序章 求婚は接吻から

「シュヴァリエこうてい陛下……! 後でなんなりと裁きは受けますから、ごようしやを……!」

 ヴァイオレットの人生で初めてのキスは、未来の夫の命を救うための、ムードの欠片かけらもない苦いものだった。



「ヴァイオレット・ダンズライト! 今この時をもって、貴様とのこんやくする! 理由なら言わずとも分かるだろう?」

 ハイアール王国の王太子である、ダッサム・ハイアールがしゆさいするとう会の会場。そこで、やや高い声でダッサムに婚約破棄宣言を告げられたヴァイオレットだったが、大きくどうようすることはなかった。

 ヴァイオレットより少しだけ高い身長のダッサムは、サラサラとしたプラチナブロンドのまえがみき上げた。その後ろには、貴族たちのこんわくした様子が見えた。

 きらびやかなシャンデリアの下。はなやかなドレスを着た女性たちの一部はせんを開くとみをかくし、男性たちの数人はくつくつとのどを鳴らした。

 ほとんどの舞踏会参加者は「そんな鹿な……」とぽつぽつとこぼしながらヴァイオレットに同情の目を向けるが、その中でもさいを放っているのがダッサムのとなりにいるれんな少女だ。

「ダッサム様……っ」

 いとおしそうにダッサムの名前を呼んだのが、この大陸には生まれない黒髪に黒目の童顔な少女──マナカである。

 百年に一度、異世界から転移してくると言われるキセキの存在だ。

 約半年前、人々をやすとくしゆな力を持って現れた彼女は、この世界とは別の世界からやって来た。

 ニホン、という国に住んでいたらしく、ひざより上のたけのスカートを穿いていることが印象的だった。その彼女は今、あわももいろのふんわりとしたドレスに身を包み、みなから『聖女様』だと言われている。

 そんなマナカは、ダッサムのことをすうはいしているようなまなしでながめていた。

「隣にいらっしゃる聖女様──マナカ様と新たに婚約を結びたいがゆえ、私がじやになった、ということでよろしいですか?」

「なっ! 言い方をわきまえんか、おろか者! 貴様は私が聖女であるマナカを気にかけることにしつし、彼女に数々のいやがらせをしただろう! いくら私のことが好き過ぎるとはいえ、嫉妬などみにくいぞ……!」

「……なるほど」

 ヴァイオレットはポツリとつぶやいて、ためいきを零した。

 扇子を力強くパシンと閉じると、ヴァイオレットのこしほどの長さのはちみつ色の髪がふわりとれる。

 乱れた横髪を耳にけると、髪の毛と同じ美しい蜂蜜色のひとみをスッと細めて、「どのような嫌がらせをしたというのでしょう?」と問いかけた。

「お前は王宮で彼女に会うたびに、聖女としてもっと勉強しろだのマナーがちがっているだの、小言をグチグチグチグチ言ったらしいじゃないか!」

「グチグチと言ったつもりはありませんが……それが嫌がらせですか?」

「これを嫌がらせ以外のなんだと言うんだ! マナカはこの国に一人しかいない聖女だぞ!? はじを知れ!」

 ダッサムの言葉に、ヴァイオレットは再び静かに溜息をらして、口をつぐむ。

殿でんに好意はなかったわ。どころかむしろきらいだった。……殿下がマナカ様に興味をいだいてからは、こういう日がいずれ来ることも想像していたわ。……けれど、十年以上婚約者だった方にこんなおおやけの場でとうされるのは、さすがに傷付く……)

 表情をほとんどくずさないヴァイオレットだったけれど、気をけば声がふるえてしまいそうだった。

 しかし、ヴァイオレットは、自身はなにも間違ったことはしていないのだからと言い聞かせて、りんとした態度をつらぬき通した。

 それからダッサムはというと、マナカから聞いたというヴァイオレットのしゆうぶんじようぜつに語った。

 さきほどの嫌がらせに加え、マナカが社交界のつまはじきにあうよう画策したとか、マナカを階段から落とそうとしたとか、あれやこれやを語るダッサムはうれしそうだ。

 ヴァイオレットがそんなことをした覚えはないと伝えても、「マナカが言っているんだから正しい!」という良く分からない理論をり出してくるので、もはや目も当てられなかった。

「私は将来ハイアール国の国王になる人間として、ヴァイオレットのような醜い女を妻にはできない! よって彼女との婚約は破棄し、新たに聖女マナカを私の妻にする! 皆のもの、盛大なはくしゆを……!!」

 一部で巻き起こるかんせいと拍手。

 それをしているのは、婚約破棄宣言があった際、ヴァイオレットのことをあざわらっていた者たちばかりである。

(レリーヌこうしやく家に、バジリオはくしやく家。……そのほかの方も、我がダンズライト公爵家を引きずり下ろしたい者ばかりね)

 代々筆頭公爵家としてハイアール国のまつりごとに大きくかかわり、ぼうだいな権力を持ったダンズライト公爵家を良く思っていない貴族たちが、少なからずいることを知っている。

 だから、ヴァイオレットはこの事態におどろくことはなかった。

 それからヴァイオレットは歓声がんだタイミングで、もう一度口を開く。

「改めて申し上げますが、私はマナカ様を爪弾きにしたつもりも、危害を加えようとしたこともございません。知識やマナーを身に付けたほうが良いとは何度か申しましたが、それにはが──」

