第16話Trap
◆
ルベール城内部、その中央に位置する螺旋階段。
華美な装飾の数々には目もくれず、ひたすらに下って行くヒイロとカレンは複雑な面持ちで言葉を交わしていた。
「記憶が戻ったのね、ヒイロ。それなら分かっていると思うけれど、私はあなたがとても憎い」
「ああ、知ってるよ。……痛いくらいにな」
そう言いながらヒイロは、肘から先が無い左腕を擦った。
「それでも私は、……未だにあなたを想い続けているの。笑ってくれて構わないわ」
自嘲するかの様に、哀し気な微笑みを浮かべるカレン。
そんな彼女にヒイロは自身の素直な気持ちをぶつけようとした。
「……それは本当に笑いたいもんだな。俺だって、お前をずっと──」
けれどそこで遮られる。
「言わないで、お願い」
「……悪かった」
しばしの沈黙。
それを破るようにしてヒイロは思ったことをカレンに伝える。
「でも、お前は変わったな」
「何のこと?」
不思議そうなカレンに、ヒイロはフッと笑みを溢して続ける。
「不器用で子供じみた考えだったお前が、大人になったなって意味だよ」
「……やめてちょうだい。いつの話をしているのよ」
不愉快な様な、恥ずかしい様な。
複雑な感情をどこか懐かしく思うカレン。
ヒイロとこんなやり取りをするのはいつ以来だろうか。
戦争が始まってからは思い出に浸る余裕など一切なかった。
それは久しく感じる心のゆとり。
「だから、よく頑張ったな」
「え?」
またもや言葉の意味がわからずにカレンは疑問を見せた。
ヒイロは溢していた笑みを消し、真剣な面持ちで口にする。
「良く耐えたなって。正直、驚いた。アーシェに恨まれても構わないと、そう思ったのか?」
「……。」
次第にカレンの表情が陰っていく。
何を言い出すのかと思えば、今一番触れられたくない事ではないかと。
そう思うのに、その続きをカレンは心の何処かで欲していたようにも思ってしまう。
けれど全てを察しているヒイロはそれに構わずに続ける。
「仇討を止め、お前は敵国の民を最優先に考えた。煮え繰り返る気持ちを押し殺して、和解を申し出た。それが正しかったとは言わない。でも俺がお前なら、同じ選択をしてた」
「私、は……」
図星だった。
だけどそれは誰にも分かってもらう訳にはいかないと思っていたのに。
こんな感情は消してしまわねばならないのに、と。
カレンは自分を追い詰める事で、無意識に精神バランスを保っていたのだ。
だけど、これでは。
「だからお前の決断が間違いだなんて、誰にも言わせない」
足取りが遅くなったカレンは、とうとう立ち止まった。
目頭が熱くなって、胸がしめつけられる様で。
涙が溢れた。
「……うっ、……ううっ……。アー、シェ……アーシェっ……!」
本当は駆け付けたかった、身代わりになりたかった。
アーシェを死なせてしまった事に対しての罪の意識は 、カレンの精神を酷く蝕んでいた。
エリカを討つと言いながら実のところ、逆に殺されてしまっても構わないとさえ思っていたのだ。
この罪を償えるのなら、アーシェと同じ場所へ逝けるのなら。
例えアーシェがそれを望んでいなかったとしても、自分はそれを望んでしまうのだと。
普段見せるカレンの強固な意志は実際、そんな弱さも併せ持つ諸刃の剣なのであった。
座り込み、顔を両手で覆いながら泣き啜るカレン。
そんな彼女に言葉は掛けられても触れる事は許されないのだと、ただ見ている事しか出来ないヒイロ。
歯痒い、もどかしい、やるせない、許せない。
すべてが本意とは裏腹に起こるのだから、許容範囲などとうに越えている。
(ヨハン。お前はこの悲劇の先に何を求める?そこにはいったい何が残る?)
