……!」

 その時、必死に頭を回転させたヴァイオレットにはとある考えがかぶ。

「なにか良い考えがあるのですか?」と食い入るような視線で見つめてくるシュヴァリエの従者に、ヴァイオレットは問いかけた。

貴方あなたけつこんはしているの?」

「え? はい」

 その返答を聞いてからは、自身の従者を見て、「貴方も……結婚していたわね……」と呟くヴァイオレット。

 ぽかんとしている従者たちから、再びシュヴァリエへと視線を移す。

「……シュヴァリエ皇帝陛下には悪いけれど、ご夫人を傷付けるのはいけないものね……」

「「ご夫人?」」

 声がかぶる従者たち。ヴァイオレットはそんな彼らにいちべつをくれてから、かくを決めた強いひとみでシュヴァリエを見つめる。

「シュヴァリエ皇帝陛下……! 後でなんなりと裁きは受けますから、ごようしやを……!」

 ややしゆうはらこわいろでそう言ったヴァイオレットは、いつたんひざの上の彼の頭をゆかに下ろし、自身が手に持っている魔力い止め薬を勢いよく口にふくむと、そのままシュヴァリエの唇に、自身の唇を重ね合わせた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る