「ええい! だまれ黙れ……! 貴様の言い訳など聞きたくもないわ!!」

「……っ」

 いきどおるダッサムに、ヴァイオレットは押し黙る。

 将来きさきとなるため幼いころから教育を受けてきたヴァイオレットは、どんなじようきようでも冷静に対応できるようきたえられてはいたけれど、将来夫となるはずだった人物にこう何度もられるのはなかなかにこたえたのだ。

(私の今までの努力やまんは、一体……なんだったの)

 けれど、今は過去に目を向けてもなにも変わらない。それに、なにもこの事態は想定できていなかったわけではないのだから。

 ヴァイオレットはだいじよう、大丈夫よ、と自身に言い聞かせてから、ゆうなカーテシーをろうしてみせる。

 そんなヴァイオレットに、会場中の雑音がいつしゆんき消えた。

「婚約破棄の件はうけたまわりました。この場にいない両陛下には、殿下からお伝えくださいませ。書面については──こちらを」

 パチンと指を鳴らし、近くに待機させていた従者から、ヴァイオレットはつつじようになっている書類を受け取ると、それを開いてダッサムへとわたした。

「は? なんだこれは?」

「……? 婚約解消に必要な書類ですが。ダンズライト家側の署名はすべて終えてありますから、陛下の署名があればぐに受理されるはずですわ」

「私が言っているのはそういうことじゃない! 何故なぜ事前にこの書類を準備してあるんだ! しかも署名まで終えて……!」

 先程よりごうの際に飛ばすつばが増えたダッサムの額には、いろい青筋がブチブチと音を立ててかぶ。

 今日一番感情的になっているその姿に、何故望みの婚約破棄がかなうというのにこんなにげきしているのだろうとヴァイオレットは疑問だった。

 けれど、そんな疑問を解消することも、どうでもいいことだ。

 ヴァイオレットはたんたんとした口調で言葉を続けた。

「殿下がマナカ様とおうを繰り返し、愛をはぐくんでいることには気付いておりました。同時に、以前よりも一層私に当たり散らすようになったことも。両親にも相談しましたところ、立場的に公爵家のこちらからではこんやく解消のしんせいはできないため、婚約を言い渡されたら直ぐに同意できるよう書面は用意しておこう、という話になっておりました」

「……っ!! つまり、この状況も貴様の想定のはん内だと……。くさるのもいい加減にしろよ!」

「……!?」

 目を血走らせたダッサムは、王族とは思えないような口調でまくし立ててくる。

「貴様のそういうなんでもお見通しといった態度が昔から大嫌いだったのだ!! 勉強やマナーがかんぺきだからと調子に乗りおって……! 将来王になる私のほうがどう考えてもえらいのに、貴様はいつも偉そうに勉強しろだの貴族の前では弱みは見せるなだの……何様のつもりだ!? お前のような可愛かわいげのない女など、俺が捨てればだれも拾わんぞ!! 泣いて許しをえば側室くらいにはしてやったというのに……婚約解消の署名を済ませているだと……? ふざけるな!! クソクソクソ!!」

「…………っ」

 好かれているとは思わなかったけれど、まさかここまで嫌われているだなんて。

「……そう、でしたか」

 ショックで、もう立っているのもせいいつぱいだ。

 それなのに、ダッサムはいまだにヴァイオレットへの罵倒を続け、それが終わる頃には今度はかくするようにしてマナカをしようさんし始めた。

 可愛らしいとか、話しているだけでやされるとか。そして、最後には──。

「私の新たな婚約者はこの国に一人しかいない聖女だ! ヴァイオレットなんかよりもりよく的で、らしい能力も持っている!」

「やだ……ダッサム様、め過ぎですよ……」

 ダッサムにそっと寄りいながら、マナカはうっとりとした表情で言う。その姿は、ダッサムにしんすいしているようにヴァイオレットには見えた。

「そんなことはないよ、マナカ。ああ、そうだ。この場で聖女の力を披露してやってくれないか? そうすれば、この国においてそなたがどれほど貴重で尊い存在なのか、よりみなが理解するだろう!」

「分かりました……!」

 ヴァイオレットに見せつけるようにして、マナカの腰を引き寄せながら提案したダッサム。対して、マナカはなんとも嬉しそうな表情でほうじゆもんを唱える。

 そして次の瞬間、マナカの体をまとうように現れた光のつぶが会場中にゆうした。

「これが、キセキの力……すごい……」

 誰かがそうつぶやいた。この力こそ、マナカの能力。魔力を持つものはあれど、今やもうこの世界の人間には誰一人使うことができないせきわざ──魔法だ。

 それもマナカがあつかうのは回復をつかさどる光魔法であり、その光の粒は、会場中の貴族たちのちょっとしたや、内臓の不調などを癒やしていく。

 その様子にダッサムはヴァイオレットを見て、ゆうえつ感にひたるようなみを浮かべていた、のだけれど。

 ──キャァァァ!!

 会場後方から聞こえるれいじようさけび声とざわつきに、ヴァイオレットはくるりとり返る。そして、ざわつく貴族たちの視線の先にいる、横たわった男に気が付いたヴァイオレットは、男の元に急いでけ寄った。

「……っ、シュヴァリエこうてい陛下! 大丈夫ですか!?」

 ──この時のヴァイオレットはまだ知らなかった。

 直後の自身の行動をきっかけに、りんごくの皇帝──シュヴァリエ・リーガルにきゆうこんされ、どろどろにできあいされる未来が待っているなんて……。

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