ヒイロはかつての親友を思い浮かべながら。
ヨハンが描こうとしている未来に想いを巡らせるのであった──。
王の号令の下に、残っていたルベール軍の兵士達が集った。
そこへエリカが声を張り上げる。
「よく聞きなさい!今この国には、招いてもいない客人が土足で上がり込んでいるわ!そして今、臣下達の勝手な判断で軍の大部分が不在なの!だからわたくしは、この上なく怒っているわ!……この意味、もちろん分かってくれるわね?」
「「はい!!」」
兵達は皆、顔を青ざめさせる。
ほんの僅かでも粗相があれば間違いなく、家族諸とも処刑場行きだ、と。
けれど次に放つ王の言葉によって、この場に混乱が生じてしまう。
「ま、せいぜい守って見せてちょうだい?どうせ失うのは、わたくしにとっていくらでも代えの利く一般民でしかないのだけれど」
「「……?」」
不味い、分からない。
王を守れと言う事なのか、と。
兵達が冷や汗をかき始める様な冷え冷えとした空気の中で。
感に障ったエリカが怒号を上げる。
「ちょっと何をしているの!白へと向けてさっさと民を先導しなさい!!」
「「は、はいっ!!」」
まさか国民を守れと言っていたとは考えもしなかったので、兵達は内心どよめいていた。
ロレイヌ国を目指せだなんて今までの王には考えられない発言だし、そもそもそんな指示は今初めて聞いた。
いつも号令を取り仕切るハロルドがいないと、こんなにも理解に苦しむのかと。
何とも言えない解釈が余計に拗らせてしまうのが今のルベール帝国であった。
「それと誰か貴族連中に伝えて。只今を以て絶対制度を破棄する、と」
兵士達はここでようやく悟った。
余程の緊急事態なのだと。
「あの、王よ。王ご自身はどうなされるのでしょうか?」
一人の兵士が恐る恐る訪ねた。
「どう、って。それなりに満喫したらそっちに向かうつもりよ」
「満喫、ですか?一大事なのですよね?」
「何を言っているの?一大事だからこそ、楽しまない手はないでしょう?」
あたかもそれが自然だと言わんばかりの王の言葉に、やや動揺を見せる兵。
けれどそれがエリカと言う人間の思考であり、退屈しのぎを欲しているのは国民なら嫌でも知っている。
だがそれを聞いた兵士達は考える。
劇的に変化した王の意向、と言うより人格に近いものを。
例え単なる気紛れだとしてもせめて長引かせて貰いたい、と。
「恐れながら王よ。あなたの御身に何かあれば、我々が困ります。ですので、力不足ながら我々の護衛を──」
そこでエリカが発言を制する。
「何言ってるの。いいこと?そんな当たり前な指示をいちいち仰がないでちょうだい。王であるわたくしを守るなんて、真っ先に思うべき事ではなくて?」
「も、申し訳ありません!」
改まってエリカは目線を下げ、ため息混じりに話し始める。
「はぁ……。わたくしもね、あれからいろいろ考えたのよ。苦痛に苛まれる事がこんなにも辛い事だったのね、って。わたくしにとって貴方達の様な一国民や一兵士が、例え道端に落ちているゴミ程度の価値にしか思えないとしても。感じ取るものは同じなのよね、きっと。だから──」
言葉の内容を聞き取りはするも、脳内の整理が追い付かない兵士達。
そこに王が命令を付け加える。
「──貴方達の価値をちゃんと、わたくしに見出させなさい。いいわね?」
「「はっ!!」」
条件反射で思わず返事をした兵士達は、後々思い知る事になる。
ルベール帝国が事実上の瓦解となり、だからこれが王の最後の命令だったのだと。
「随分と素直に行動するんだな。あの悪名高きルベールの国王様が」
そんな皮肉な言葉を発したヒイロに、エリカは不機嫌を露にする。
「なぁに?わたくしをからかいに来たわけ?」
仏頂面のエリカがジトっとした視線をヒイロに向けるも、それには構わずに続ける。
「別に。ただカレンもそうだが、まさかあんたまで協力的になるとは思わなかったんでな」
「わたくしはね、勝算のない無謀な賭けはしない主義なの」
「つまり?」
「あの王はわたくしを、いとも容易く殺せた筈よ。だってわたくしの能力、発動すらしなかったもの」
「なるほど」
嘆息するエリカは力の差を痛感していた。
世の中、上には上がいるのだと。
「それで?その王は大丈夫なの?外の者と戦っているんでしょ?」
「ああ、奴らは撤退したよ」
「はあ?だったらこの国を放棄する意味がないじゃない」
「意味はある。むしろ肝心なのはここからだ」
意味深な事を言うヒイロに、少しの嫌悪感を見せるエリカ。
「……この国々はどうなると貴方は予想しているの?」
彼女の問いにヒイロは真剣な面持ちで答える。
「このままなら十中八九、すべてがもれなく占拠されるだろうな」
「……このままなら、ね」
嘘は言っていない。
それだけヨハンの根回しは完璧だし、この先の展開もヒイロだけには見当がついていた。
けれど綻びが生じているのもまた確か。
ヨハンの計画では、カレンがエリカを殺しているはずだった。
そうなれば事実上ルベール帝国は落ちたも同然であり、戦争拡大に或いは犠牲者の増大に歯止めがかけられなくなっていた。
けれどヒイロは根本的に間違っていた。
ヨハンにとってこれは単なる揺さぶりであり、注意を散漫させるのが彼本来の計画内容なのだ。
だから後は全ての手駒を集中させるだけである。
気を取られて逆に手薄となった、ロレイヌで今現在起きている“本命の戦い”へと。
そして世界は否応なしに、訪れる終焉へと向かう。
この世界で人間が恐れるべき相手は、そもそも“人間ではない”のだから──。
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